明日から一泊の予定で仙台に行く。明後日のお昼前に義兄の納骨のためである。ついでと云っては失礼にあたるかもしれないが、明日は仙台の東北大学片平キャンパスによって、東北大学100年史の一部のコピーをしてきたいと思っている。
昨年夏に東北大学資料館と魯迅記念展示室を訪れたときの感想を記載した(2014年08月25日、26日、28日付の計4回)。
その時に東北大学100年史の存在を知ったのだがコピーまで頭が回らなかった。今回半年ぶりにコピーをして、東北大学が1972年前後の学生との関係でどのような記述をしているか、閲覧したいと思っている。
一昨年当時の混乱に主体的にかかわったものとして、対極にいた大学当局がどのように総括しているか、当時を生き延びたものとして無視することは出来ない。資料館の展示と魯迅展示室のあり様を見る限りではとてもひどい記述ではないかと想像をしているが、実際の記述を見ないことには何とも言えない。そのくらいには私たちも時間という風化に耐えてきた思いは残っている。
どっこいしぶとく生きてきた私たちのどれだけのズレを大学当局が意識してきたのか、忘却したのか、確かめたいのだ。私たちの牙は磨滅はしていない。
そんなコピーのための作業を明日昼から夕方までこなしたい。
どんな結果になるか、楽しみにしている。よもや閲覧拒否など門前払いはしないと思うが、どうであろうか。
昨年夏に東北大学資料館と魯迅記念展示室を訪れたときの感想を記載した(2014年08月25日、26日、28日付の計4回)。
その時に東北大学100年史の存在を知ったのだがコピーまで頭が回らなかった。今回半年ぶりにコピーをして、東北大学が1972年前後の学生との関係でどのような記述をしているか、閲覧したいと思っている。
一昨年当時の混乱に主体的にかかわったものとして、対極にいた大学当局がどのように総括しているか、当時を生き延びたものとして無視することは出来ない。資料館の展示と魯迅展示室のあり様を見る限りではとてもひどい記述ではないかと想像をしているが、実際の記述を見ないことには何とも言えない。そのくらいには私たちも時間という風化に耐えてきた思いは残っている。
どっこいしぶとく生きてきた私たちのどれだけのズレを大学当局が意識してきたのか、忘却したのか、確かめたいのだ。私たちの牙は磨滅はしていない。
そんなコピーのための作業を明日昼から夕方までこなしたい。
どんな結果になるか、楽しみにしている。よもや閲覧拒否など門前払いはしないと思うが、どうであろうか。