Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の作業は終了

2018年02月10日 23時17分35秒 | 読書
 本日の作業は終了。明日は10時から会議である。夜からは新年会。
 天気予報どおりに19時過ぎから雨が降り始めた。21時過ぎには時間当たり20ミリほどの本降りとなり、現在はほぼ止んでいる。
 娘夫婦が年末年始のメキシコ旅行のおみやげや写真を持参して来宅。先ほど帰宅。美味しいお酒をもらいご満悦。

 1日中パソコンと睨めっこの上、写真データをテレビに映し出しものを注視し、目が疲れた。昔に較べて本当に視力が落ち、眼が衰えたと思う。早めに風呂で暖まり、明日にそなえたい。


「寒さ」という季語

2018年02月10日 18時18分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日の会議の資料作り。そろそろ団地の管理組合も年度末を控え、来年度の総会の議案づくりなどを始めなくてはいけない。明日の会議には通常の経過報告ととともに議案書の経過報告部分の概略を盛り込んだものを取りあえず作ってみた。いつもよりも資料作成に時間がかかる。

 結局本日は一歩も外に出ないでパソコンの前と今の間をうろうろとしただけ。東京新聞の夕刊は石牟礼道子氏の特集を組むと、ツィッターに書かれていたが、購入できずにいる。

★葱(ねぶか)白く洗ひたてたる寒さかな   芭蕉
★鯛は美のおこぜは醜の寒さかな       鈴木真砂女
★父死して厠の寒さ残しけり         有働 亨


 第一句、このような句を見ると芭蕉という人は「すごい人だな」と思う。葱の白に寒さを連想するだけではない、「洗ひ立てたる寒さ」と記すところが何ともすごいと思う。商品価値を高めるためだろうが、きれいに洗って白さを強調しようとする努力は江戸初期からあったのだろう。白さが際立つ。
 第二句、私はこの句のように、「美」と「醜」をことさら言い立てる対比がちょいと苦手だ。鈴木真砂女の他の俳句にはこのような強さは感じられないが、この句はどうしてこんなに違いを言い立てるのだろうか、という疑問が先に立ってしまう。鯛=美、おこぜ=醜という決めつけが私には向かない。鯛の美しい煌びやかな鱗の眩しさの中に、ちょっとした傷を見つけて愛おしんだり、オコゼの姿に美を見つけて感心したり、そんな美と醜の入れ替わりや相対化が私には嬉しい。葱の泥の向こうに隠れたハッとする光景を見つけた芭蕉の意識との落差に驚く。
 第三句、父の死にさまざまな感慨があるだろう。殊更対立したわけでも、尊敬しきった父であったのか、そんなことではないのではないか。ごく普通の父であり、子であり、家族であったことを匂わせたところが、この句の優れたことのように思える。それが「厠」を持ってきた優れた点なのではないか。有働亨、経歴はとてもすごい人である。
 

朝のシャワー

2018年02月10日 16時09分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりの外飲みで、帰宅後とても眠くなってしまった。情けなくも、風呂にも入らず、そのまま寝てしまった。今朝になってシャワーを浴びた。浴室はよく冷えているので、シャワーを3分ほど出しっ放しにして浴室を暖めた。暖まったのを見極めておもむろに昨日から着たままの服を脱いでシャワーを浴びた。やっとさっぱりした気分。
 だが、頭はまだ動き出さない。反応の悪くなってきたこの頭、どこかでオーバーホールに出したいような気分である。心配なのは、分解すると元に戻らなくなってしまう懸念が強いこと。次第に自虐ネタが増えてきた。これも高齢者独特の現象らしい。

追悼、石牟礼道子

2018年02月10日 10時50分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ツィッターに目をとおすと、石牟礼道子氏の訃報を目にした。毎日新聞は以下のように報じていた。

 人間の極限的惨苦を描破した「苦海浄土」で水俣病を告発し、豊穣な前近代に取って代わった近代社会の矛盾を問い、自然と共生する人間のあり方を小説や詩歌の主題にすえた作家の石牟礼道子さんが10日死去した。90歳。葬儀は近親者のみで営む。

 1927年、熊本県宮野河内村(現・天草市)に生まれた。家業は石工。生後まもなく水俣町(現・水俣市)に移り、水俣実務学校(現・水俣高)卒。代用教員を経て、58年、谷川雁らの「サークル村」に参加。詩歌中心に文学活動を始めた。
 59年には、当時まだ「奇病」と言われた水俣病患者の姿に衝撃を受け、「これを直視し、記録しなければならぬ」と決心。69年、水俣病患者の姿を伝える「苦海浄土」第1部を刊行。70年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、辞退した。同書は日本の公害告発運動の端緒となるなど戦後を代表する名著として知られる。74年に第3部「天の魚」を出し、2004年の第2部「神々の村」で「苦海浄土」(全3部)が完結した。
 水俣病第1次訴訟を支援する「水俣病対策市民会議」の発足に尽力する一方で、水俣病の原因企業チッソとの直接対話を求めた故・川本輝夫さんらの自主交渉の運動を支えるなど、徹底的に患者に寄り添う姿勢とカリスマ性のあるリーダーシップから「水俣のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる。患者らの怒りを作品で代弁して「巫女(みこ)」に例えられるなど、水俣病患者・支援者の精神的支柱となった。
 73年、「苦海浄土」など水俣病関連の作品で「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞。93年、「十六夜橋」で紫式部文学賞。03年、詩集「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞。02年に発表した新作能「不知火」は04年に水俣湾埋め立て地で上演されるなど全国的な話題になった。04~14年、「石牟礼道子全集・不知火」(全17巻・別巻1)が刊行された。
 水俣弁をベースにした「道子弁」と言うべき独特の言い回しや、竜などをイメージした神話的スケールの死生観など、同時代の文芸・思想界に大きな影響を及ぼした。詩人の伊藤比呂美さん、作家の町田康さん、韓国詩人の高銀さんらに慕われ、対談など文学的交流を深めた。11年には作家の池澤夏樹さんが個人編集する「世界文学全集」(全30巻)に「苦海浄土」3部作が日本人作家の作品として唯一収録された。
 02年ごろから、パーキンソン病を患い、人前に出る機会は減ったが、口述筆記などで執筆活動を継続した。句集やエッセー集を出版するなど書く意欲は衰えなかった。


 私は決してちゃんとした読者ではないが、石牟礼道子という名をとおして「水俣」を知り、少しだけだったが、「水俣」を知った。70年代半ば、「苦界浄土」を読み通すことに数度挑戦、読み通すことは読み通したが、果たしてどれほど理解しきれたか、自信はまったくない。しかし心のどこかでいつも意識していた方である。再度「苦界浄土」手に取ってみたい。