Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夏の菓子2態

2020年07月18日 22時43分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★まだ奥に部屋ありそうな水羊羹     五島高資
★密豆のみどりや赤や閑職や       北 登猛

 この梅雨時、暑くはないが冷たいアイスクリームや水菓子などを妻が買ってくることが多くなった。私もついつられて口に入れてしまう。
 広い家に招待されたり、訪問したりすると第1句のような感想を持つこともあるかもしれないが、少なくともここ50年ほど、このような経験はしたことがない。
 森閑とした畳の部屋の向うにまだ別の客間などがあるかのような静けさがある建物なのだろうか。水羊羹というもてなしが嬉しいのだろう。人の気配が感じられずに涼し気に静まっている家を想像して、ちょっとくらいは涼やかな気分になるのではないだろうか。
 第2句は、逆に夏の涼やかな菓子もどこか苦い味を伴って口に入ってくる。「みどりや赤や」の「や」は並列示す助詞、「閑職や」は詠嘆の意の終助詞でいわゆる俳句の切れ字。しかし「みどりや赤や」にも詠嘆に近いため息を読み取ってもいいのではないか。企業という組織は今の時代は高齢の者には冷たいものである。主要な業務から外されているもの、とはいってもそう簡単には引き下がらない維持もまた、この組織の中で身につけた者でもあろう。人は誰しも通過してきた。
 共に、このような読みは間違っているかもしれない。

 


「美南見十二候九月」(鳥居清長)

2020年07月18日 20時22分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 本日のオンライン講座で、鳥居清長(1752-1815)が取り上げられ、私もどこかの図録で見たことのある「美南見十二候」(1784)のシリーズの内「四月 品川沖の汐干」と、同じく「九月 漁火」が取り上げられた。
 この「漁火」は初めて目にした。窓の外には月が雲を従えながらも明るく皓皓と照っている。その下にこの月あかりに映し出された船の漁火がいくつも見えている。最初は題名に関わらず、この漁火に気がつかなかった。中景がなくて近景と遠景で構成される風景画ともいえる。細部までよく見ると、月と窓枠だけならば、奥行感の希薄な作品に見えると思う。
 これまであまり気にかけてこなかった鳥居清長の作品、細部までじっくりと見ることの必要をあらためて実感した。


陽が射して来た

2020年07月18日 13時30分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩から午前中にかけて強い雨が続いた。一時は横浜市の湾岸部では50ミリを超える雨も降ったようだ。私の住むところは30ミリ程度の雨の区域は通過していったが、特に被害はなかった。

 午前中は昼前までオンライン講座。講座が終了した時点で雨が弱まった。江戸時代の浮世絵の歴史4回連続講座。本日はその3回目。

 現在は雲が高くなり薄曇り。陽が射して影が出来るほどであるが、雲に切れ目は見られない。それでも陽射しがあるのは嬉しい。

 これより出かけてみたい。繁華街や人混みは避けるが、雨が上がれば外に出掛けたいものである。XRAINで見るとしばらくは雨の区域はやってこない。