Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

なけなしの髪

2018年02月22日 22時35分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 金子兜太の俳句から。

★北風(きた)をゆけばなけなしの髪ぼうぼうす     金子兜太

 この句、なかなか諧謔に富んで面白いと思った。寒い乾燥した北風の吹く季節、作者もすでに髪の毛は少ない。しかし若くはないとはいえ活力旺盛な風貌の作者が、社会の荒野をズンズンと胸を張って進んでいく。金子兜太らしいエネルギッシュな句の境地ではないだろうか。私は冬の荒野を歩く気概はあるが、社会のなかでは軟弱である。金子兜太氏のように傍からみれば自信に満ちて堂々としている姿を見ると圧倒されてしまう。私の場合は「なけなしの髪」とともに自分の思考など富んで行ってしまう。
 ひょっとしたら金子兜太氏も地震に満ちた風貌の下には私のように弱々しい自己が隠れていたのではないか。そう思えば、私にも少しは自信も湧いてくる。

雨はあがったが寒い1日

2018年02月22日 20時13分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の横浜の最高気温は6.3℃であったらしい。しかもこの気温を記録したのは午前0時11分と深夜であるから、日中はそれ以下であったことになる。
 本日は一日中部屋に籠っていた。16時半過ぎに妻の代わりに買い物に出かけ、遠回りをして90分ほど歩いて帰宅した。歩き始めはコートの襟を立てても寒いくらいだったが、スーパーに着いた頃には汗をかいていた。雨はあがっていた。

 本日の夕食は赤魚の粕漬を焼き、がんもどきとサツマイモを煮、昨日購入したサラダの残りをバルサミコ酢をかけて食べた。いたってシンプル。しかし昨日コンビニで300円以下で購入したサラダだが、量がとても多い。昨日・本日と2回食べたがまだ一回分は残っている。とてもお買い得だったような気がした。もっとも野菜を買ってきて自分で包丁を入れれば、もっと安いのはわかっているが‥。
 解熱剤の効果が無くなるとまだ38℃ちかい熱が出る妻には申し訳ないが、夕食を食べながらお酒を1合飲んだ。


追悼 金子兜太

2018年02月22日 12時48分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 金子兜太氏が亡くなった。NHKの報道では、
☆戦後を代表する俳人の1人で、戦争などの社会問題を題材に伝統的な形式にとらわれない自由な俳句の世界を築いた金子兜太さんが、20日夜、入院先の病院で亡くなりました。98歳でした。
金子さんは大正8年、埼玉県に生まれ、旧制高校時代に先輩に誘われて句会に参加したのをきっかけに俳句を始め、大学在学中に加藤楸邨が主宰する俳句雑誌「寒雷」に参加して本格的な創作活動を始めました。
戦争などの社会問題を題材に、季語や花鳥諷詠(かちょうふうえい)といった形式にとらわれない自由な作風から「前衛俳句の旗手」と言われ、海軍の中尉として赴任したミクロネシアのトラック島から帰る船の甲板の上で、戦死した同僚を思って詠んだ「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」は代表作の1つとされています。
復員後、日本銀行に勤めるかたわら俳句を続け、戦争の悲惨さや人間の美しさを詠んだ作品は、戦後の復興のなか幅広い支持を集めました。
昭和37年に俳句雑誌「海程」を創刊して後継者を育てるとともに、昭和58年から17年にわたって現代俳句協会の会長を務め、テレビでも「NHK俳壇」や「俳句王国」などの番組に出演して俳句の普及に貢献しました。
平成15年に日本芸術院賞を受賞したほか、平成20年には文化功労者に選ばれ、戦後を代表する俳人の1人と評価されています。
金子さんは、平成23年に胆管がんの手術を受けたあとも各地で講演などを続けてきましたが、家族によりますと、今月6日に誤えん性肺炎のため入院し、20日午後11時半すぎに入院先の病院で亡くなったということです。
・句に込めた平和と反戦への思い
金子兜太さんは、前衛俳句の旗手として98歳まで俳句を作り続け、生涯を通じて平和への思いを17文字の世界に表現し続けてきました。
「銀行員等 朝より螢光す 烏賊(いか)のごとく」。
金子さんの代表作の1つとされるこの句は、勤め先の銀行の朝の光景を詠んだもので、それぞれの机の蛍光灯の下で仕事を始める行員たちの様子を、水中に光るほたるいかに例えました。
近代俳句の世界では、自然のありようをそのままに詠む「花鳥諷詠」の考え方が理想とされていましたが、金子さんはこうした伝統に異を唱え、人間や社会の姿を詠む自由な表現で戦後の俳句界に一石を投じました。
そうした金子さんが生涯を通じて表現し続けたのが、平和と反戦への思いでした。原点となったのは20代のときの戦争体験です。
海軍中尉として赴任したミクロネシアのトラック島では、米軍の爆撃や食糧不足による餓死で多くの戦友が非業の死を遂げ、戦争の残酷さとむなしさを目の当たりにしました。
敗戦後、1年3か月の捕虜生活を終えた金子さんは、日本への引き揚げ船の甲板の上で遠ざかる島に眠る死者たちに思いをはせながら、「水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」という句を詠んでいます。
また、戦争を生きながらえた人間として、これから先、平和への思いを伝えていかなければならないという覚悟を込め「海に青雲生き死に言わず生きんとのみ」と詠みました。
復員してからは、各地で目にした情景を自身の戦争体験に重ねた句を発表し続けます。神戸の港では、魚を捕るために海に急降下していくかもめの姿を、撃墜され海に落ちていくゼロ戦の姿に重ね合わせ、「朝はじまる海へ突込む鴎の死」と詠みました。
また、長崎で坂道を下ってくるマラソンの一団を目にした時には、爆心地に入ったとたんに、ランナーの体が折れ曲がり焼けただれて崩れ落ちる映像が頭に浮かび、「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」と詠みました。そして、広島では、「原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む」と詠んでいます。
こうした平和と反戦への思いは生涯変わらず、戦後70年を迎えた平成27年からは、作家のいとうせいこうさんとともに新聞の紙面で平和への思いをうたった句を募る「平和の俳句」の選者を3年間務めました。
また、同じく平成27年には、安全保障関連法案に反対する集会の場で掲げられた「アベ政治を許さない」という文字を揮ごうしています。

