★気付けば空家 窓にはアガパンサス 庄司 マツ
梅雨時のアガパンサスとビオウヤナギは梅雨時にそぐわないような豪華でそして華麗な花であるというのが私の印象。やはり梅雨というとアジサイを思い浮かべてしまう。それも根元の暗さを伴ったアジサイの風情である。
アガパンサスとビオウヤナギの明るさは梅雨の晴間でないと似合わないのである。だからこの句は、いつの間にか人が転居してしまい、カーテンもなくなっている情景ではないか。人が不在ながら空家の持つ不思議な明るさ、空家の窓は、この梅雨時のように寂しさや暗い気持ちにさせてくれる状況なのに、豪華なアガパンサスの花が空家になった窓に映っているのであろう。不思議な明るさを捉えた句だと解釈してみた。
私の住んでいる団地も高齢化に伴い、人が住まなくなった空室がいくつかあるようだ。カーテンのない窓には、四季様々な物が映るが、梅雨時にはあだ花のように勢いのあるアガパンサスが映っていると寂しさが余計につのるものである。
アガパンサス、歳時記に季語として掲載しているものと、季語とは扱っていないものとがある。確かに花だからといって季語としてのイメージが定まっているか、というと私には判断する能力はない。
そうはいっても季語として扱ってはいけないということもなかろうと思う。梅雨という季語と重複して使っている句も多くあるが、私はイメージが重なり過ぎていると思った。