Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜は濃霧注意報

2014年02月03日 18時22分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は20時過ぎに横浜地方に濃霧注意報が出た。東海道線・京浜東北線・横浜線・相模鉄道が濃霧で遅延との情報が入ってきた。1975年に就職して以降初めてのような事態のような気がするがどうであろうか。
 市営地下鉄の運行には影響はなく、映画と夕食の後の帰宅には支障は出なかったが、地上に出て見ると幹線道路の街路灯が滲んでいて、なかなか絵になる、情緒ある風景に見えた。珍しい霧の現象、街の景色を大きく変える。雰囲気が変わると新しい魅力を見つけることもある。
 同時にあまり稀有な気象になるとなんとなく不安な気分も湧いてくる。

 ただし、湿気というものは人の心も体も柔らかく包んでくれる。これが梅雨時のように湿気が続くと体の名仲間でカビが生えるような気分になるが、一晩くらいならばマイナスの気分にはならない。

 湿った大気のもとでの街のあかり、普段人工的で強い刺激を与える街灯や車の光も柔らかく感じる。車という社会システム全体がどうしても馴染めない性分だが、昨晩はちょっとだけそんな気分を忘れた。

 横浜の本日の天候は暖かく晴れて最高気温19.1℃。明日は最高気温の予想が7℃で午後から夜にかけて雪の予報となっている。12℃も最高気温が下がってしまう。これはなかなか体がついていかない。

 鼻水とクシャミはほとんど回復した。今日は水っ洟が少しだけ2回ほど間欠的に出たが気になる程度ではない。ひどいときに飲んだ薬は1回の規定量の半分を3回服用してもうやめている。後は自力での回復を待つばかりだ。ただし下痢が治らない。そろそろウォーキングを再開しようかと考えているがどうだろうか。寒いという予報だが、午前中に少しやってみて様子をみようかと思う。
 先週の後半から少しずつ体調が下降気味、そして下痢が続いたのに体重は増えている。ウォーキングで体重を減らすということはできないのだが、何となく老廃物が体に溜まった感じがしてしようがない。
 体調がよくないのに体重が増えるというのは、よく言えば燃費がいいというか、熱効率がいいというか、消化・吸収に優れているというのか、太り続けるということから逃れられない体質なのだろうか。親の体型からは異質な感じである。この体重が増え続ける体質を何とかしたいものである。




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「小さいおうち」

2014年02月03日 13時47分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 本日見に行く予定であった「小さなおうち」を昨日の夕方に見に行った。日曜なので混んでいるかもしれないということで、安く手に入れた前売り券を開演の3時間近く前に行って指定席を予約した。
 買い物や電子レンジの下見を二人でして時間をつぶした。実際に入ってみると観客はたったの10名という寂しさであった。3組6人が60代の夫婦ということは、10人でたかだか12000円ほどの収入である。採算がとれるのかと疑問に思ってしまった。

 以下の感想はあくまでも私の一方的で、勉強不足も顧みない、牽強付会なものである。図々しいとは思いつつ記載した。寛容な気持ちで読み飛ばしてほしい。

 映画というとあまり私ども夫婦はあまり見る機会がない。今回の私の興味は山田洋次監督が日頃の言説からどのように「戦争」を表現するか?ということにあった。

 あの戦争にのめりこんでいく1935年以降(昭和10年代)と現代を二重写しにする手法であるが、当時の東北の農村の貧困と華やかな都会との関係が、現代の過疎と高齢化の地方と時代の先端の東京と対比されるのでは無く、後者は描かれずに暗示されることで浮き上がる。そしてあの頃の都市の内部の大きな格差の存在は瀟洒な「小さなおうち」と、板倉という登場人物の下宿の佇まいとして暗示される。
 戦前を暗い世界としての描き方から、多くの庶民はあの時代を享受しそのまま戦争にのめりこんで行ったことを美化せずに表現していることは、私には好感が持てる。
 平穏で華やかな一面のある山の手の生活、しかし人々が経済的な繁栄を追い求める現状は、中国への侵略という日常化してしまった軍事行動と一体であったことが彼らの意識からは遠ざかっていた。

 経済的繁栄の謳歌、あるいは願望は、戦争という加害と抑圧についてまったくの想像力と配慮を欠いた日本という社会のあり方が提示されている。敗戦後には、明治維新以来の近代化の総体の質が問われなければならなかった。日本の戦争犯罪が裁かれるということは、ここまで掘り下げなればならなかったはずである。
 これが中途半端に終わったことが、日本の戦後の社会や政治の貧困のもっとも根幹なのである。そのもっともひどい表れ方をしているのが、今の政権与党とそれを補完している一部野党である。

 戦争犯罪や組織犯罪が問われると、組織の一員は常に最上層の者すら「上からの命令には逆らえなかった。自分にはその事態を覆す権限はなかった」ということになる。その結果としてナチスドイツではユダヤ人の大量虐殺が行われ、日本でも近隣諸国への侵略と殺戮が当然のように行われ、自国の兵を大量に「玉砕」させ、自国民の大量死を招いた。戦争犯罪は遂行した人間が政治責任・軍事的責任を問われるとともに、なぜそうなったか、それまでの歴史も総括されなければならないはずだ。

 映画はこのことを匂わすだけで終わっているかといえば、そうとは言えない。政治そのものを射程に入れて語ることはしていないが、これはこの監督の手法である。「タキ」という学問からも政治的な主張からも阻害されている女中を通して、人としての生き方の基本を考えることの努力をさせている。「正しい答」などない問題に悩み、とっさに判断しようとする努力に大人になろうとする彼女が直面し、平成の世まで生涯悩み続ける。男女の関係の問題と、政治的な状況との安直な対比はしてはならないが、そこによって立とうとする「民衆」像を架橋しようとしていると感じる。

 私は全世界の人間が善人になれば、あるいは誠実な人間関係の構築だけで戦争が無くなるなんて幻想はこれっぼっちも持っていない。しかし考えようとする人間に時代を好転させる可能性を託することはできる。
 経済的な繁栄を追い求める果てに、戦争へのめり込む支配層に一縷の望みをかけてしまう人々ではなく、もっとも底辺にたたずむ人々の生活に根差した思いに、制作者なりの希望を探しているといってもいいかもしれない。

政治的な主張を前面に立てた映画、歴史を客観的にとらえようとする映画もある。映画というのはどうもそのような主張がしやすい芸術の一分野かもしれないが、このような暗示の作品もいかにも日本的と言える。政治的な人からはもどかしいという批判も当然出てこよう。しかし私にはこれがいいと思う。

 現代の青年「健史」が「戦前はもっと暗い世界だった」と主張し、平成に生きる「タキ」に強く反論する場面が何度か出てくる。「健史」の主張は残念ながら、戦後のアメリカの占領政策の結果と、都市の多くの人に影響力を持ちえずに敗北した戦前の「左翼」との、結果としての合作のイメージである。このイメージを超えようとしていることもこの映画の優れた面として記憶したい。明るさも暗さも同時に存在し、明るさと暗さが表裏一体で、総力戦という悲惨な戦争・生命の消耗戦に突入していった時代を表現したこと、その危うさを淡々と描いたことがこの映画の自慢ではないだろうか。

 この表現の先に、平成の世の繰り返しではない明るい可能性を求めたい。




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