横浜でも9月に入ってから、幾度も秋の雲らしい雲を見てきたが、本日はたまたまカメラを手にしていたので桜木町から高島町に向かう途中で撮影してみた。
人々は暑さに汗を拭いながら行き交っているが、空を見上げる人はいない。手のひらに握れば隠れてしまいそうなカメラを空に向けて立ち止ると、不思議そうな顔をして通り過ぎていく。
歩く人の邪魔にならないように自動販売機の影に隠れるように立ってみたが、それでも目立つのだろうか。カメラのレンズの向かう方なんか意地でも見てたまるか、カメラを構える人間の顔は不思議な顔をしているようだ、などと言いたげに私の顔を覗き込みながら足早に通り過ぎていく。
このように私の横を通り過ぎて行った人は、私の人生でどのくらいいたのかふと数えてみたくなったが、数える手だてなどどこにも転がっていない。空にも浮かんでいない。
スマホの故障後の扱いやらメールの不調などが思うようにならなくて、今日は朝からイライラしている。空の雲を見ているとようやく気分が少し落ち着いてきた。少しだけ、人も自分も許容できる気分になれた。
秋の雲はやはり時間と空間を現在から離して鑑賞したい。異郷で見たい、あるいは遠い時間を隔てて思い出したい。鰯・鱗・鯖、秋の雲が魚に関連してよばれるのはなぜだろうか。形状の似ていることだけではなく、生活に結びついた解釈の方がなんとなく納得してしまう。しかしこの雲が出るとイワシが豊漁になるいうのは、実際のところあたっていることなのか確かめようもない。
★秋の雲しろじろとして夜に入りし 飯田蛇笏
★秋の雲立志伝みな家を持つ 上田五千石
★日高見の鬼は転た寝秋の雲 千里香
★秋雲やふるさとで売る同人誌 大串章
★鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨
★絹雲やローマの快楽きざむ石 小長井和子
★紅顔も立志も遙か鰯雲 関根礼子
★子が少し離れて歩くいわし雲 中嶋陽子
★思い出は銃口に似る鰯雲 木村和也
★いわし雲出処進退問はれいて 鈴木功