秋晴の日曜日、横浜歴史博物館で開催している「大おにぎり展-出土資料からみた穀物の歴史」を見てきた。
表題を見てふっと力を抜いた企画かと思ったが、とても面白かった。
縄文時代の木の実、特にクルミやドングリを利用したいわゆる縄文クッキーから、弥生時代の遺跡から出てくる炭化米の塊の分析をとおした米の食べ方の推定、そして現代までの米の調理法にまで言及されている。
調理法については土器を使ったさまざまな方法がまとめられており、大変わかりやすかった。カメラを忘れたので調理法を記したパネルを撮影することが出来なかった。入場料300円なのでもう一度会期内に行って撮影しておこうと思った。
詳しくは資料のとおりだが、どうしても理解できなかったことがある。それは弥生時代の土師器・須恵器に残るモミや米粒の痕跡がどうして残っているのか?ということ。
焼成した後、調理や保存時にこれらの痕跡が残るということは考えられないと思う。
すると焼成以前、土を成形した段階、まだ土が柔らかい時点でこれらの穀物が張り付いて、そのまま焼成したために痕跡として残ったと考えた方が無理はないと思う。いつの時点でこの痕跡がついたのかということについては展示では触れていなかったと思う。
しかし縄文土器は表面を丁寧に飾ったりしているので、土器の表面にゴミが付着したり、大事な穀物などが付着したまま焼成することは考えられない。弥生時代になって土器の作り方、装飾の仕方がいい加減になったのだろうか。それもまた少し乱暴な推測だと思う。
大切な容器だから、丁寧な作りをしているはずである。どこかの工房でまとめて作っていたとすれば、モミなどの穀物が乱雑に散らばっていたとも思われない。
考えられるとすれば、焼成前のまだ土を乾かす前に、たとえば稲藁などで覆って直接日が当たらないような乾燥の仕方をしていたか、あるいは容器としての機能が果たせるような呪術的な祭祀がモミを使って行われ、そのときに貼り付いてしまった、などではないだろうか。今度機会があったら専門家の方に聞いてみたい。