Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

軽くウォーキング

2021年04月20日 23時05分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ドヴォルザークのピアノ三重奏曲第3番、第4番を聞きながら、明日の作業の準備をしているうちに23時になってしまった。これよりメールを1通送信して、本日の作業は終了。
 明日は、A4で1頁の文書をひとつ。退職者会の総会の決議文ということで、方針案などの要約を中心にコンパクトで分かりやすい文書に仕上げる必要。5月10日の幹事会までに仕上げるものだが、他の役員の承諾も必要。できれば明日中に一応は、仕上げて、メールで意見を聞きたいものである。

 肩もかなり凝ってきたので、これより15分ほどの夜のウォーキング。

 ※上弦の月が西の空で潤んでいた。潤んだ半月というのも美しい。

 


ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第3番、第4番《ドゥムキー》」

2021年04月20日 21時40分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 もっとも有名で、私もこの曲が聴きたくてこのCDを購入したのは、第4番《ドゥムキー》であった。しかし今回は、第1番~第3番の印象が非常に良かった。
 以前は第4番《ドゥムキー》ばかりを聴いていた。ドゥムキーとはスラブの哀歌のドゥムカの複数形という。しかし今回は、哀歌・悲歌という印象は第3番のほうがよりその傾向が強いと感じた。
 昨日から、この二つの曲を続けて聴いていると、あまり記憶になかった第3番が実に懐かしく思い出されてきた。解説の文章を読むと、第1楽章は冒頭から「ブラームス的」ということらしい。リズム、ハーモニー、旋律どれもがたしかにブラームスのニュアンスは強い、と感じた。
 第1楽章から第4楽章まで、とこからでもすでに幾度も聴いている懐かしいような感覚に襲われる。第3楽章は、悲歌・哀歌という表現が似合う。

 第4番はあまりに凝りすぎのように聴こえた。ドラマチックすぎるというのだろうか、語りすぎている小説のようである。聴き終わるとどっと疲れが出てしまう。あるいはこれでもかと進められて、食べ過ぎてもたれた食事のようでもある。
 多分聴いている私のほうの精神のありようが原因であることは分かっている。しかしこれまで味わったことのない、満腹感であった。


本日の作業

2021年04月20日 19時30分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の会議の結果、宿題が六つほどあったが、午前中にひとつ、夕方にひとつ片づけた。午後は必要な用紙を購入するちために横浜駅そばの家電量販店へ出向いた。
 平日の昼間でもあり、横浜駅の地下街の人出は少なかった。それでも帰り際には中・高校生の下校が始まった時間帯で、制服姿が押し寄せるように横浜駅の地下街を歩いてきた。学校のある方角は避けて少々遠回りをして帰宅。

 本日は夜に残りひとつの仕事を片づける予定。本日仕上げなかった残りの三つのボリュームが大きい。いづれも来週の連休に入る前には片づけておきたい。
 頭の整理をしながら原稿書きの仕事なので、気分転換のウォーキングや音楽などは別として、読書は3日くらいはつらいと思われる。読書ができなくてイライラがつのれば別だが‥。