等伯の絵が気に入って、今年になってからも幾度か取り上げた。「もっと知りたい」シリーズの長谷川等伯(黒田泰三著)を時々めくってみている。


本日は晩年の作品に位置づけられる「四季柳図」。上が右隻、下が左隻。解説では最近発見されたと記されている。いつなのかまでは記載がないので、詳しいことは分からない。
さて、この絵について解説も読まずにいつも眺めていた。シンプルで好きな絵である。右隻に春と夏の柳の葉が描かれ、左隻には秋と冬の葉が描かれていると解説に書いてある。確かに一番右端は葉が小さく、次第に大きく茂った葉になる。左隻になると中央から左に夏より長くなった葉が少しまばらになり、左端では枝が目立ち残った葉が寂しげである。春は2本、夏秋冬それぞれ幹は1本ずつ描かれている。
私の理解はここまでであった。しかしよく目を凝らして見ると右隻の背景には柴の垣根が描かれている。そして左隻にも秋の幹の後ろにも柴の垣根が描かれていた。さらに冬の木が一番太く鮮明に描かれていることとも気がついた。
しかし大事な点はこれだけではなかった。解説を先ほど初めて目をとおしたら、冬の貴にうっすらと白く雪が描き込まれているという。これはまったく気がつかなかった。確かに白く彩色されている。冬の木をことさら太く描いたのは、この雪を強調するためだったのだろうか。そして秋と冬の木と、柴の垣根の間に倒木らしき木が1本横たわり、その木にも雪が積もっている。
この雪に気がつくかどうかで、画面がどのように変化するのであろうか。葉がほとんどなくなった冬枯れの枝だけでは緑の色が中心にだけ偏り、視線が中央だけに向かってしまう。そのために左端の冬の幹を相対的に太く手前に描いたのであろうが、それだけでは視線が中央に向かってしまうのを防ぐには力不足である。この白があることでかろうじてこの左隻の左右のバランスが保たれているように感じた。
あらためて等伯という画家の見る人の視線を意識した構図の取り方に感心した。


本日は晩年の作品に位置づけられる「四季柳図」。上が右隻、下が左隻。解説では最近発見されたと記されている。いつなのかまでは記載がないので、詳しいことは分からない。
さて、この絵について解説も読まずにいつも眺めていた。シンプルで好きな絵である。右隻に春と夏の柳の葉が描かれ、左隻には秋と冬の葉が描かれていると解説に書いてある。確かに一番右端は葉が小さく、次第に大きく茂った葉になる。左隻になると中央から左に夏より長くなった葉が少しまばらになり、左端では枝が目立ち残った葉が寂しげである。春は2本、夏秋冬それぞれ幹は1本ずつ描かれている。
私の理解はここまでであった。しかしよく目を凝らして見ると右隻の背景には柴の垣根が描かれている。そして左隻にも秋の幹の後ろにも柴の垣根が描かれていた。さらに冬の木が一番太く鮮明に描かれていることとも気がついた。
しかし大事な点はこれだけではなかった。解説を先ほど初めて目をとおしたら、冬の貴にうっすらと白く雪が描き込まれているという。これはまったく気がつかなかった。確かに白く彩色されている。冬の木をことさら太く描いたのは、この雪を強調するためだったのだろうか。そして秋と冬の木と、柴の垣根の間に倒木らしき木が1本横たわり、その木にも雪が積もっている。
この雪に気がつくかどうかで、画面がどのように変化するのであろうか。葉がほとんどなくなった冬枯れの枝だけでは緑の色が中心にだけ偏り、視線が中央だけに向かってしまう。そのために左端の冬の幹を相対的に太く手前に描いたのであろうが、それだけでは視線が中央に向かってしまうのを防ぐには力不足である。この白があることでかろうじてこの左隻の左右のバランスが保たれているように感じた。
あらためて等伯という画家の見る人の視線を意識した構図の取り方に感心した。