Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜歴史博物館「大おにぎり展」

2014年10月19日 22時12分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 秋晴の日曜日、横浜歴史博物館で開催している「大おにぎり展-出土資料からみた穀物の歴史」を見てきた。
 表題を見てふっと力を抜いた企画かと思ったが、とても面白かった。
 縄文時代の木の実、特にクルミやドングリを利用したいわゆる縄文クッキーから、弥生時代の遺跡から出てくる炭化米の塊の分析をとおした米の食べ方の推定、そして現代までの米の調理法にまで言及されている。

 調理法については土器を使ったさまざまな方法がまとめられており、大変わかりやすかった。カメラを忘れたので調理法を記したパネルを撮影することが出来なかった。入場料300円なのでもう一度会期内に行って撮影しておこうと思った。

 詳しくは資料のとおりだが、どうしても理解できなかったことがある。それは弥生時代の土師器・須恵器に残るモミや米粒の痕跡がどうして残っているのか?ということ。
 焼成した後、調理や保存時にこれらの痕跡が残るということは考えられないと思う。
 すると焼成以前、土を成形した段階、まだ土が柔らかい時点でこれらの穀物が張り付いて、そのまま焼成したために痕跡として残ったと考えた方が無理はないと思う。いつの時点でこの痕跡がついたのかということについては展示では触れていなかったと思う。
 しかし縄文土器は表面を丁寧に飾ったりしているので、土器の表面にゴミが付着したり、大事な穀物などが付着したまま焼成することは考えられない。弥生時代になって土器の作り方、装飾の仕方がいい加減になったのだろうか。それもまた少し乱暴な推測だと思う。
 大切な容器だから、丁寧な作りをしているはずである。どこかの工房でまとめて作っていたとすれば、モミなどの穀物が乱雑に散らばっていたとも思われない。
 考えられるとすれば、焼成前のまだ土を乾かす前に、たとえば稲藁などで覆って直接日が当たらないような乾燥の仕方をしていたか、あるいは容器としての機能が果たせるような呪術的な祭祀がモミを使って行われ、そのときに貼り付いてしまった、などではないだろうか。今度機会があったら専門家の方に聞いてみたい。

   

         

日曜美術館「ホィッスラー」

2014年10月19日 12時25分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の「日曜美術館」はホイッスラーの特集。副題は「音楽のように どこまでも自由に 革新の画家・ホイッスラー」というもの。千住明が招かれていた。
 ホィッスラーの紹介は「多くの画家たちが、絵画の革新を目指して格闘を続けていた時代、「音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である」と語り、色彩と形のハーモニーに"美"を見出そうとした」となっている。

 1863年のフランスのサロンで、エドゥアール・マネの『草上の昼食』が落選となり、印象派の歩みが開始された。
 同時になったジェームズ・マクニール・ホイッスラーの『白の少女』も落選となっている。その4年前にロンドンに移っていたホイッスラーはラファエル前派と親交を結び、同時に日本の文物の収集を始め、大きな影響を受けるようになる。

 この番組では「白のシンフォニー No.3」などの一連の女性像のバックにはベートーベンの第4交響曲を選択していた。普段あまり聞かない第4番だが私はとても気に入っている曲である。ベートーベンがもっとも充実していた時期の曲で、有名な第3番「エロイカ」、第5番「運命」やバイオリン協奏曲などにうずもれてしまっているのが惜しい。この曲こじんまりしていて端正であるが、芯の強さが感じられる曲である。シューマンはこの第4番を「2人の北欧神話の巨人(第3番と第5番)の間にはさまれたギリシアの乙女」と例えたと云われている。それを踏まえた選択だと思う。エピソードからは女性像のバックにふさわしいが、曲の持つリズミカルな躍動感が発揮されている部分を選んでいる選択がとても気に入った。
 また海の情景などを描いた「ノクターン」シリーズにはショパンの「ノクターン第2番」。「青と金色のハーモニー:ピーコック・ルーム」の場面ではストラヴィンスキーの「火の鳥」。時代が違うがストラヴィンスキーとホイッスラーの重ね合わせはなるほどと思った。

 12月6日から横浜美術館での開催を期待している。