Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ベートーベン「ピアノ三重奏曲 大公」

2015年03月01日 22時02分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 いくつかの宿題を1時間ほどで片付けると本日のお仕事はおしまい。雨の音をバックに、本日のCDは、ベートーベンピアノ三重奏曲「大公」作品97。演奏は私のもっとも好みのバイオリニスト、ヨゼフ・スークの参画するスークトリオ。ピアノがヤン・パネンカ、チェロはヨゼフ・フッフロ。1975年の録音。私が就職した年の演奏である。40年前の録音がこのように美しいというのは嬉しいものである。
 この曲、どの楽章も捨てがたいが、本日は第三楽章のチェロの響きが美しいと感じた。寝るまでに3回くらいは聴けそうだ。

   

横浜は雨が強い

2015年03月01日 19時54分35秒 | 天気と自然災害
 横浜ではかなり強い雨が降っている。気温もこれまで8℃で推移している。これから気温が上がるような予報にはなっている。強風波浪注意報が発令されている。
 今年度後期の講座の資料・ノートの整理が終わった13時過ぎに、上野の東京国立博物館まで出かけようと思ったが、雨が強いので躊躇しているうちに時間が過ぎてしまった。
 しかし家に閉じこもっているのも飽きたので、思い切って横浜駅まで出かけることにした。急ぐ必要はないが、書類の整理で残り少なくなったファイル用品を調達するという名目を作って自分を大げさではあるが奮い立たせた。
 横浜駅の傍の100円ショップや家電量販店の文具売り場、書店の文具売り場をまわって必要なものを揃え、安い喫茶店に籠って1時間ほど読書タイム。

 帰宅してから慌てた。緑内障の点眼薬が無くなってきており、来週末まではもたない。しかも降圧剤も明後日で無くなる。スケジュール上は明日の朝しか二つの病院に行く時間がない事がわかった。明日は朝早くから病院回りをする必要がある。眼科では次回診察の時は視野検査をすると云われているので、時間がかかる。
 13時からの日吉台地下壕の見学会に間に合わせなくてはならない。

 さて本日の朝にアップした「死んだ男の残したものは」にはリツィートやコメント、そして直接にいくつかメールもいただいた。感謝しております。
 あの歌が作られてからもう半世紀=50年という月日が流れている。だが、私の頭の中ではついこの間の体験である。
 多分私があの歌を聞いたのは、高校2年くらいの時。多分それはテレビでは歌われることはなかったと思われるので、たまたまひとりで東京駅・渋谷駅・上野駅の近辺で、べ平連あたりのデモに出くわして聞いたのかもしれない。あるいはわかもの向けのラジオで聞いたかもしれない。新宿のフォークゲリラで歌われたものがテレビで音声として伝わったのかもしれない。それ以来この歌のことは忘れていた。大学生になってから昨日までこの歌を聞くことはなかったと思う。とても懐かしく聞いた。


「死んだ男の残したものは」

2015年03月01日 08時59分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨晩日付の変わる直前のテレビを見ていたら、大竹しのぶが長谷川きよしと「死んだ男の残したものは」を歌っていた。
 1965年に谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲でベトナム戦争への反戦歌として歌われた曲である。ちょうど50年前に作られた曲である。半世紀も前になってしまった。たぶん私が聞いたのはその3~4年後位だと思う。歌い手は残念ながら記憶していない。
 大竹しのぶの歌い方もよかった。ネットで検索したところ彼女のものは見つからなかった。石川セリのものもあったが残念ながら音が出ない。倍賞千恵子の歌ったものがあった。https://www.youtube.com/watch?v=dqUDgn06v9Y


 死んだ男の残したものは

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない


 戦争が、国と国との緊張関係から起こる事態から、70年前の戦後もたらされた秩序が崩壊するような傾向を見せながら、非国家と国家による戦争が私たちの前に現われてきている。内戦という形をとりながら、あるいは国境線をいともたやすく飛び越えて飛び火のように、再び戦争が身近なものとして世界規模のうねりのように押し寄せてきている。私たちの立ち位置をぐらつかせ始めている。
 こんな時、私たちはもう一度過去の再出発の原点を再確認したいものである。

 戦争に対するに、国家意志や民族意志などというものを対置するのは愚の骨頂である。国家意志としての戦争の発動は、決して平和をもたらすものではない。力の均衡は平和ではない。対話の努力の背景に必要なのは武力ではなく、戦争をしない強烈な意志である。「善か悪か、敵か味方か」という単純な論理で世界で起きている事態を両断してはならない。交渉の相手を単純な論理で裁断することは戦争への最短距離でしかない。
 人間の知性はそんな単純なものでは無いと信じたいのだが、現実の政治に携わる者、その彼らを支える者にはその知性に対する信頼は無いのだろうか。
 ヒトラーもスターリンも、戦争にのめり込んだ日本の政治かも軍部も、そして冷戦時のアメリカも、究極のところ「ユダヤ人か、そうでないか」「共産主義か、そうでないか」‥「お前は敵か、味方か」「善か、悪か」の二者択一でしかものを見なかった。

 戦争を決断すること、戦争を煽ること、戦争しかないと発信すること、武力を背景に交渉すること、これらはもっとも安直な政治である。戦争を発動してはならない、という大前提・強烈な意志を掲げてさまざまな方策を駆使することが、もっとも困難ではあるが、最も実り多きことである。
 戦争を始めた者は一時的な功名を残すが、歴史に永遠なる悪名を残す。戦争を回避した者は一時的な功名を残すことは稀だが、平和をもたらす。人の価値は平和によって測られる。