このブログにリンクを貼っている「如月より」の大納言様が夢について記述している。
私は昔、夏目漱石の「夢十夜」を読んで、自分も夢の記述をしようと考えたことがある。まだ10代の半ばころのことであった。その時分は確かに夢を見ていた。しかし記述しようとするとどうもうまく記述できなかった。記述する能力に欠けていたと思う。また文章を書く訓練もしていなかった。語彙も貧弱だったと思う。少しも書けずに放り出した。
そんなことをすっかり忘れてしまっているうちに、20代になったころ、また夢が気になった。いつも何かに追われる夢を見るようになった。夢に唸らされて目が覚めることが続いた。何かに脅迫されているような切羽詰まった感じの夢を連続してみるようになったと思う。しかし記述しようということはしなかった。
そのような夢も20代半ばには見ることもなくなり、それ以来これまで夢を見た記憶がない。夢は多分、確かに見ているとは思うが、朝になって目が覚めるとまったく覚えていない。時たま、年に数回程度「夢を確かに見たような記憶」が目覚めた朝に残っていることがあるが、どんな夢だったのかまるで記憶にない。
最近は眠りが浅いようで、寝入っても短時間でいったん目が覚める。1時ころに就寝して3時ころ、5時ころと二度ほど目が覚め、8時近くに起きる。5時から8時の間が一番「寝た」という実感が湧く時間帯である。
それでも夢についての記憶がまったくない。
妻に言わせると「幸せだね」という。妻は時々夢でうなされたと思い目が覚めることがある。私が起きていると妻は「今うなされていなかった?」と聞くが、そんな様子はいつもまるでない。しかしいろいろな夢を見ているようで、時々語って聞かせてくれる。なかなか面白い舞台、お芝居の内容を聞かせてくれる。かなりしっかりと覚えているようだ。
妻の話を聞きながら、夢についての記憶がない私は、時空を自在に駆け巡る夢の世界を味わってみたいといつも思う。
どうしたら夢を見ることができるのであろうか。ふとした弾みで夢を見て、記憶している自分があったらどうするだろうか。きっと記述しようと試みると思う。

日記・雑談 ブログランキングへ
私は昔、夏目漱石の「夢十夜」を読んで、自分も夢の記述をしようと考えたことがある。まだ10代の半ばころのことであった。その時分は確かに夢を見ていた。しかし記述しようとするとどうもうまく記述できなかった。記述する能力に欠けていたと思う。また文章を書く訓練もしていなかった。語彙も貧弱だったと思う。少しも書けずに放り出した。
そんなことをすっかり忘れてしまっているうちに、20代になったころ、また夢が気になった。いつも何かに追われる夢を見るようになった。夢に唸らされて目が覚めることが続いた。何かに脅迫されているような切羽詰まった感じの夢を連続してみるようになったと思う。しかし記述しようということはしなかった。
そのような夢も20代半ばには見ることもなくなり、それ以来これまで夢を見た記憶がない。夢は多分、確かに見ているとは思うが、朝になって目が覚めるとまったく覚えていない。時たま、年に数回程度「夢を確かに見たような記憶」が目覚めた朝に残っていることがあるが、どんな夢だったのかまるで記憶にない。
最近は眠りが浅いようで、寝入っても短時間でいったん目が覚める。1時ころに就寝して3時ころ、5時ころと二度ほど目が覚め、8時近くに起きる。5時から8時の間が一番「寝た」という実感が湧く時間帯である。
それでも夢についての記憶がまったくない。
妻に言わせると「幸せだね」という。妻は時々夢でうなされたと思い目が覚めることがある。私が起きていると妻は「今うなされていなかった?」と聞くが、そんな様子はいつもまるでない。しかしいろいろな夢を見ているようで、時々語って聞かせてくれる。なかなか面白い舞台、お芝居の内容を聞かせてくれる。かなりしっかりと覚えているようだ。
妻の話を聞きながら、夢についての記憶がない私は、時空を自在に駆け巡る夢の世界を味わってみたいといつも思う。
どうしたら夢を見ることができるのであろうか。ふとした弾みで夢を見て、記憶している自分があったらどうするだろうか。きっと記述しようと試みると思う。

日記・雑談 ブログランキングへ