昨晩、横浜能楽堂で「紡ぎ合う日韓の古典芸能」という催し物があり、チケットがたまたま手に入ったので出かけた。能楽堂は以前に何回か能や狂言を見に出かけた。能はその舞台を見ながら文学として味わうのが好みだ。狂言はその生き生きとした所作というか舞台を見るのが特に楽しい。この横浜能楽堂はとてもいい音響と木の温もりを感ずる施設で気に入っている。最近は能も狂言も見に行く機会がなくて足が遠ざかっていたので、懐かしい気持ちも湧いてきた。
会場に入ると、10数年前は舞台をつくる木の肌がずいぶん茶色くなったなぁと感じた。その頃はまだ真新しい木の肌がすがすがしかった。木のつくりは時の流れが見えるものでもあるのだ。
演目は前半が韓国の古典芸能ということで、ビリという縦笛・牙箏(アジェン)・鉄弦琴(チョルヒョングム)・伽倻琴(カヤグム)・鉦(チン)などの楽器と舞踊の演奏。後半は日本の箏・三味線・笛と踊り。最後に両者の合奏というかコラボレーションのための作品。
いづれも18世紀から20世紀になって作曲された曲を中心に演奏があったのだが、私は最初に演奏された、ビリという縦笛の音に大変心を惹かれた。小さなリード付きの縦笛で、中音域の豊かな音量と、深みのある朗々と響く音質が心の扉を広げてくれるようだ。初めて聞く笛の音であるし、初めて聞く曲だが、とても懐かしい感じがした。
さらに伽倻琴(カヤグム)の演奏も興味深く聞いた。これはちょっと音がこもるような感じの楽器だが、かえってそれが深みのある音、古い土俗の臭いがするようで好ましく思われた。
舞踊は韓国の舞踊の方が私には楽しい。日本の舞踊として歌舞伎舞踊の「京鹿子娘道成寺」の一部が演じられたが、私はどうにもこの日本舞踊が苦手でさっぱりわからない。表情がなく動きも何もまったく理解不能だ。韓国の舞踊は動きがきびきびとしていて顔の表情も普段の人間の表情がそのまま出ている。動きも自然な動きだ。見ていても何を表現しようとしているかはっきり理解できて楽しい。
ついでに言えば、最後に演奏された両者の合奏曲では、能で使われる小太鼓と韓国の杖鼓(チャング)も加わったのだが、小太鼓の打ち方はあまりに様式化しすぎていて、打つ動作が自然な体の動きとはとても思えなかった。韓国の杖鼓の方が打つ動作としてはごく自然な体の動きを基にした打ち方となっていると思われた。この半島と列島での所作の違いは面白い比較になると感じた。
演目として考えれば私は日本を代表する舞踊に歌舞伎の要素を持ってきたのがどうもピンとこなかった。私の好みで言えば能や狂言の所作を持ってきてほしかったが、18世紀から20世紀のものの比較ということになると致し方ないのかもしれない。
日本の琴の曲として、朝鮮半島に住んでいた14歳の宮城道雄が最初に作曲した曲が演奏されたが、びっくりした。宮城道雄という作曲家、ものすごい人だったのかなと感心した。琴のテクニックも独創的だという解説がされていた。私などが聞いてもリズムが自然に体になじんでいるような、そしてとても懐かしいような感覚に襲われる。小学生のころ習った「春の海」しか知らないのだが、もっとこの人を知りたいと感じた。
半島と列島の古典芸能、同時代のものを平行して演奏すること、コラボレーションの曲を合同で演奏すること、交流の意義はあると思うし面白い。少しずつ時代を遡りつつ同時代の曲の聞き較べも面白いかもしれない。そしてさらに何かが生み出せるきっかけになるもっと刺激的で面白い企画が関係者の努力で出てくることを強く希望したい。