Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

シベリウス「クッレルヴォ」

2015年03月04日 22時09分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 昨日日本シベリウス協会主催のシベリウス生誕150年シリーズ、シベリウス作曲「クッレルヴォ」を聴いてきた。会場は錦糸町にあるすみだトリフォニーホールの大ホール。
 オーケストラ90余名、男声合唱団90余名、メゾソプラノとテノールの独唱、指揮者と190名余りの人数での演奏であった。
 久しぶりに大規模な管弦楽曲を生で聴いた。しかもこれだけの大人数の男声合唱つきの演奏は迫力は満点であった。そしてこの曲、私はこれまで聴いたことはない。
 作品番号7というこの曲はシベリウスが27歳の時1892年に初演されている。カレワラという「民族叙事詩」が1835年に編纂され、当時ロシアからの独立をめざしナショナリズムが高揚した時の作品である。シベリウスという作曲家の出発点でもある。しかしフィンランディアやトゥオネラの白鳥を作曲した1899年以降は、後期ロマン派、フランス印象派風の作風に変化していく。
 シベリウスが世界性を獲得していくのは、1899年頃、交響曲第1番を作り上げる頃からと私は感じている。
 この曲も悲劇的で劇的な叙事詩に合わせて、オーケストラの高揚は暴力的ともいえる不協和音の連続で占められる。
 私はどちらかというとクッレルヴォやフィンランディアなどの作品よりも、この変化した作風に惹かれてシベリウスファンになっている。
 しかしナショナリズムの渦の中で作られた初期の作品にも当然にも後期のシベリウスさらしさは随所にみられる。それが具体的にどのような表現、楽器の使い方、和音の進行、メロディーの特徴なのかは指摘できるほどの力が無いのは残念であるが、聴いているとシベリウスを聴いているのだな、と確か納得する。激しいリズムや不協和音、メロディーの作り方などにそれを感じる。
 要所要所の行進曲風の場面ではチェロやコントラバスによるリズムの刻み方も印象的である。それはティンパニーに移行したりするが、魅力的な表情をしている。また混沌の中からふと繊細で美しいメロディーラインが浮かび上がってくるところなどに感じることが出来る。

 叙事詩の進行に合わせた曲で、85分という長時間の曲である。合唱と独唱は第三楽章と終楽章の第五楽章に登場する。この曲の山場である。しかし第二楽章、第四楽章も単独の管弦楽曲としてもすぐれている。特に私は第二楽章、それも終盤が気に入った。

 会場では、同じ曲を渡邉暁雄指揮、東京都交響楽団の1978年のCDが格安で販売されていた。こちらも今度じっくり聴いてみようと思う。

         

古屋紀之氏講演「横浜の弥生土器」

2015年03月04日 13時41分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 昨日の古代史セミナーは横浜市埋蔵文化財センターの古屋紀之氏の「横浜の弥生土器」ということで講演。13時30分から15時30分まで2時間、入門的なことから氏の推論まで中身の濃い、示唆に富んだ講演であった。
 横浜の弥生土器という題であるが、当然にも横浜市域という枠に弥生時代の人々が囚われていたわけではないので、南武蔵、相模、上総という枠組みでの話となった。今でいうと埼玉南部、東京、神奈川、千葉北部という範囲になる。

 講演で云われた内容では、
1.関東地方の弥生時代の後期の土器は彩色や縄目文で装飾が近畿などの他の地域に比べ際立っていること。
2.後期には土器ごとの集団が細分化されて併存していること。
3.日本海側から中部高地を経由した流通・影響を考慮すべきこと。
4.相模は東海からと、日本海側から、東北地方からの三つの流れの接点でもあること。
が印象に残った。

 その上で、
a.なぜ装飾が際立っているか、なぜ地域文化圏が成立したか
b.併存している土器様式による集団の文化的差異は何か
c.紋様(図像)の表す世界観は何か
という問題意識を設定されていたと思う。

 aについては弥生時代の途中の一時的なの寒冷化(?)に伴う人口減少時期の現象から、後期後半の人口回復期の現象の考察をされていた。人口減少期の集団の過疎化と点在。人口回復期に現われる集団の細分化、そして集団同士の差異化の進展。これらから説明を試みていたと思う。
 日常使う土器の製作者が女性であったことから、通婚とともに土器の様式の広がり等の説明がされていた。
 bについては日本海側からの文化の流入は鉄器を要素としていた可能性があること、従来の青銅器だけの文化との差が窺えることを示唆されていたと思う。鉄器を持った集団とそうでない集団の差が、土器様式の差であるらしい。
 cについては私も持っても興味がある。単なる紋様ではなく、地理的な世界観などを象徴しているのではないか、との示唆は刺激的である。渦や三角の紋様、楕円の紋様などが山や海や、船や田の象徴と捉えられるとすれば、弥生人の世界観へのアプローチもあり得る。そのような目であらためて紋様を見てみたいと思った。

 私の拙い理解力なので、誤解、理解不足、間違いはあると思う。お許しを願いたい。

本日の午前中の講座は自主休講?

2015年03月04日 10時59分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 やはり朝がつらかった。深夜に帰ってから朝10時の講座に出かけるのにはお疲れモード。午後からの講座には出るつもりだが‥。歳の所為にはしたくはないが、若くはないことは確かである。

 17時からは団地に戻って、集会所で打合せ。何かと気ぜわしい一日になりそうだ。

 本日は気温が18℃とかなり温かになるとの予報である。しかし今のところ曇り空、湿気がある。