湯豆腐の句のつづき。こんな句もあった。
★湯豆腐に膝やはらかく崩しけり 大石登世子
★湯豆腐や澄める夜は灯も淡きもの 渡辺水巴
第1句、湯豆腐は何も姿勢を正してかしこまって食べる者とは違う。湯豆腐と聞くと温かな湯気と温かな食事時間を思い出して、相が崩れるものである。そんな雰囲気が湯豆腐に似つかわしい。膝を崩して、心をほぐしながら豆腐のように柔らかな頭と体にリフレッシュしたいものである。
第2句、少しセンチメンタルな気分になるのもまた湯豆腐がもらたす語感。雪の日のストーブと炬燵がよく似合う。
★湯豆腐に膝やはらかく崩しけり 大石登世子
★湯豆腐や澄める夜は灯も淡きもの 渡辺水巴
第1句、湯豆腐は何も姿勢を正してかしこまって食べる者とは違う。湯豆腐と聞くと温かな湯気と温かな食事時間を思い出して、相が崩れるものである。そんな雰囲気が湯豆腐に似つかわしい。膝を崩して、心をほぐしながら豆腐のように柔らかな頭と体にリフレッシュしたいものである。
第2句、少しセンチメンタルな気分になるのもまた湯豆腐がもらたす語感。雪の日のストーブと炬燵がよく似合う。
本日読み終わったのは「倭の五王-王位継承と五世紀の東アジア」(河内春人、中公新書)。
始めは有隣堂で立ち読みした時は、他の本の読書の予定に影響がありそうなので、パスしようかと考えた。
しかしあとがきに「(中学か高校の授業で)埼玉県の稲荷山古墳で出土した鉄剣に「獲加多支鹵(ワカタケル)」と記されている。『日本書紀』では「幼武(ワカタケル)」という名の雄略天皇のことである。また『宋書』倭国伝に出てくる「武」という倭国の王は「幼武」の略であり、三つの異なる資料にその名を確認できる‥。最初はなるほどと思ったが釈然としない違和感も拭えなかった。」と記されてあった。これはまったく同感の感想である。
1983年に稲荷山鉄剣の銘が脚光を浴びた時、私は30歳をとうに過ぎていたが、「武」を「タケル」と訓読みすることが5世紀後半に確定していたのか、万葉仮名以前に「訓読み」があったとは思えないし、それを当時の中国人が「タケル」と「武」を倭の言葉として理解して表記したなどというのはおかしいと直感したので、新聞などの報道に現われる「識者」が信用できなかった。
「書記」が後から作られ、表記されたことと、5世紀後半の中国の資料の強引な比較というのは、依然として日本史の「権威」が、「記紀」史観から抜けきっていないことの証左のように思えたことが強く印象に残っている。
つい当時のことを思い起こして購入した。著者は中国と朝鮮の資料を駆使しながら倭の五王の時代の東アジアの国際関係から倭の政治状況を類推しようとする。記紀に記された「天皇」と「倭の五王」との対応関係には踏み込んでいない。この姿勢を私はとても評価したい。記紀の史観からどのように抜け出そうとするのか、という視点で私なりに興味深く読んだ。
このような視点での古代史の再構築がされることを心から望んでいる。