Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームス「ビアノ協奏曲第1番」

2021年04月08日 22時49分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 ブラームスの管弦楽曲が聴きたくなり、ピアノ協奏曲第1番を選んでみた。USB接続のスピーカー(13W×2)では出力不足が否めないが、ステレオ装置のアンプが壊れて、買い替えができないでいるので、やむを得ない。いつになったら購入できるのか、心もとない状況である。
 この曲の冒頭のオーケストラの咆哮に近い強奏では音はつぶれてしまうが、弱奏ならば特に支障はないだけでなく、それなりの音の伸びや奥行きを感じる。贅沢を言ってはいけない。

 実に久しぶりにこの曲を聴いている。ピアノにいろいろな表情を求めていることがわかる曲である。ピアノはクリスティアン・ツィマーマン、バースタイン指揮のウィーンフィルの演奏。

 もともとブラームスの第4番のシンフォニーとヴァイオリン協奏曲は気に入っていた。学生時代、友人がブラームスはビアノの表現の幅を広げた作曲家として重要と言っていた。どう意味でそういったのかはわからないが、当時はそれをそのまま信じ、それ以来ブラームスのピアノ曲に注目するようになった。そのとっかかりの曲のひとつでもある。ピアノの特性や演奏法などわからない私だが、聴いているうちに虜になった。 


「老いのかたち」(黒井千次)

2021年04月08日 20時49分34秒 | 読書

 横浜駅近くの喫茶店で一服&コーヒータイム&若干の読書。「老いのかたち」(黒井千次、中公新書)の第二部を少々。

   

 いづれの文章も身につまされる老いの現況を捉えている。言い方は良くないが、他愛もない言い回しの分かりやすい文章であり、そして語られていることには、普遍性と共感とが同時にもたらされる。

 「一円玉の気持ち」と「友を送る-―これも同窓会」は特に心に残った。
 「落とすのではなく、落ちるのである。」に始まる「一円玉の気持ち」は実に身に迫る。「このままで行くと、いつか自分の存在まで自分から落ちてしまうかもしれない、と心配になる。しかし落とすのではなく、自然に落ちるのであれば、それはそれで仕方がないか、と一円玉の気持である。」
 たしかに、物を落とすことが多くなった。自分の意識としては、「落とす」ではなく「落ちる」のである。手が滑って落とすのではなく、意識の上では手から勝手に物が落ちていく、という表現のほうが当たっている場合が多くなっている。
 妻にいつも言われる。食事中に、箸からおかずを落とす、と。しかし箸から落ちてしまうのである。ここら辺の微妙な違いにこだわっている自分がふと情けなくなるのである。

 「友を送る-―これも同窓会」も心に残る。
 ここ数年、葬式は実に簡素になった。家族葬・密葬・直葬が多くなり、葬儀に同窓生が集まることもきわめて少なくなっている。とても寂しい。
 「同窓会や同期会には、生きている仲間たちが生きていることを確かめに出かけてくる。学校友達の葬儀は、その中の一人が居なくなったことを悼みに参集する。逆方向をむいた集いのようではあるけれども、二つの間にあまり隔たりはないのかもしれない。」
 生存確認の同窓会など以上に、死んだものを中心とした葬儀は、より時代を共有したことの再確認がしやすい場でもあると思ってきた。

 この本は、一気に通読するよりも、眠れないときなどに手にすることで読み進めたい。


つつじが開いた

2021年04月08日 19時58分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日も天気は良い。風が少し強め。
 家をでようとしたら、月曜日には綻びそうであったつつじの蕾が開いていた。ひょっとしたら昨日の内に咲いていたのかもしれないが、気が付かなかった。十数輪一斉に咲いていた。
 周囲のつつじよりも株全体が少し遅めであったが、これで追いついたようだ。

 外に出ると南風なのに冷たく感じたけれども、3分も歩くと汗ばむほど温かく感じるようになった。本日の最高気温は18.8℃、ほぼ平年並みの気温。

 所用があり、横浜駅の地下街を2往復ほど歩くことになった。人出はいつもと変わらず、メイン通りは人と肩が触れ合うほど。階段を多用すれば、地下街を歩く距離も少なくて済むが、一度入ってしまうと、地上に出るのが億劫になる。