Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

湯豆腐

2018年02月12日 23時00分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 なかなか咳と痰、鼻の炎症がおさまらない。痰はそれほどには絡まずにすんなりと排出されるが、それでもすっきりとはしない。鼻も粘膜がまだ炎症を起こしているらしく、少し血が混じる。瘡蓋状の塊が朝や夕方に鼻をかむと出てくることがある。
 いづれも少しずつおさまっているようではあるが、意識しなくなるのは何時になるのであろうか。
 明日の検査に向けて22時までに食事をすませることと、就寝までは水または白湯のみ可、となっている。明日の朝も同様。
 お茶はダメとは書いていないが、水または白湯のみという事なのでダメなのだろう。いつもは寝る前に煎茶やウーロン茶を飲んでいるので、なんとなく寂しいと感じる。特にこだわりがあるわけではないが、慣れたものをダメ、といわれると急に寂しく感じる。

 本日は検査前日という事で、軽く湯豆腐で済ませた。むかしは湯豆腐鍋というのは具は豆腐だけだったと思う。濃い味の醤油ダレに鰹節やみじん切りのネギやたっぷり入れたものに豆腐を浸して食べた記憶がある。最近はあっさりとしたポン酢で食べることが多くなった。さらに豆腐だけでなく、白菜やネギ、豚肉を入れた鍋仕立てである。
 お酒を飲まず、白菜やネギも遠慮勝ちなあっさり湯豆腐、なんとなく物足りないまま、22時を超えたので、明日の検査の終わるまで食事は出来ない。何となく寂しい。

★湯豆腐や男の歎ききくことも     鈴木真砂女
★湯豆腐やいのちの果てのうすあかり  久保田万太郎


 第1句、銀座で小料理店を営んでいた鈴木真砂女、馴染み客のサラリーマンの歎き、愚痴を聞くのも仕事のうちだったと思われる。サラリーマンの歎き、愚痴は頷いて聞いてやれば、それでおしまいかもしれないが、聞くには聞くためのノウハウ、そして人生経験も、その経験に裏打ちされた受け答えも必要。誰でもが聞き上手になれるものではない。姿勢の正しい、和服の似合う小料理屋の女将像が目に浮かぶ。
 ただし、私は小料理屋で歎きや愚痴を言ってそれを聞いてもらうなどということはとてもではないがしたくない。家族にも聞かせることなどしない。愚痴や歎きは一人で飲み込むだけである。
 第2句、湯豆腐の句であまりに有名な句。久保田万太郎は鈴木真砂女の俳句の師でもある。湯豆腐を囲むどんな情景が読まれているのだろうか。読む人それぞれに情景を想定できる。それが人気の秘密だと思う。艶のある情景かもしれないし、男ひとりの情景かもしれない。鈴木真砂女の句が、歎きや愚痴を聞く立場の句なら、こちらは歎く側の句である。あるいはなにかを云おうとして無言をとおした人の句である可能性も高い。わたしなら後者の句として捉える。

本日の読書は2冊を交互に

2018年02月12日 20時54分48秒 | 読書
 本日の読書は、「『快楽の園』を読む-ヒエロニムス・ボスの図像学」(神原正明、講談社学術文庫)と「倭の五王-王位継承と五世紀の東アジア」(河内春人、中公新書)の2冊。午後から喫茶店で交互に読んで時間を過ごした。
 「『快楽の園』‥」はずいぶん長くかかっている。旅行-インフルエンザによる中断で、やっと4割ほどを読み終わった。図像学、言語学的な解釈など詳細に過ぎ、説の紹介だけに終わっているような部分もある。私の興味と少しズレガあったかもしれない。しかし最後まで目はとおしたい思う。
 地下街の喫茶店だったのでざわついていた。できれば地下街ではない場所の喫茶店にしたかったのだが、そちらがめずらしく(たまたまというべきか)満席だったので断念した。席が空くまて少し待った方が静かに読めたかもしれない。


明日は癌検診

2018年02月12日 11時19分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は年に1度の癌検診。病院では気を利かせてくれて、妻と同一日にしてくれた。本日の夜はアルコールは禁止。明日の朝8時半に病院へ行くよう指示されている。
 大腸の内視鏡検査は毎年受けるようにとの「指導」もあり、ついでに胃・肝・胆・膵・肺・前立腺の癌検診も受けている。血圧やコレステロールなどでかかりつけ医に心電図・各種血液検査をしてもらっているので、これが私にとっては年に一度の健康診断でもある。
 大腸の内視鏡検査は50歳のときから毎年続けている。なかなかつらいものがある。事前に飲む腸管洗浄剤と内視鏡を入れる辛さは毎年受けていても慣れることは出来ない。恥ずかしさという抵抗感は薄れてきたが、それでも毎年検査室に入ると恥ずかしさと辛さを思い出して緊張する。明日は大腸内視鏡については検査の日程を決めるだけである。