となっている。

 朝日新聞は以下のように報道している。
☆埼玉県生まれ。旧制水戸高校時代に作句を始め、「寒雷(かんらい)」主宰の加藤楸邨(しゅうそん)に師事した。東京帝国大経済学部を卒業後、日本銀行に入行。海軍士官として南洋トラック島で終戦を迎え、後に復職した。戦後は社会的な題材を詠む「社会性俳句」に取り組み、前衛俳句運動の中心となるなど、戦後の俳句運動の旗振り役を務めた。季語の重要性は認めつつ、季語のない無季の句も積極的に詠み、時に有季定型の伝統派と激しい論戦を繰り広げた。俳句をより多くの人に開かれたものにし、「お~いお茶 新俳句大賞」など軽くカジュアルな新潮流も楽しんだ。小林一茶や種田山頭火の研究でも知られ、再評価の機運を盛り上げた。
 代表句に、「銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく」「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」など。「おおかみに螢が一つ付いていた」など、故郷・秩父の骨太な風土に根ざした句も多い。62年に同人誌「海程」を創刊し、後に主宰に。高齢を理由に2018年9月での終刊を決めていた。
 反戦の思いから同時代への発言を続け、晩年は故郷や平和への思いを多くの句に託した。安全保障関連法案への反対が広がった15年には、「アベ政治を許さない」を揮毫(きごう)した。


 金子兜太氏の句はなかなか難しい。紡ぎあげられる言葉は連想ゲームのようにはすぐに読み手には合点がいかない。「なんでこの言葉やモノが出てくるの?」という疑問が出てくる。分からないのでそのまま放置してしまう句もたくさんあった。評者からひとことアドバイスを受けてから「なるほど」という句が多い。果たしてそれが俳句の王道か、という疑問も寄せられる。一方で読者の言葉のイメージの幅を広げてくれたということもある。危うい綱渡りのような言葉の世界を図太く闊歩したという感じがする。
 不思議と、取り合わされるびっくりするような言葉は、自然の景からというよりも動植物や人間である。あるいはそれらに喚起されたイメージである。そこに着目すると金子兜太氏の句に嵌ってしまうらしい。
 時々は金子兜太氏の俳句と格闘してみたい気もするが、まだまだ理解しきれていないという思いも同時に湧いてくる。
 以下、ネットでいくつかの句を集めてみた。

★海に青雲(あおぐも)生き死に言わず生きんとのみ
★頭痛の心痛の腰痛のコスモス
★霧に白鳥白鳥に霧というべきか
★麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人
★大頭の黒蟻西行の野糞
★れんぎょうに巨鯨の影の月日かな
★廃墟という空き地に出ればみな和らぐ
★鮎食うて旅の終わりの日向ある
★夏の山国母老いてわれを与太(よた)と言う
★富士二日見えず遠流の富士おもう
★遠い日向を妻が横切りわれ眠る
★馬といて炭馬のこと語るもよし
★激論をつくし街ゆきオートバイと化す太
★土手に横一線の径ことばの野
★北風(きた)をゆけばなけなしの髪ぼうぼうす
★梅咲いて庭中に青鮫が来ている
★曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
★彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン
★人体冷えて東北白い花盛り
★霧の村石を投(ほう)らば父母散らん
★暗黒や関東平野に火事一つ
★おおかみに蛍が一つ付いていた
★夏の山国母いてわれを与太という
★水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る
★定住漂泊冬の陽熱き握り飯
★朝はじまる海へ突込む鴎の死
★銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく