二十四節気の雨水であった。雨水は、降る雪が雨に、積った雪や張った氷が水になる季節、という説明がある。歳時記で「雨水」の項を見ても私から見て素敵な句と感じるものがない。項目だけはあっても例句が掲載されていない歳時記もある。
多分現代の人にとっては、あまり身近で切実なことばではなくなっているようだ。といっても二十四節気全体でみると、啓蟄や大雪などはたくさん句がひいてある。二十四節気でも現代の人にとって身近な季節感のある節気とそうでない節気があるという事なのかもしれない。
そんな中で、
★骨の音ためしてをりぬ雨水の日 鳥居おさむ
という句を見つけた。「骨の音」というのが何を指しているのだろうか。断定できないのがもどかしいが、首や指の関節をポキポキ鳴らすことを言うのであろうか。私のようにポキポキ鳴らすのが癖になっていると、なるほどと思うこともある。あの音は関節包のなかの空気の音と最近言われている。だが、一昔前はいろいろな説がありわからなかったと聞く。さてあの音、他人が鳴らすと聞きたくない音であるが、本人にとってはなんとも言えず心地よい時がある。そして湿気や気温や、さらに気分で聞こえ方が違う。この句の作者は雨水という節気を迎えて、これまでとは違った湿気と気温をなんとなく嗅ぎ分けたのではないか。そして癖となっている指の関節を鳴らす音にもどことなく滑らかな、暖かみを感じたのかもしれない。
多分現代の人にとっては、あまり身近で切実なことばではなくなっているようだ。といっても二十四節気全体でみると、啓蟄や大雪などはたくさん句がひいてある。二十四節気でも現代の人にとって身近な季節感のある節気とそうでない節気があるという事なのかもしれない。
そんな中で、
★骨の音ためしてをりぬ雨水の日 鳥居おさむ
という句を見つけた。「骨の音」というのが何を指しているのだろうか。断定できないのがもどかしいが、首や指の関節をポキポキ鳴らすことを言うのであろうか。私のようにポキポキ鳴らすのが癖になっていると、なるほどと思うこともある。あの音は関節包のなかの空気の音と最近言われている。だが、一昔前はいろいろな説がありわからなかったと聞く。さてあの音、他人が鳴らすと聞きたくない音であるが、本人にとってはなんとも言えず心地よい時がある。そして湿気や気温や、さらに気分で聞こえ方が違う。この句の作者は雨水という節気を迎えて、これまでとは違った湿気と気温をなんとなく嗅ぎ分けたのではないか。そして癖となっている指の関節を鳴らす音にもどことなく滑らかな、暖かみを感じたのかもしれない。