Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ベートーヴェン「ピアノソナタ第30番」

2021年04月13日 22時11分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 ルドルフ・ゼルキンの演奏のベートーヴェンのビアノソナタ第30番を聴いている。
 第1楽章全体と第3楽章の主題が私にはとても印象的で、頭から離れない。どのように記譜されているのか、気になっていた。
 弦楽器の楽譜とは違い、ピアノの譜面は右手と左手、両方にまたがって旋律が記されるので、ピアノの譜面を見てもなかなか旋律が頭の中に浮かんでこない。しかし曲を聴きながら旋律を追う楽しみがある。管弦楽曲のスコアよりも私に追いにくい。
 しかし美しいと思った旋律がこのように記されているのか、という発見はうれしいものである。例えば第1楽章のA部分、右手の旋律だけが耳には聴こえてくる。しかし楽譜を見ると左手が16分音符を鳴らしている。これに気が付くと旋律に厚みを持たしていることがわかる。
 同時にB部分の装飾音が印象に残る部分である。ベートーヴェンの装飾音というと第4番のシンフォニーを思い出してしまい、その執拗な繰り返しに私は閉口してしまうのだが、この曲では実に効果的で心地よい。
 さらに第3楽章は主題と変奏であるが、主題と第1変奏、第4変奏が私好みの曲である。
 主題の5小節目と6小節目にあらわれる装飾音の転がるような響きがこの曲全体を軽やかなものにしている。
 その気分が第1変奏では、3小節目の転がるような5連部やそれぞれの小節に頻繁に表れる短い装飾音に引き継がれる。
 こういう譜面を見ると、曲全体の美しさが譜面にあらわれていると感じる。
 第30番の曲全体を支配している気分がこの二つの譜面にあらわれていると思っている。


久しぶりに楽譜を見ながら‥

2021年04月13日 20時48分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

  15時半頃にウォーキングに出かけた。少しだけ路面が濡れていた。傘をささないでも歩ける程度の雨が降っていたが、5分もしないうちに止んでくれた。
 約100分ほどで1万歩あまり歩いた。60分ほど歩いたところで頼まれた買い物。久しぶりに傘を持って出かけたので、最後の15分ほどは雨が降り始めたが、濡れずに済んだ。
 南寄りの風であったものの、歩きはじめた時は、少し肌寒く感じた。しかし途中から汗がだいぶ出て来た。

 帰宅後は、ベートーヴェンのビアノソナタの30番、31番、32番を再び聴き始めた。今度は楽譜を見ながら。特に30番、31番は丹念に眺めた。
 最近はスコアなど楽譜を見ることがなくなってしまったが、楽譜フェチの習性は残っていた。初めての曲を聴くときは、最初から楽譜を追いながら曲を聴くと、目で楽譜を追うことばかりに意識が集中し、曲全体の印象が残らない場合が多いものである。今回、楽譜を見ずに幾度も演奏を聴いたことがいい影響になったように思う。同時にこの旋律は楽譜ではこう記されているのか、と面白い発見が続く。
 曲全体の印象を保持しながら、それぞれの楽章の主題を追う、というのは充実した時間に思えるものである。


未だ雨は降らず‥

2021年04月13日 15時06分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 雨が降ってこない。天気予報は外れてしまった。これから振る可能性は高い空の雲の様子である。午前中に印刷会社に記事の修正分を送信。これで最後の入稿になるはずである。

 その後、「バロックの音楽」(磯山雅)と、「あの戦争と日本人」(半藤一利)の2冊を交互に目を通しているうちに、いつの間にか15時になっている。

 一日家に籠もって、と思ったがどうしても体を動かしたくなって、散歩がてら買い物を買って出た。たかだか卵を階に行くだけだが、それなりの時間はかけて歩いてくるつもりである。本当は、買い物もせずぶらぶらと無目的に歩きたいのだが、それは許されることではないようだ。
 南寄りの風が少し強くなってきた。そろそろ降るという予告なのだろうか。早めに外に出かけたい。