この「ラファエル前派」展はイギリスのテート美術館の所蔵品展ということである。この作品鑑賞会に応募して抽選にあたり、参加してきた。ラファエル前派については以下の朝日新聞の解説がわかりやすいと思うので、以下要約してみる。
ラファエル前派(兄弟団)は1848年、ロイヤル・アカデミー(王立美術院)付属の美術学校の生徒だったジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-96)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-82)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)の3人を中心に結成。
彼らは、ラファエロ以来の規範に縛られた英国美術の改革をめざし、ラファエル以前のイタリアや北方ヨーロッパ美術に理想を求めた。
文学や宗教といった伝統的題材を扱う一方、同時代も批評的な視点から主題とした。自然をありのまま精細に表し、戸外で写生。鮮やかな色彩も特徴的だ。
監修したテート美術館のアリソン・スミスさんは「仏の印象派に20年以上先駆けて登場した『前衛』」と位置付ける。
ミレイは家族や知人をモデルとして「両親の家のキリスト」を描き、物議を醸した。文豪ディケンズは作業台の前の聖母マリアを「怪物」と酷評した。「理想的な姿を描く宗教画の約束から外れ、ミレイは過去を描いた絵を観客により身近なものにした」とアリソンさんは指摘する。
さらにウィリアム・ダイスの「ペグウェル・ベイ、ケント州―1858年10月5日の思い出」。中央上部に、この日から数日後、地球に最接近したドナーティ彗星(すいせい)が描かれている。「自然科学への関心もラファエル前派の特徴。人間が悠久の時の流れの一部でしかないことを示している。」
しかし、グループとしての活動は長くは続かなかった。芸術性の違いや私生活のもめ事から、50年代半ばには別々の道を歩み出す。
ロセッティはイタリアのティツィアーノらに影響を受け、官能的な女性像を創造し純粋な美を追求。エドワード・バーンジョーンズら「第2世代」の参加は、新たな潮流も生んだ。
アリソンさんは「異なる個性を持つ彼らがそれぞれどのように活動し、影響し合ったか。初期から後期までの作品を通し、『革命』の全貌を解き明かす機会」。
会場に入ってまず受けた私の印象は次のとおりであった。色彩については青と緑の氾濫ではないかという強い印象を受けた。当時商品化されたばかりのコバルトブルーを多用したらしいことなどは図録に示されている。この青の豊かな表情に惹かれた。
そして次の印象は、絵が持っている物語性。この物語性を抜きにしてはどの絵も鑑賞が成り立たないといわんばかりではないだろうか。人物ひとりひとりに託された寓話や神話・物語に思い至らないと残念ながら鑑賞できないようになっている。ただし聖書やギリシャ神話にこだわらず、シェークスピアであったりふとした日常の事件であったりと理解されやすい場面が選ばれていることは、私たちにも鑑賞することが容易い。
そして私は、ロセッティー、バーンジョーンズという系譜はそのまま1890年代以降のいわゆる世紀末美術といわれるクリムトなどの女性像に直結していると感じた。
イギリスを代表する絵画の潮流、私などが全体を述べる力量などどこにもないので、いつものとおりあくまでも私の感覚だけの感想を綴ってみる。
私の眼を惹いた絵を挙げてみたいが、ロセッティーの「ベアタ・ベアトリックス」(1870)をまず挙げてみたい。
この絵、新聞などではかなりくすんで朦朧として見える。亡くなった妻を描いた絵であり、それは画家の悔恨がそうさせたらしい。しかし実際この絵を見るとその朦朧とした画面によって、死の使いを象徴する赤い鳥が奇妙にリアルである。とても生々しい。肉体を思わせる赤が実にリアルである。この生々しさを引き立てるように背景は朦朧としている。死のリアリティ、死は実はとてもリアルで生きている人間のすぐ横に控えていることの暗示を感じ取った。この鳥が、描かれた女性の恍惚ともいえる表情のリアリティを強調していると感じた。
次に目を惹くのはミレイの「オフィーリア」(1852)。夏目漱石の「草枕」に出てくる作品として有名である。東京芸大で開催された「漱石の美術世界」展でも取り上げられていたが、モノクロの複写しか展示されていなかった。是非実物を見たかった。
思った以上に花の色合いが美しい。一人の人間が溺れていく様を描いたことになっているが、実際には、このように人は死んではいかないそうである。だがこのような死への願望はある。自然の中に溶け込んでいく、帰って行きたいという願望を表現したともいえる。これならば人は救われながら死を迎えられるのかもしれない。長年実物を見たくてようやく見ることができた絵である。
そして是非取り上げたかったのがロセッティの「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」(1850)。天使には羽が無く、マリアは人間の表情を持ち、緊張し茫然とし、戸惑い、身構え、怯えている。実に人間的な反応を示すことで、受胎告知という題材は現代性を獲得したと私は感じた。青と赤と薄い黄色の配置がとても美しい。青はマリアの昇天後の天井での地位を示し、赤は生まれることの受難を象徴し、黄(金)はマリアの神性、白ユリはマリアの純潔を示すという仕掛けは生きているが、舞台は現実世界に降りている。
ジョン・ミレイのこの「マリアナ」(1851)はとても不思議な雰囲気がして惹かれた。先ほども書いたように新しい商品としてのコバルトブルーの絵の具を画面の中心に据えているのだが、まずはこの色に惹かれた。次に窓枠のステンドグラスは解説によるとマリアの受胎告知の場面であるらしい。
シェークスピアの物語に基づくこの絵の女性の仕草は受胎告知のマリアとはかなり違って、艶めかしさが漂っている。コバルトブルーの深い色がその艶めかしさを強調している。椅子の赤も同様だ。ステンドグラスに描かれた人物の聖性とは対照的な女性とその周囲の室内のしつらえという対照が新しい絵画の息吹を暗示しているように感じた。アバンギャルドなのであろう。
最後に挙げるウィリアム・ダイスの「ペグウェル・ベイ、ケント州-1858年10月5日の思い出」は白亜紀という時代名称の基となった白亜の断崖が描かれている。浜辺には様々な貝類などが描かれ、そして中央上部の空には題名の年月日に地球に接近していたドナーティ彗星が描かれている。
彗星が描かれた絵画は珍しいが、地質学的、生物学的興味、天文学的興味をふんだんに取り入れたこの絵は、かなり時代の雰囲気を取り入れた絵ということだ。ラファエル前派の風景画は、画面のすべてにの場所に焦点があたり、綿密に描かれているという。この絵もその通りである。手前4人の描き方が少し妙なのはそんな影響であるらしい。 絵として特に興味は惹かれなかったが、彗星ということで取り上げてみた。この彗星、19世紀でもっとも明るく輝いた彗星で、初めて写真撮影されたという。次に地球に接近するのは3811年、つまり1797年後という途方もない長周期彗星である。幕末の観測記録も実在するとのこと。