横浜市内では雪に伴う人命にかかわる事故は東横線の追突事故以外は特に無いようだ。こどもの国線のホーム屋根の倒壊、海岸沿い地区の倉庫会社の屋根の倒壊も幸い人に関わる事故とはならなかった。8日までの事故については記者発表がされているようだが、今週についてはまだ発表されていないが、報道ではこれだけのようである。
他の地域では雪に閉じ込められたりなどの災害状況が報道されている。特に道路が通行不能になり車に閉じ込められたという報道、停電による孤立、通行が出来ず孤立した地区などがあるようだ。
以前も福島で道路で車に閉じ込められて大きな惨事となったことがある。高速道路の状況、降雪の多い地区の山間部の道路状況などの対策は、把握も、そして事態が発生した以降の対応もなかなか難しい。しかし物流の大半がトラック輸送に限られている状況では、的確な対応が必要のようだが、なかなか具体化されていない。その対策の困難さが一般に知らされていないことが、管理者と利用者の相互の不幸のような気がする。
同時に私はこのように国の過疎化と高齢化が進展していること、そして広域の激甚災害が多発している現況、災害の複合化を踏まえれば、自治体ごとの組織である消防組織よりも、県レベルあるいは数県レベルで組織するような「災害救助隊」の創設が必要かもしれないと感じている。災害対応は人海戦術と、高度な技術と重機の操作、並びに医療技術の基礎が同時に必要となる。
何でもすぐに自衛隊というのは私には理解できない。もっとも今は災害救助に際してそのような組織しかないのだから、ここを頼りにするしかないのだ。しかしだからと言って自衛隊が国民のコンセンサス・支持を集めているというのは即断・牽強付会である。むろん災害に際して献身的に貢献してくれた隊員一人ひとりには誰もが頭を下げる。感謝するのは人として当然の行為であろう。しかし、本来業務が災害救助ならば、銃器や兵器は必要などないのだ。災害救助活動が必要だから自衛隊が必要だというのは、本末転倒であるとしか言いようがない。議論の前提が間違っているとしか言いようがない。
そんなことを考えながら昼過ぎまで過ごした。お昼には古事記を紐解きながら、時々外の雪景色を楽しんだ。夕方少し前には、団地内の除雪状況・足場の現況を見回ったのち、横浜駅まで歩いてみた。大方は歩道の雪掻きが出来ていたが、「地域のコミュニケーションに貢献する○○不動産」というそれなりの企業のビルの前はまったく雪掻きがされていないのが印象に残った。
不動産業だから日曜は営業しているところが大半であるし、そこの会社の事務スペースには電気がともっていた。にも関わらず、人の出入りはない。周囲の商店はきれいに除雪してあるので、ビルの幅は10メートルほどだから周囲の商店で対応できないことはない。それをわざとのように除雪していないということは、おそらく普段の周囲の商店とのコミュニケーションも問題があるのだろうと推察した。この不動産会社には生涯お世話になりたくないと感じた。
夕刻前の横浜駅はものすごい人出であった。雪に閉じ込められていた鬱憤を本日解放したような感じもした。
夕食前に自宅に戻り夕食までの一時、久しぶりにウィスキーを飲んでみた。学生のころ、ある先輩が「冬こそウィスキー、ロックがうまい」と言っていたことをふと鮮明に思い出した。普段思い出すこともない名前だが、その先輩は今頃何をされているのだろう。いろいろとお世話になったことも思い出された。ふと昔のことを思い出す‥それは若くない証拠なのかもしれない。
他の地域では雪に閉じ込められたりなどの災害状況が報道されている。特に道路が通行不能になり車に閉じ込められたという報道、停電による孤立、通行が出来ず孤立した地区などがあるようだ。
以前も福島で道路で車に閉じ込められて大きな惨事となったことがある。高速道路の状況、降雪の多い地区の山間部の道路状況などの対策は、把握も、そして事態が発生した以降の対応もなかなか難しい。しかし物流の大半がトラック輸送に限られている状況では、的確な対応が必要のようだが、なかなか具体化されていない。その対策の困難さが一般に知らされていないことが、管理者と利用者の相互の不幸のような気がする。
同時に私はこのように国の過疎化と高齢化が進展していること、そして広域の激甚災害が多発している現況、災害の複合化を踏まえれば、自治体ごとの組織である消防組織よりも、県レベルあるいは数県レベルで組織するような「災害救助隊」の創設が必要かもしれないと感じている。災害対応は人海戦術と、高度な技術と重機の操作、並びに医療技術の基礎が同時に必要となる。
何でもすぐに自衛隊というのは私には理解できない。もっとも今は災害救助に際してそのような組織しかないのだから、ここを頼りにするしかないのだ。しかしだからと言って自衛隊が国民のコンセンサス・支持を集めているというのは即断・牽強付会である。むろん災害に際して献身的に貢献してくれた隊員一人ひとりには誰もが頭を下げる。感謝するのは人として当然の行為であろう。しかし、本来業務が災害救助ならば、銃器や兵器は必要などないのだ。災害救助活動が必要だから自衛隊が必要だというのは、本末転倒であるとしか言いようがない。議論の前提が間違っているとしか言いようがない。
そんなことを考えながら昼過ぎまで過ごした。お昼には古事記を紐解きながら、時々外の雪景色を楽しんだ。夕方少し前には、団地内の除雪状況・足場の現況を見回ったのち、横浜駅まで歩いてみた。大方は歩道の雪掻きが出来ていたが、「地域のコミュニケーションに貢献する○○不動産」というそれなりの企業のビルの前はまったく雪掻きがされていないのが印象に残った。
不動産業だから日曜は営業しているところが大半であるし、そこの会社の事務スペースには電気がともっていた。にも関わらず、人の出入りはない。周囲の商店はきれいに除雪してあるので、ビルの幅は10メートルほどだから周囲の商店で対応できないことはない。それをわざとのように除雪していないということは、おそらく普段の周囲の商店とのコミュニケーションも問題があるのだろうと推察した。この不動産会社には生涯お世話になりたくないと感じた。
夕刻前の横浜駅はものすごい人出であった。雪に閉じ込められていた鬱憤を本日解放したような感じもした。
夕食前に自宅に戻り夕食までの一時、久しぶりにウィスキーを飲んでみた。学生のころ、ある先輩が「冬こそウィスキー、ロックがうまい」と言っていたことをふと鮮明に思い出した。普段思い出すこともない名前だが、その先輩は今頃何をされているのだろう。いろいろとお世話になったことも思い出された。ふと昔のことを思い出す‥それは若くない証拠なのかもしれない。