Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は仙台

2015年03月25日 19時17分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日から一泊の予定で仙台に行く。明後日のお昼前に義兄の納骨のためである。ついでと云っては失礼にあたるかもしれないが、明日は仙台の東北大学片平キャンパスによって、東北大学100年史の一部のコピーをしてきたいと思っている。
 昨年夏に東北大学資料館と魯迅記念展示室を訪れたときの感想を記載した(2014年08月25日、26日、28日付の計4回)。
 その時に東北大学100年史の存在を知ったのだがコピーまで頭が回らなかった。今回半年ぶりにコピーをして、東北大学が1972年前後の学生との関係でどのような記述をしているか、閲覧したいと思っている。
 一昨年当時の混乱に主体的にかかわったものとして、対極にいた大学当局がどのように総括しているか、当時を生き延びたものとして無視することは出来ない。資料館の展示と魯迅展示室のあり様を見る限りではとてもひどい記述ではないかと想像をしているが、実際の記述を見ないことには何とも言えない。そのくらいには私たちも時間という風化に耐えてきた思いは残っている。
 どっこいしぶとく生きてきた私たちのどれだけのズレを大学当局が意識してきたのか、忘却したのか、確かめたいのだ。私たちの牙は磨滅はしていない。
 そんなコピーのための作業を明日昼から夕方までこなしたい。

 どんな結果になるか、楽しみにしている。よもや閲覧拒否など門前払いはしないと思うが、どうであろうか。


「グエルチーノ展」(東京国立博物館)

2015年03月25日 12時09分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 グエルチーノという画家の名前は初めて知った。バロック絵画という歴史的な括りについてはイタリアのカラヴァッジョ、フランドルのルーベンス、ブリューゲル、オランダのレンブラント、フェルメール、スペインのベラスケス、フランスのラ・トゥールなどは作品をいくつも見ている。教科書というか絵画の解説書に名が出ていたことも記憶にない。今回展示されている絵も見た記憶はない。
 私はバロックと云うと若い頃はバロック音楽しか思い浮かばなくて、音楽のイメージと絵画のイメージが同じ像をなかなか結ばないでいた。バロック音楽はバッハのように「華麗でかつ荘厳」であることと「敬虔な祈り」とが共存するようなイメージが強い。イメージとして一括りすることが難しいと感じている。
 バロック絵画も幾人かの作品を見るたびにルーベンスやレンブラントのイメージと、ラ・トゥールやフェルメールなどを一括りとしてしまうのが難しいように思えてきた。 最近は、音楽と絵画がともにこのように相反するような傾向を一括りにしてしまうところが「バロック」なのか、と理解するようにしている。要するに今でも「バロック」という言葉の指し示す傾向が理解できていないのだと思う。
 ヨーロッパでは王権の拡大と宗教改革が絡んで動乱と陰謀の渦巻く世界であり、南米アメリカなどの新世界の略奪と市民階級の勃興の時代でもある。これが多分バロックという時代の社会的な背景なのだろう。

 チラシによればグエルチーノ(1591-1666)はイタリア・バロック美術を代表する画家で、アカデミックな画法の基礎を築いたとされている。
 時代的には日本では豊臣政権から徳川政権に移行した時期で、日本の朝鮮半島蹂躙が始まった時期から、島原の乱を経て鎖国体制が確立する時期に相当する。伊達家の支倉常長がローマを訪れた1619年頃にはまだグエルチーノはローマに赴いて画家ととしての地位を確立はしていない。
 グエルチーノのローマ滞在(1621-23)以前はドラマチックな明暗と色彩でキリスト教絵画を描いているとのこと。ローマ滞在以後は落ち着きのある構図と理想的で明快な形態を持つようになるとのことである。
 確かに描かれた人物が全体的に明確で浮かび上がるように強調されている。登場人物は多くなく、描く場面が明確にどのような場面なのかわかりやすくできている。ある意味では教科書的な場面設定である。人物も人物の着ている服も、持ち物も背景も教義を逸脱していることはないのであろう。
 背景の空に多用されている青、着物の質感と配色、全体の構図、多分どれをとっても隙の無いがっちりした構図だと感じた。たぶん教会という権威にとってはとてもありがたい存在の画家だったように思う。
 どの絵も大きな絵で、教会の壁面・裁断を飾るにふさわしい迫力は感じた。そしてチラシの一面をある「聖母被昇天」(1622)を見た時はエル・グレコを思い浮かべて比較してしまった。

 しかし私は大きさと云い、隙の無い構図や出来上がりに圧倒されつつも何か物足りないものを感じた。あまりに隙が無く、決まりからのズレや画家らしい主張が見当たらない。たぶん技法上の個性はあるのだろうが、構図上の冒険や教会権威との緊張感が今ひとつ私には伝わってこなかった。
 ルネサンス期以降、画家の個性や自己主張が時の権威と微妙にズレを生じ、そこに緊張感が漂ってくる。その緊張感が現在の私たちにどことなく伝わってくる。たとえばミケランジェロの天地創造など、神の手の先の指とアダムの指先が触れあっていない微妙な距離というのが見る人を強く引き付ける。おそらくその指と指との微妙な距離の間合いというのは、ミケランジェロと教皇との間の信頼と緊張の関係から生まれたものであることがさまざまなエピソードから感じることが出来る。
 素人の生意気であるのは重々承知をしているつもりだが、40点もの大作を見た割には、そんな画家の個性が何処となく感じられない。これは展示の仕方、あるいは素人の私たちに対する解説のあり方の問題、私の知識の欠如ではなく、画家のあり方なのだろうと解釈した。忘れられた時期があるというのはそのことに原因がありそうだ。不勉強なので詳しくはわからないがそんな印象を絵から受け取った。

 人々が教会という権威の中に安らぎと敬虔な祈りの場を求めたとすれば、このように教会を装飾し、布教のための絵画としての存在は大きかったと思われる。しかし私のようなものにはそこには残念ながらとどまることがどうしても出来ない。わがままな人間のわがままな感想である。

「インドの仏」展(東京国立博物館) その3

2015年03月25日 07時41分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 最後の方で展示されているのは、南伝仏教の地ミャンマーの仏像。インドから西方に伝来したガンダーラの仏像、ガンジス川流域の仏像とはまったく異質な印象である。
 時代が17世紀以降に下るが、なぜかホッとするものがある。インドの仏像が当初は静かな瞑想とはいえ対する相手を硬質な言葉と表情で説き伏せるエネルギーを感ずる。あるいは大乗仏教・密教となると表情が躍動的で憤怒の相も現われ、ある種猥雑で雑踏の中の人間の博物館のような表情である。これらとも大きく違っている。
 おなじ静かな瞑想であっても柔らかな柔軟さを感じる。ひょっとしたら円空仏の微笑みともどこかで通じるような笑みである。人間の存在そのものに対して肯定的な印象を受ける。



 特に82番の19世紀のミャンマーの仏像に親近感を抱いた。



 84番は17世紀。前作より2世紀前の作品である。前作より表情は硬いが、口の端の微笑みは人びとに寄り添うような微笑みに見えないだろうか。木製だからそのように感ずるのだろうか。



 85番の作品は18世紀にミャンマーに併合された地域の弥勒菩薩像である。きれは少し厳しい表情である。つりあがった眼が意志の強さと不退転な芯の強さを感じた。真鍮製である。これまでが石像だから金属に特有の肌合いから怜悧な感じがするのかもしれない。表情の違いは材質なのか、地域差なのか、まだ私には判断できない。