Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

予報どおりに雪

2014年02月04日 21時09分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜では、予報どおりの時間帯に、予報どおりに雪が降ってきた。そしてほぼ予報どおりに雪は上がった。気象庁の予報精度、確かにすごいものである。
 妻はすぐやんでしまって、積もらなかったことにがっかりしていた。しかし雪害に対応しなくてはいけない組織や人々にとってはホッとしたと思う。私も現役のころのことを考えてホッとした。もう出動することもないのだが。
 雪がうれしいという気持ちは十分理解できる。雪の都会はその景色を一変する。新しい都市を発見するまたとない機会でもある。しかしその雪の景色の背後には、雪に苦労する人々の存在を少しでも思ってくれるとありがたい。それだけでも雪という事態に対処している人間には大きな励みになる。
 近年はマンション住まいが多数派であり、マンションの出入口付近の雪掻きもそこの住民から自治体などに雪掻き要請が来る始末である。賃貸マンションの管理会社からも自治体に「マンション前の雪掻きに来る時間が遅い」と怒鳴られることもあった。駐車場の前の道路の雪掻きをしないのは「役所の怠慢」であると、1人で20分もあれば雪掻きできる場所のことで1時間以上電話で怒鳴られたこともあった。雪が降っているのにノーマルタイヤで動けなくなり、営業補償を求めて怒鳴り込んで来た人間もいた。ある飲食関係のチェーン店の若い店長は「入り口に積もった雪で客が店に入って来られない。役所の責任である」と店員をわざわざ言いに寄越した。
 いづれも対応していてはらわたが煮えくり返ったが、追い返すわけにもいかない。貴重な時間の無駄と分っていても対応しなくてはいけない。その対応で、学校などの周辺や歩道橋の除雪など、必要な除雪についての依頼や連絡が遅くなるのだが、ヤキモキしながら耐えていた。
 実は雪掻きが終わったある日の夜、駅の近くの居酒屋で数人で軽く慰労会をしていた時、隣の席に民間バスの社員が居て、やはり雪掻きの疲れを癒していた。意気投合して話を聞いたら、バス停の周りの除雪をしていて、若い店長に「店の前も除雪しろ」と怒鳴られ「対応できることではない」と反論したところ、喧嘩になったとのことを聞いた。その時には隣の古くからあるらしい商店主が、若い店主を諭して助けてくれた、とその年配の社員は言っていた。
 災害という事態は、人々のつながりが発揮されるときでもあるが、同時にその反対も露骨に表現されるときでもある。人と人のつながりのプラスにもマイナスにも面と向かわなければならない。醜い場面ばかりを見てしまうと、とてもこんな仕事にはつきたくないと思い込んでしまうものである。逆にその反対の面をつとめて見ようとすれば、それも見えてくる。災害対応というものは人を前向きに成長もさせるが、そうでない場合もある。若い人には日頃の災害を、前向きにいい経験として蓄積してほしいと思う。それは公として関わる場合も、民として関わる場合も、ボランティアとして関わる場合も、差はないような気がする。




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NHK「トルストイの大地」ほか

2014年02月04日 13時05分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 朝から小雨がバラつき予報通りかなり寒い。風邪から回復したばかりの体調ではウォーキング・ジョギングはよくないので、本日は自粛。
 夕方からの講座でみなとみらい地区に出向くだけの一日になりそうである。夕方は雪が降るとの予想なので会場まで歩くのもやめ、みなとみらい線で行った方が良さそうである。

 朝食の後、ボーっとテレビを見ていたらNHKのハイビジョンスペシャルで、「よみがえるロシア芸術の輝き」と題して、昨日の「サンクトペテルブルク 音楽の都300年の物語~ゲルギエフとたどる栄光と苦難」に続いて「トルストイの大地 ~辻井喬のロシア・ユートピア巡礼~」を放映していた。
 トルストイについては膨大な作品群があるのは知っているし、文庫本で読んでみようと何度も手に取ったことはあるが、この歳まで結局は読んでいない。トルストイよりもドストエフスキーに魅入られた方である。トルストイというとちょっと高潔すぎて、恐れおおい、近寄りがたいという印象が強かった。ドストエフスキーという作家の自己破壊型の性格から生み出されるデモーニッシュな人物造形に強く惹かれていた。今でもそうだ。
 だから初めてトルストイという作家の解説を知る機会だと思い、この番組を見ることにした。トルストイという作家よりも、トルストイという作家の信仰・思想の影響を受けてコミューンなる共同体を形成した人々のソビエト時代以降の苦難の歴史を追う番組となっている。トルストイの晩年の思想と不可分のことらしいが、このようなトルストイ的信仰といいかえてもいいような閉鎖的な集団には、違和感はあるが、このような集団の発生と持続と現在の解体状況というのはある種の興味はある。
 20世紀の強権的な国家建設の中で、それに包摂されることを拒否する集団、自給自足に近い農業共同体的な理想は、スターリン体制の強権による悲惨な抑圧を経験した。しかしツァーリズムの圧迫を逃れ、トルストイの援助のもとカナダに渡っという信仰集団もその地で結果としては時間とともに解体され、後裔が再びロシアに戻っているという。他の残された集団も今後ロシアを覆い尽くす資本の論理で自給自足の集団の存在そのものが解体されることが当然にも予想される。
 このような集団が現代にどのように生き延びようとするのか、その可能性はあるのか。私には不可能性の極限のような試みに感じる。しかしロシアという地に根付いた人々の文化の根強さにあらためて驚き、時間という物差しのいろいろなあり様、表れ方もまた文化の変容の複雑な側面を見せてくれるものであると思った。
 明日は、「知られざるロシア・アバンギャルドの遺産 ~スターリン弾圧を生き延びた名画~」ということでこれは見逃すわけにはいかないが、朝から講座なので録画するしかない。

 昨日は、2003年に建都300年を迎えたサンクトペテルブルグの音楽をめぐる物語。グリンカに始まる近代ロシア音楽の歴史を、5人組(バラキレフ、キュイ、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ、ボロディン)、チャイコフスキー、ストラビンスキー、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフと紹介していった。特にナチスドイツに包囲された時のレニングラード包囲戦の証言などもあったが、1917年の革命、スターリン評価とショスタコーヴィチの評価とすべてを絡めてこれだけの時間で語ってしまうというのは無理があると思われる。
 その無理を承知で見る分には十分に楽しめたということにしておこう。




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