Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「インドの仏」展(東京国立博物館) その2

2015年03月24日 21時38分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 35番目の展示は、10世紀パーラ朝の頃ガンジス川下流のナーランダーのもの。般若波羅蜜多菩薩というのは私にはなじみがないのだが、大乗仏教の基本となる般若経の本尊で知恵を象徴する、と解説にある。密教の発展に伴い観音菩薩が変化した准胝(じゅんてい)菩薩かもしれない、とのこと。どちらにしろなじみがない。
 腕が4本の憤怒の顔をしているような女性の菩薩であるようだ。
 女性の菩薩というのが私にはとても奇異であるが、観音菩薩に女性性を見たりすることもあり、インドという地で女性が菩薩という人を救うものとして信仰されていたことに何故かホッとする気持ちとなった。



 展示番号52番目のターラー菩薩立像も10世紀パーラ朝やはりガンジス川下流域のもの。やはり女性の姿をしている。
 「密教の展開」のコーナーで展示されている。ターラー菩薩というのもなじみがないが、観音菩薩の瞳(ターラー)から生まれ、眉の皺から生まれたブリクティーとともに観音の脇侍として成立した菩薩という。
 ヒンドゥー教の影響を受けた密教で、多数の仏、菩薩その他が生じ、同時に世俗的にもなり、そして次第に多頭・多臂・獣面などの異様・異形の仏像が多数つくられるようになる。
 仏教というものが大乗仏教からさらに密教というものに大きく変容していく姿がこれらの仏像に反映していると私には思える。

   

 展示番号の55の摩利支天立像もそのひとつ。やはりパーラ朝の11世紀のビハール州のもの。摩利支天というのは、マーリーチーといい、陽炎が神格化した女尊とのこと。太陽の前に存在し、姿を見ることができないことをもって敵の前から姿を隠せる力があるとされ武人の信仰を集めたという。多面・多臂の像として作られるという。
 この像も4面8臂で、他の3面は人の顔だが、向かって左の顔が猪であり、後ろにも顔(人面)がある。背面を見せて展示してある。背面にある人面は見えた。しかし前から見て透けて見える部分だけで全体の背面は見ることはできなかった。目についたのは玄武岩を削った鑿の跡。日本の木像には鉈目があり、それがまた紋様として意味があるようなのだが、ここにも同じように鑿の跡がある。何かの意味があるのか、紋様なのか、あるいは背面は装飾する必要が無かっただけなのかわからない。ただ背面を向いた面があり、正面からも背面がのぞけるということは何らかの意味があると考えた方が良さそうである。解説ではそこには触れていない。



 56番目の展示の仏頂尊勝坐像で55と同じ時期のもの。これも女性像である。3面6臂でこれも背面が透けて見える。背面に顔はないが、55と同じように鑿の跡が整然とある。頭頂の仏は阿閦仏という。阿閦仏を表現したものが多く、阿弥陀が西方浄土なら阿閦は東方の浄土ということになるが、インドと違い日本ではあまり信仰されていない。
 ヒンドゥーの影響を受けた密教の世界は私にはとても多様で異形の世界に見える。魅力もある反面、その世界に入り込むにはなかなか勇気がいりそうである。

「インドの仏」展(東京国立博物館) その1

2015年03月24日 15時41分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 仏像と云うと私たちの住むこの国に広がっている仏像の世界だけしか知らない。それでも実に多様な仏像を私たちは目にしている。中国・朝鮮半島経由でもたらされた7世紀の頃の仏像から江戸時代初期まで様々な仏教の新しい教義とともに新しい仏具・仏像がもたらされたと思う。いづれも受容にあたって私たちの歴史の中で培われた日本的な変容を経てきている。また日本独自の教義や発展や、新規の解釈がもたらされてもいる。
 仏教の経典を昔、岩波文庫でいくつも出されている中村元氏の訳で読んだことがある。原始仏典を見る限る、そして私のわかったつもりになった読解力では、日本の仏教がインドで生まれた当時の仏教と随分と違うものらしいと感じた。日本の仏教とはまったく違うものとして解釈しないとこれはいけないと感じた。
 さて、今回の展示はインドで仏像が作られるようになってからのものが展示されているが、仏像の発祥の地インダス川流域のクシャーン朝の頃のガンダーラ地方の2世紀頃の仏像から、仏教の発祥の地ガンジス川中下流域ビハール州のパーラ朝の仏像、密教の成立を受けたさまざまな仏像、ミャンマーの仏像などが展示されている。
 興味を惹かれた仏像をいくつか取り上げてみた。



 展示番号11番の仏坐像は2世紀クシャーン朝の頃のもの。ギリシャ・ローマの彫刻を思わせる顔立ちは有名だが、ウェーブのかかった髪は日本に伝わっていないと思う。衣紋はほとんどそのまま日本に伝えらたれような感じもする。すぐにでも哲学問答を始めそうな面立ちに見える。



 19番も同じ頃クシャーン朝の作品だが、北部中部インドの地マトゥラーで発見されたもの。11のものより若々しい顔立ちでやせ気味で精悍な顔つきである。私たちの見慣れた仏像の表情とは大きく違う。今にも語りだしそうでもある一方、11番よりも様式化されている感じもする。

   

 30番も同じくクシャーン朝時代のやはりガンダーラ地方の弥勒菩薩坐像。31番も同じだが立像。31番は端正とはいい難い短い体躯で足も腕も太く、全体としてずんぐりしている。19番や30番とは違った意味で精悍な顔つきである。しかし今にも歩き出しそうな気配に満ちている。私にはとても親近感のわく像である。