なかなか咳と痰、鼻の炎症がおさまらない。痰はそれほどには絡まずにすんなりと排出されるが、それでもすっきりとはしない。鼻も粘膜がまだ炎症を起こしているらしく、少し血が混じる。瘡蓋状の塊が朝や夕方に鼻をかむと出てくることがある。
いづれも少しずつおさまっているようではあるが、意識しなくなるのは何時になるのであろうか。
明日の検査に向けて22時までに食事をすませることと、就寝までは水または白湯のみ可、となっている。明日の朝も同様。
お茶はダメとは書いていないが、水または白湯のみという事なのでダメなのだろう。いつもは寝る前に煎茶やウーロン茶を飲んでいるので、なんとなく寂しいと感じる。特にこだわりがあるわけではないが、慣れたものをダメ、といわれると急に寂しく感じる。
本日は検査前日という事で、軽く湯豆腐で済ませた。むかしは湯豆腐鍋というのは具は豆腐だけだったと思う。濃い味の醤油ダレに鰹節やみじん切りのネギやたっぷり入れたものに豆腐を浸して食べた記憶がある。最近はあっさりとしたポン酢で食べることが多くなった。さらに豆腐だけでなく、白菜やネギ、豚肉を入れた鍋仕立てである。
お酒を飲まず、白菜やネギも遠慮勝ちなあっさり湯豆腐、なんとなく物足りないまま、22時を超えたので、明日の検査の終わるまで食事は出来ない。何となく寂しい。
★湯豆腐や男の歎ききくことも 鈴木真砂女
★湯豆腐やいのちの果てのうすあかり 久保田万太郎
第1句、銀座で小料理店を営んでいた鈴木真砂女、馴染み客のサラリーマンの歎き、愚痴を聞くのも仕事のうちだったと思われる。サラリーマンの歎き、愚痴は頷いて聞いてやれば、それでおしまいかもしれないが、聞くには聞くためのノウハウ、そして人生経験も、その経験に裏打ちされた受け答えも必要。誰でもが聞き上手になれるものではない。姿勢の正しい、和服の似合う小料理屋の女将像が目に浮かぶ。
ただし、私は小料理屋で歎きや愚痴を言ってそれを聞いてもらうなどということはとてもではないがしたくない。家族にも聞かせることなどしない。愚痴や歎きは一人で飲み込むだけである。
第2句、湯豆腐の句であまりに有名な句。久保田万太郎は鈴木真砂女の俳句の師でもある。湯豆腐を囲むどんな情景が読まれているのだろうか。読む人それぞれに情景を想定できる。それが人気の秘密だと思う。艶のある情景かもしれないし、男ひとりの情景かもしれない。鈴木真砂女の句が、歎きや愚痴を聞く立場の句なら、こちらは歎く側の句である。あるいはなにかを云おうとして無言をとおした人の句である可能性も高い。わたしなら後者の句として捉える。
いづれも少しずつおさまっているようではあるが、意識しなくなるのは何時になるのであろうか。
明日の検査に向けて22時までに食事をすませることと、就寝までは水または白湯のみ可、となっている。明日の朝も同様。
お茶はダメとは書いていないが、水または白湯のみという事なのでダメなのだろう。いつもは寝る前に煎茶やウーロン茶を飲んでいるので、なんとなく寂しいと感じる。特にこだわりがあるわけではないが、慣れたものをダメ、といわれると急に寂しく感じる。
本日は検査前日という事で、軽く湯豆腐で済ませた。むかしは湯豆腐鍋というのは具は豆腐だけだったと思う。濃い味の醤油ダレに鰹節やみじん切りのネギやたっぷり入れたものに豆腐を浸して食べた記憶がある。最近はあっさりとしたポン酢で食べることが多くなった。さらに豆腐だけでなく、白菜やネギ、豚肉を入れた鍋仕立てである。
お酒を飲まず、白菜やネギも遠慮勝ちなあっさり湯豆腐、なんとなく物足りないまま、22時を超えたので、明日の検査の終わるまで食事は出来ない。何となく寂しい。
★湯豆腐や男の歎ききくことも 鈴木真砂女
★湯豆腐やいのちの果てのうすあかり 久保田万太郎
第1句、銀座で小料理店を営んでいた鈴木真砂女、馴染み客のサラリーマンの歎き、愚痴を聞くのも仕事のうちだったと思われる。サラリーマンの歎き、愚痴は頷いて聞いてやれば、それでおしまいかもしれないが、聞くには聞くためのノウハウ、そして人生経験も、その経験に裏打ちされた受け答えも必要。誰でもが聞き上手になれるものではない。姿勢の正しい、和服の似合う小料理屋の女将像が目に浮かぶ。
ただし、私は小料理屋で歎きや愚痴を言ってそれを聞いてもらうなどということはとてもではないがしたくない。家族にも聞かせることなどしない。愚痴や歎きは一人で飲み込むだけである。
第2句、湯豆腐の句であまりに有名な句。久保田万太郎は鈴木真砂女の俳句の師でもある。湯豆腐を囲むどんな情景が読まれているのだろうか。読む人それぞれに情景を想定できる。それが人気の秘密だと思う。艶のある情景かもしれないし、男ひとりの情景かもしれない。鈴木真砂女の句が、歎きや愚痴を聞く立場の句なら、こちらは歎く側の句である。あるいはなにかを云おうとして無言をとおした人の句である可能性も高い。わたしなら後者の句として捉える。