Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

福島県石川町の印象

2014年02月12日 21時38分48秒 | 山行・旅行・散策
 晴れたが前々日の大雪の中、石川町で午前中を過ごした。まず町立歴史民俗資料館を訪れたのだが、なんと休日にもかかわらず休館日ということでがっかり。ここで平安時代の陸奥の国石川郡の歴史、戦時中のウラン採掘の資料、自由民権運動の資料などを貰い受けようという計画がすべて無に帰した。
 町役場に戻ったが空いている様子もなく、途方にくれた。

      

 やむなく町役場の隣にある三芦(みささ)城跡と石都々古和気(いわつつこわけ)神社を訪れた。雪に埋もれた階段を雪にまみれながら登ったが、境内は雪が深くで歩き回れない。妻は賽銭箱の前でとりあえず手を合わせたようだが、高台にあるにもかかわらず石川町の全体を見渡せる展望のきくところまですらいけない始末。すべり、転びながらながらようやく長い石段を下り終えた。楽しい投降であった。
 この神社陸奥国一宮と記載されている。陸奥国一宮は塩釜にある鹽竈神社と思っていたので、帰宅後調べてみると次の4つの神社が一宮として現代まで伝わっているとのことであった。
  鹽竈神社 宮城県塩竈市
  都都古和気神社 福島県東白川郡棚倉町
  都都古別神社 福島県東白川郡棚倉町
  石都々古和気神社 福島県石川郡石川町



 駅まで戻り駅で石川町のパンフを手に入れたが、自由民権運動の先駆けともいわれるこの地方の運動の中心となった石陽社の記念碑までは雪で車も入れないとの話があり、これも断念。石陽社の思想なども知りたいと思ったが残念である。ただしネットで検索したところ「石陽社顕彰会」のホームページを見つけた。これで石川郡の自由民権運動については概略がわかるようになっている。



 戦時中のウラン採掘については歴史民俗資料館のバンフレットの最後の記載しかわからなかった。

 陸奥国の石川郡の歴史もネットのウィキペディアでの知識では陸奥石川氏の項で「永承6年(1051年)、頼遠は子の有光とともに陸奥守源頼義に従って奥州に下向、前九年の役に従軍した。厨川に戦死した頼遠に代わって有光が軍を指揮。康平6年(1063年)、有光はその軍功により従五位下安芸守に任じられ、陸奥国(後の磐城国)白河郡の地を下賜された。石川郷に三芦城を築城して居住し、それ以来石川氏を称した」との記載程度しかわからなかった。
 残念ながらどれも今一つの知識になってしまったのが残念。

 ということで、以下、幾枚かの写真とパンフのコピーで印象に変えることにした。

                        




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