横浜では、予報どおりの時間帯に、予報どおりに雪が降ってきた。そしてほぼ予報どおりに雪は上がった。気象庁の予報精度、確かにすごいものである。
妻はすぐやんでしまって、積もらなかったことにがっかりしていた。しかし雪害に対応しなくてはいけない組織や人々にとってはホッとしたと思う。私も現役のころのことを考えてホッとした。もう出動することもないのだが。
雪がうれしいという気持ちは十分理解できる。雪の都会はその景色を一変する。新しい都市を発見するまたとない機会でもある。しかしその雪の景色の背後には、雪に苦労する人々の存在を少しでも思ってくれるとありがたい。それだけでも雪という事態に対処している人間には大きな励みになる。
近年はマンション住まいが多数派であり、マンションの出入口付近の雪掻きもそこの住民から自治体などに雪掻き要請が来る始末である。賃貸マンションの管理会社からも自治体に「マンション前の雪掻きに来る時間が遅い」と怒鳴られることもあった。駐車場の前の道路の雪掻きをしないのは「役所の怠慢」であると、1人で20分もあれば雪掻きできる場所のことで1時間以上電話で怒鳴られたこともあった。雪が降っているのにノーマルタイヤで動けなくなり、営業補償を求めて怒鳴り込んで来た人間もいた。ある飲食関係のチェーン店の若い店長は「入り口に積もった雪で客が店に入って来られない。役所の責任である」と店員をわざわざ言いに寄越した。
いづれも対応していてはらわたが煮えくり返ったが、追い返すわけにもいかない。貴重な時間の無駄と分っていても対応しなくてはいけない。その対応で、学校などの周辺や歩道橋の除雪など、必要な除雪についての依頼や連絡が遅くなるのだが、ヤキモキしながら耐えていた。
実は雪掻きが終わったある日の夜、駅の近くの居酒屋で数人で軽く慰労会をしていた時、隣の席に民間バスの社員が居て、やはり雪掻きの疲れを癒していた。意気投合して話を聞いたら、バス停の周りの除雪をしていて、若い店長に「店の前も除雪しろ」と怒鳴られ「対応できることではない」と反論したところ、喧嘩になったとのことを聞いた。その時には隣の古くからあるらしい商店主が、若い店主を諭して助けてくれた、とその年配の社員は言っていた。
災害という事態は、人々のつながりが発揮されるときでもあるが、同時にその反対も露骨に表現されるときでもある。人と人のつながりのプラスにもマイナスにも面と向かわなければならない。醜い場面ばかりを見てしまうと、とてもこんな仕事にはつきたくないと思い込んでしまうものである。逆にその反対の面をつとめて見ようとすれば、それも見えてくる。災害対応というものは人を前向きに成長もさせるが、そうでない場合もある。若い人には日頃の災害を、前向きにいい経験として蓄積してほしいと思う。それは公として関わる場合も、民として関わる場合も、ボランティアとして関わる場合も、差はないような気がする。
日記・雑談 ブログランキングへ
妻はすぐやんでしまって、積もらなかったことにがっかりしていた。しかし雪害に対応しなくてはいけない組織や人々にとってはホッとしたと思う。私も現役のころのことを考えてホッとした。もう出動することもないのだが。
雪がうれしいという気持ちは十分理解できる。雪の都会はその景色を一変する。新しい都市を発見するまたとない機会でもある。しかしその雪の景色の背後には、雪に苦労する人々の存在を少しでも思ってくれるとありがたい。それだけでも雪という事態に対処している人間には大きな励みになる。
近年はマンション住まいが多数派であり、マンションの出入口付近の雪掻きもそこの住民から自治体などに雪掻き要請が来る始末である。賃貸マンションの管理会社からも自治体に「マンション前の雪掻きに来る時間が遅い」と怒鳴られることもあった。駐車場の前の道路の雪掻きをしないのは「役所の怠慢」であると、1人で20分もあれば雪掻きできる場所のことで1時間以上電話で怒鳴られたこともあった。雪が降っているのにノーマルタイヤで動けなくなり、営業補償を求めて怒鳴り込んで来た人間もいた。ある飲食関係のチェーン店の若い店長は「入り口に積もった雪で客が店に入って来られない。役所の責任である」と店員をわざわざ言いに寄越した。
いづれも対応していてはらわたが煮えくり返ったが、追い返すわけにもいかない。貴重な時間の無駄と分っていても対応しなくてはいけない。その対応で、学校などの周辺や歩道橋の除雪など、必要な除雪についての依頼や連絡が遅くなるのだが、ヤキモキしながら耐えていた。
実は雪掻きが終わったある日の夜、駅の近くの居酒屋で数人で軽く慰労会をしていた時、隣の席に民間バスの社員が居て、やはり雪掻きの疲れを癒していた。意気投合して話を聞いたら、バス停の周りの除雪をしていて、若い店長に「店の前も除雪しろ」と怒鳴られ「対応できることではない」と反論したところ、喧嘩になったとのことを聞いた。その時には隣の古くからあるらしい商店主が、若い店主を諭して助けてくれた、とその年配の社員は言っていた。
災害という事態は、人々のつながりが発揮されるときでもあるが、同時にその反対も露骨に表現されるときでもある。人と人のつながりのプラスにもマイナスにも面と向かわなければならない。醜い場面ばかりを見てしまうと、とてもこんな仕事にはつきたくないと思い込んでしまうものである。逆にその反対の面をつとめて見ようとすれば、それも見えてくる。災害対応というものは人を前向きに成長もさせるが、そうでない場合もある。若い人には日頃の災害を、前向きにいい経験として蓄積してほしいと思う。それは公として関わる場合も、民として関わる場合も、ボランティアとして関わる場合も、差はないような気がする。
日記・雑談 ブログランキングへ