



11日に郡山市内を短時間見て回ろうということになり、駅から雪にスペル道を30分以上歩いたところにある「こおりやま文学の森」を訪れた。この敷地全体は雪に埋もれていたので、久米正雄記念館と郡山市文学資料館の二つの建物に入った。記念碑・句碑や敷地の散策は出来なかった。
郡山駅から消防署、金透小学校、如宝寺、麓山(はやま)の杜、貯水池を通って文学の森まで2.5キロちょっと。
最初に久米正雄の鎌倉の家を移築したという久米正雄記念館に入った。
私がまずびっくりしたのは林倭衛の絵がかかっていたこと。久米正雄が対極にある林倭衛の絵を掲げているということが、今でもまだ理解できない。長野県の上田市出身ということのつながりなのだろうか。どういう経緯で絵が飾られていたのだろう。林は大杉栄の影響、「平民新聞」とのかかわり等については知っていたが、それ以上のことは知らない。久米正雄とどこで接点があったのだろうか。あるいは支援していたのであろうか。
久米正雄という人は、私は読んだこともなく、芥川龍之介との深い交友関係があったことくらいしか知らない。文学報国会の事務局長であったことなども知りますます遠い存在で過ごしてきた。
俳句の久米三汀なる人が久米正雄であることはつい最近知った程度である。
・我鬼窟に百鬼寄る日や夏芭蕉
・老人端座せり秋晴をあけ放ち
・春の雪ひとごとならず消えてゆく
今回、資料館の方で夏目漱石の娘との結婚話、宮本百合子との恋愛などが詳しく展示されていた。
資料館に展示されている作家で私が知っていたのは、高山樗牛、宮本百合子、玄侑宗久の4名だけ。それも読んだのは高山樗牛の「滝口入道」と宮本百合子の「貧しき人々」だけであった。

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