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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は皆既月食

2014年10月07日 23時13分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 台風18号によって横浜市内でも土砂崩れの被害が起きた。緑区でアパートに崖崩壊の土砂が流れ込み1人が亡くなり、中区の寺の仮本堂が土砂でつぶされ1人が亡くなったという報道を聞いた。
 さらに大きな河川の溢水もあり、後処理に時間もかかる状況になっている。

 さいわいにも私の住んでところは河川の溢水の心配もないし、土砂崩れもおそらく心配ない場所である。「大変だね」などとご心配のメール等をいただき恐縮している。台風は無事にやり過ごすことができた。

 明日は皆既月食。お酒は控えて夜には双眼鏡でも持ち出して空を見上げてみよう。昨日記載したとおり、天王星を視野に入れられるだろうか。

【日刊☆こよみのページ】から拝借(要約)すると
18時15分 部分月食の始まり
19時25分 皆既月食の始まり
19時55分 最大食分(食分 1.17)
20時25分 皆既月食の終わり
21時35分 部分月食の終わり
東京の月の出は17時07分、日没はその少し後の17時16分。
日が沈んで東の空から昇り始めたばかりの満月が、下の方からかけ始める。
最大食分の1.17というのは、1.00を超えると皆既月食、それ未満なら部分月食を示す。
今回は皆既月食となっても月が見えなくなることはなく、地球の大気で屈折した太陽の赤い光で赤褐色の月が見え続けているはずである。

本日の講座は3講座

2014年10月07日 21時20分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 10月3日に「平家物語のこころに親しむその7」の講座では、平家物語の巻第三の俊寛の最後のありさまのところの解説があった。「有王」の段と「僧都死去」の段である。
 この解説の中で、鹿ケ谷事件で配流になった先が「鬼界が島」となっいるが、私は中学の頃から遠い辺境の絶海の島と教わって、そのまま理解していた。ところがこの島、当時の中国や朝鮮の地図には「硫黄島」と記され、硫黄の産地として知られていたとのことであった。
 平氏の日宋貿易の輸出品として銀が重要であるが、硫黄も重要な輸出品であったらしい。鬼界が島から博多を経由した硫黄の交易ルートが確立していた可能性がある。つまり平氏の政権はこの島に息のかかった者を配置していたか、あるいは薩摩などの国司を通じて平氏が権益を確保していた可能性が高い。つまり単なる辺境の絶海の小島ではなく、採掘の労働力の確保や生産品の管理等多くの人が住み、町場などを形成していたことも考えられる。
 鬼界が島は都から遠い辺境の地であるが、平氏の息のかかった人間が現地に配置されていたため監視の目が行き届きやすかったことが配流の地として選定された可能性が高い。決して人跡未踏の絶海の孤島ではなかったのだ。同時にそこでの事務的な下働きをして、懲役のような実態であったことも想像できる。
 襤褸を纏い彷徨する俊寛の姿ではなく、それなりの生活をしていた可能性が高い。襤褸を纏い、食糧を求めてさ迷い歩く俊寛の姿は、物語の劇的な効果のための大いなる潤色、あるいは一人残されたことによる絶望に基づく脚色と理解する方が良いようだ。
 また、俊寛の娘の出家は俊寛の死による絶望、と思っていたが、有王に託された手紙の内容が当時の女子一般の教養に届かない稚拙なものであったため、成人後の身の振舞いに危惧を感じた有王の示唆による出家ととらえる方がより物語に即した理解らしい。これも一人で読んでいる分にはわからなかった点であった。

 本日の古代史講座は「北海道をめぐる古代・中世交流史~本州・北方ユーラシア」と題した北海道大学アイヌ・先住民研究センターの簑島栄紀准教授の講演。とても興味がある題なのだが、2時間の内45分しか聴くことが出来なかったのは残念。資料がたくさんあるのでじっくりと読みこみたい。
 擦文文化、オホーツク文化が並行して存在した文化であることをあらためて教え衒ったが、同時にアイヌ文化期がそれらに続く文化として出現したのではなく、このふたつの文化に埋もれながらも並行して存在していた可能性なども指摘されており、刺激的な内容であった。アイヌ文化が本州で云うと古墳時代にまでさかのぼる古い古層に根ざしていたことになる。文化に対する正しい認識こそが今問われている。

 源平盛衰記の講座も、平家物語の講座と同じ講師であるが、これもなかなか面白い。ただ源平盛衰記は平家物語よりは読みづらい面がある。漢文調の表記もあり、復習をしながら楽しむこととしたい。久しぶりに古文の世界に遊ぶというのは楽しい。

 本日の午後の講座は「韓国の歴史と日本:近代史中心に」という題で松本武祝東京大学農学生命科学研究科教授の講演。農業経済学の立場から日本の植民地支配された朝鮮半島の歴史を概括する内容。日本に植民地化された朝鮮が工業化が遅れ、強引で実情に合わない農業近代化が占領政策史として強行されたこと。そのために日本国内より農村の疲弊がひどく農村を離れざるを得なかった農業人口を工業化で吸収できずに日本への流入を促進したことなどが指摘された。
 できればこの状況の説明・解明をもっと詳しくじっくりと聞きたかったと思う。

 明日は講座はない。平家物語の講座の復習も少ししておこうと思う。同時に上野の森美術館の北斎展、と国立西洋美術館のホドラー典、または近代美術館の菱田春草展への誘惑もある。どれかに絞らなければならないのがつらい。