元旦の横浜中心部

まったく信心無き者が初詣というのもあまりに変ではあるが、家族で毎年初詣には出かける。ただし、私はどうしても神社・仏閣その他信仰の対象物に「拝む」という行為はどうしても出来ない。でも他人が拝礼しているものを否定も出来ないし、尊重は大いにする。それでいつも境内の入口で頭を下げてから中に入る。申し訳ないが、神殿や仏壇の前で「拝礼」することはすべて遠慮させてもらっている。妻はお賽銭や拝礼をしている。
拝礼の拒否は特にこだわりというのではないが、もう45年間それで通してきた。そう中学3年の時からだろうか。当時通っていたミッションスクールでは特に拝礼などは強制されることもなかったが、やはり自分は信じるというところにはとても遠い存在だと自覚したのを記憶している。それ以来だ。
大綱金毘羅宮

まず妻は大綱金毘羅宮で毎年売られている干支の置物が気に入っている。大きさも部屋に飾るには手ごろの上、表情がいつも好みに合うそうだ。今年もなかなかかわいげのある表情の巳年の巳となっている。ここは参拝者は少ないのだが、如何せんあまりに狭い境内に、金毘羅宮と稲荷社、そして弁財天の三つが祀ってあり、人とすれ違うのにちょっとした混雑を味わう。それでも何かゆったりとしたものを感じる。
旧東海道の神奈川宿の端っこに位置していた。歴史は平安時代からといわれているらしく、飯綱社であったらしい。すぐ傍に江戸日本橋からの7つ目の一里塚があった。
洲崎神社

次に訪れたのは、この神奈川宿のすぐ江戸寄りにある洲崎神社。洲崎大神と称して、源頼朝以来ということになっている。金毘羅宮とは東海道線を挟んだ商店街の終点に位置している。昔は海に直接面していて、旧東海道がすぐ海辺を通っていたことになる。
今でもかなり広範囲にこの神社の祭礼がさかんに行われている。神奈川区の南半分が参加しているような感じもする。特に地域の商店街では盛んなようだ。
ということで境内もそれなりに広く、人が境内からあふれて並ぶこともある。ここは周囲の建物は低いのだが、境内は大木が並び、雰囲気は暗い。それが厳粛な雰囲気を醸し出していて、なかなかいい感じだ。海まで丘が迫っていた昔の景観が十分に読み取れる。
住んでいるところから30分近く歩くので、高齢者には結構遠いのだが、私の団地の方にもお会いすることがある。残念ながらここの干支の置物は妻には気に入らないらしい。
穴守稲荷

三番目は、近くの京急線の神奈川の駅から乗車して、羽田空港の手前の穴守稲荷を訪れた。ここは少々遠く初めて訪れた。洲崎神社よりもひと回り広い境内に、洲崎神社の数倍の参拝客が並んでいた。露店も6軒ほどならび、明るい雰囲気である。
社殿の羽田側(多分東側)には高層マンションがならびその反対の西側らしき変には今年はとても高いクレーンがいくつも立っていた。こちらもまた高層のビルが建つのだろうか。その割には日当たりがよく、洲崎神社とは違って明るい境内である。樹木がそれほど高くなく、これはこれで悪くない。稲荷社特有の朱の鳥居が連続していて、それが日を受けてより明るく感じる。
由緒謂れは、案内によると江戸時代に、海に突き出た新田を守るための堤防の安泰を願って作られたようだ。この付近には稲荷社がずいぶんあるようだが、京急線の駅名となって、ずいぶんとここが有名になったようだ。いかにも下町らしい、古い感じのする商店街が駅に張り付いていて活気がありそうな町並みである。

まったく信心無き者が初詣というのもあまりに変ではあるが、家族で毎年初詣には出かける。ただし、私はどうしても神社・仏閣その他信仰の対象物に「拝む」という行為はどうしても出来ない。でも他人が拝礼しているものを否定も出来ないし、尊重は大いにする。それでいつも境内の入口で頭を下げてから中に入る。申し訳ないが、神殿や仏壇の前で「拝礼」することはすべて遠慮させてもらっている。妻はお賽銭や拝礼をしている。
拝礼の拒否は特にこだわりというのではないが、もう45年間それで通してきた。そう中学3年の時からだろうか。当時通っていたミッションスクールでは特に拝礼などは強制されることもなかったが、やはり自分は信じるというところにはとても遠い存在だと自覚したのを記憶している。それ以来だ。
大綱金毘羅宮


まず妻は大綱金毘羅宮で毎年売られている干支の置物が気に入っている。大きさも部屋に飾るには手ごろの上、表情がいつも好みに合うそうだ。今年もなかなかかわいげのある表情の巳年の巳となっている。ここは参拝者は少ないのだが、如何せんあまりに狭い境内に、金毘羅宮と稲荷社、そして弁財天の三つが祀ってあり、人とすれ違うのにちょっとした混雑を味わう。それでも何かゆったりとしたものを感じる。
旧東海道の神奈川宿の端っこに位置していた。歴史は平安時代からといわれているらしく、飯綱社であったらしい。すぐ傍に江戸日本橋からの7つ目の一里塚があった。
洲崎神社


次に訪れたのは、この神奈川宿のすぐ江戸寄りにある洲崎神社。洲崎大神と称して、源頼朝以来ということになっている。金毘羅宮とは東海道線を挟んだ商店街の終点に位置している。昔は海に直接面していて、旧東海道がすぐ海辺を通っていたことになる。
今でもかなり広範囲にこの神社の祭礼がさかんに行われている。神奈川区の南半分が参加しているような感じもする。特に地域の商店街では盛んなようだ。
ということで境内もそれなりに広く、人が境内からあふれて並ぶこともある。ここは周囲の建物は低いのだが、境内は大木が並び、雰囲気は暗い。それが厳粛な雰囲気を醸し出していて、なかなかいい感じだ。海まで丘が迫っていた昔の景観が十分に読み取れる。
住んでいるところから30分近く歩くので、高齢者には結構遠いのだが、私の団地の方にもお会いすることがある。残念ながらここの干支の置物は妻には気に入らないらしい。
穴守稲荷





三番目は、近くの京急線の神奈川の駅から乗車して、羽田空港の手前の穴守稲荷を訪れた。ここは少々遠く初めて訪れた。洲崎神社よりもひと回り広い境内に、洲崎神社の数倍の参拝客が並んでいた。露店も6軒ほどならび、明るい雰囲気である。
社殿の羽田側(多分東側)には高層マンションがならびその反対の西側らしき変には今年はとても高いクレーンがいくつも立っていた。こちらもまた高層のビルが建つのだろうか。その割には日当たりがよく、洲崎神社とは違って明るい境内である。樹木がそれほど高くなく、これはこれで悪くない。稲荷社特有の朱の鳥居が連続していて、それが日を受けてより明るく感じる。
由緒謂れは、案内によると江戸時代に、海に突き出た新田を守るための堤防の安泰を願って作られたようだ。この付近には稲荷社がずいぶんあるようだが、京急線の駅名となって、ずいぶんとここが有名になったようだ。いかにも下町らしい、古い感じのする商店街が駅に張り付いていて活気がありそうな町並みである。