Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ウォーカー・エヴァンズ「ブルックリン橋」

2018年02月11日 23時52分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日19時から、山下公園傍の店で私にとっては最後の新年会であった。時間前に横浜美術館によって、購入しようとかねてから考えていたポストカードを1枚購入。
 ウォーカー・エヴァンズの「ブルックリン橋」(1929年)という作品である。造形写真について齧ったことのある人で、知らない人はいない。教科書的な作品で、みんなこのアングルからの写真に挑戦した記憶があると思う。
 この橋の量感、下から写した圧倒的な存在感に昔はおおいに惹かれていた。
 つい数か月前までは、この作品が横浜美術館にあるとは知らなかった。



「天の病む」

2018年02月11日 14時24分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★祈るべき天とおもえど天の病む
★さくらさくらわが不知火はひかり凪
★坂道をゆく夢亡母とはだしにて
★花ふぶき生死のはては知らざりき
★わが干支は魚花みみず猫その他


 第1句、「天の病む」とはまた思い切ったいいである。昨日「美」と「醜」をことさら言い立てる対比がちょいと苦手」と記した。しかしこの「天の病む」という断定、言い切りは実に気持ちがいい。天に向かって、神ともいえるものに向かって堂々と胸を張って自己主張する、その潔さは心地よい。力ある権威や、権力に対する啖呵である。
 第4句、人生一歩踏み出した時の強さ、もう逡巡し、ためらいがちに後ろに意識が向かうことは許されない、という決断をしたものの外連味の無い言い切りは心地よい。人生にはこのような瞬間が必ずある。その時に人はその価値をはかられるものである。

石牟礼道子の俳句

2018年02月11日 09時22分23秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 今朝、ネットで「石牟礼道子 俳句」で検索をしてみた。次の記事が目に入った。【⇒http://blog.goo.ne.jp/sikyakuhaiku/e/520c81eb6a734eaf833e9a384db70304】。2013年3月28日と記されている。
 その中に石牟礼道子の俳句が9句掲載されていた。第5句は今朝の朝日新聞の天声人語にも取り上げられていた。水俣病の患者との交流の中で詠まれた句として紹介されている。

そこゆけば逢魔ヶ原ぞ 姫ふりかえれ
鬼女ひとりいて後ろむき 彼岸花
薄原分けて舟来るひとつ目姫乗せて
前の世のわれかもしれず薄野にて
祈るべき天とおもえど天の病む 『天』
わが酔えば花のようなる雪月夜   『天』
さくらさくらわが不知火はひかり凪   『天』
童んべの神々うたう水の声   「水村紀行」
坂道をゆく夢亡母とはだしにて   「水村紀行」
女童や花恋う声が今際にて   「水村紀行」
花ふぶき生死のはては知らざりき   「水村紀行」
わが耳のねむれる貝に春の潮   「創作ノートより」
わが干支は魚花みみず猫その他   「創作ノートより」
   

 今朝はまだ鑑賞出来ていない。とりあえず、句を列挙してみた。午前中の会議終了後、また目をとおしてみたい。