Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

高湯温泉の印象

2014年02月13日 23時03分36秒 | 山行・旅行・散策
 福島市内も高湯温泉も前日からの雪ですっかり雪の中に埋もれていた。高湯温泉の宿の送迎バスを待つ間、福島駅近辺を歩いてみた。駅前は時たま訪れるままあまり変化はなかった。目についた変化は古関裕而のピアノを弾く像が新設されたこと。美味しいコーヒーを飲める喫茶店を知っていれば良かったのだが、あいにくそのような情報は持っておらず探している間にバスの時間となってしまった。
 高湯温泉は泊まるのは2回目、吾妻山に登る途中で通り過ぎたのが2度。バスで通り過ぎる時の印象は、宿が見えても外からは営業しているように見えないし、また他の温泉地のような温泉街の雰囲気もない。それがいいのだが。

                                 




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歴史博物館の連続講座終了

2014年02月13日 11時38分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日横浜市歴史博物館の古代史と近世史、各5回の連続講座が終了した。大岡川と帷子川の二つの河口での新田開発についての近世史の講座は大変勉強になった。大岡川河口の吉田新田については以前講座を聞いたが、こちらの方がより詳細な経緯がわかったし、帷子川については恥ずかしながら初めて教わった。特に横浜道がなぜあそこから東海道と分岐して開港場に向かうのか、理由がようやくわかった。
 また開港場が当初考えられた神奈川宿から今の関内に移ったのは、攘夷派の外国人襲撃と神奈川宿が江戸に近いのを嫌ったというだけでなく、今の関内付近を干拓しつつあり外国人居留地として想定したり、それを利用した広い後背地の想定など都市的発展を見越したことも想定できるようだ。
 横浜の開港後の都市的な発展を関内・港周辺だけに限らず、近世の新田開発などによる大きな経済圏を見越した分析と解説はとても勉強になったと思う。

 私も実は横浜開港150周年事業が、港周辺の事業しかもイベントだけになったことに対してはとても違和感を感じていた。当時の中田市長の底の浅い歴史認識にも唖然としていた。私は開港によって流通が大きく変化し周辺に大きな変化を伝播させた旧道沿線の文化・物流などの歴史の掘り起し、文化遺産、民権運動、新聞史、産業史など総合的な都市の把握に基づく事業にすべきだと、何かの職員向けのアンケートで記載した覚えがある。末端の意見など反映されるべくもなかったが、今回の講義を聞いて自分の感覚にちょっとは自信をもった。
 次の200周年、私は生きていないが実り豊かで、膨大な赤字を生むだけのイベントではないことを切に願っている。政治家の自己満足に終わらせてはいけないと思う。

 古代史の講座は特に横浜に絞った内容ではなかった。しかし素人の私には初めて聞く話もあり、有意義に感じた。ただしどちらかというと私は考古学的な興味の方が強いので、そちらの講義の機会があるとうれしい。