1177(安元三)年4月28日の京都での大火の様子を綴った鴨長明の「方丈記」、そして1945(昭和二十)年3月10日の東京大空襲に遭遇した堀田善衛、768年という時間を飛び越えながらふたつの事象が並列に、比較されながら語られていく。
さらに25年後の1970年にこの書を記した堀田善衛の時代への怒りと、とてもおこがましいのであるが、50年後の現在、この本を読んでいる時点の日本という社会との同質性に驚いている。
1177年、1945年、1970年、2020年という年が相並ぶ不思議が恐ろしい。
「この人は、何かがあると、ともあれ自分で見に出掛けて行く人である。きわめてプラクティカルな、観念性とは縁遠い人であり、(玉葉日記の藤原)兼実、(明月記の藤原)定家などのように、自分が直接見聞きしたことまでを‥‥ト云フ、ト云フというふうに、一つ間を置いての間接性を保つというような、面倒なこと、あるいは手続き、操作などが出来にくい人である。足の方で歩いて行ってしまうような人である。‥心よりも先に足の方で歩き出してしまうならば、‥足に聞け、というものだ。」
「支配階級というものは面白いほどに等質なものである‥。‥指導者たちが国民のことを考えるときの考え方は、‥国民は戦争を、あるいは自分たち(指導者)を何と考えているか、という疑いを通じてしか考えていない‥。‥これを最も露骨にあらわしているものは、近衛文麿の書いた天皇に対する上奏文(1944年2月14日)である。」
「「そもそも満州事変、支那事変を起し、之を拡大して遂に大東亜戦争まで導き来れるは」軍部革新派であり、「是等軍部内一味の者の革新論の狙いは、必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取り巻く一部官僚及民間有志(‥所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり。近衛自註)は意識的に共産革命に迄引きずらんとする意図を包蔵し‥」というわけである。‥「職業軍人の大部分は、中以下の家庭出身者にして、その多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり」と。‥このくらい当時の「帝国軍人」を馬鹿にした文句もなかろう。‥「一億層玉砕を叫ぶ声」さえが「遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候」となるに及んでは疑心暗鬼、悲惨というのほかない。そしてこの国体と称するものも、自分たちと天皇ということにほかならぬと思われる。この上奏文全体を何度読んでみても‥国民の苦難など、痛快なほどに無視されている。」
「この火事、つむじ風の項のすぐあとに来る福原遷都をめぐってのところに、“世の乱るゝ瑞相とか聞けるもしるく、”というところがあり、‥まことに奇異な思いをし、長くこの不吉かつ「異相」なることばを見詰めて‥。」
堀田善衛自身の空襲体験と、国家と社会の崩壊の予兆や当時の政治のありようが、私には2020年の今の政治とが、1944年の政治状況を介することで重なって見えてしまうことが恐ろしい。1177年と2020年、政治のありようの解釈は、次に読む予定の堀田善衛の「明月記私抄」にもつながるはずなので、本日のところは言及しないでおこう。