朝目が覚めたら、瞼がなかなか開かなかった。寝る前の目薬の成分が結晶化しているようで、瞼の縁にはザラザラした透明の小さな粒がついていた。ビタミンB12が含まれている目薬ということであったので、それが結晶化しているのだろうか。寝る前に両眼に一滴だけ垂らしただけである。昼間に垂らしたときは特にこのよううことはなかった。
特に目に異常をきたしたということではないので、心配はしていない。目の調子は今のところ悪くはない。
7月の初めに購入した朝顔、はじめの2~3日は花が4輪ずつ咲いたのだが、それ以降は咲かなくなった。一昨日1輪咲いたけれども小さかった。妻はこの雨と低温で太陽が顔を出さず、元気がなくなっているのではないか、という。
もともと朝顔・朝顔の種は秋の季語、朝顔市は夏の季語とされる。朝顔といえば朝顔の花を示す。しかし私のイメージでは夏のイメージである。もっとも咲く時期は好みの上では秋であっても8月はとても暑い盛りである。たとえば「汗」は夏の季語であるが、汗をぬぐう時期は8月という秋である。言葉の持つ季節感を大切にすれば、厳密な暦上の季節にこだわることもないと思う。

★朝貌や惚れた女も二三日 夏目漱石
1907(М40)年作。教職を辞し、作家活動に専念し「虞美人草」を執筆した年、漱石40歳である。
一夜を共にした女を詠む仕立て。女性問題で悩んでいた松根東洋城宛のハガキに記された句の一つ。署名は夏目道易禅者ととぼけたものを使っており、一種の慰めの句と思われる。
だが、真剣に悩んでいる弟子にこれが果たして慰めになったかというと疑問である。
明治の時代、「家柄」「職業」「親の意向」など現代とは違い当人同士外の要素が大きな比重を占めていた。当人同士では解決困難な場面も多かったであろう。
とはいえ恋愛で悩んでいる人間にはこのような句が当時でも心に響いたとは思えない。別れることに未練を残すな、ということなのだろうが、そう簡単に突き放さないでと誰もが云いたくなる。突き放してほしくないから相談したのであろう。
一方では、傍目から見ると恋愛の当事者のことは、突き放して「御馳走様、どうぞご勝手に」という気持ちが強いかもしれない。男女のことはひとりで悩め、一人で解決しろ、これが一番の回答でしかないとも思う。そう思いつつ柔らかにアドバイスしなくてはいけない。こんな突き放し方では、傷口に塩を塗り込む、である。
辛辣でときに露悪的な漱石先生、人生相談にはちょいと適していない。今の世なら、女性から「夏掛けの男のごとく頼りなき 小林貴子」と布団から追い出される運命、反撃にあうこと間違いない。