Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

風が強まる

2021年04月29日 23時23分17秒 | 天気と自然災害

 強い雨の区域が上空を通過中である。強い雨の区域とともに風が強くなって、風の唸り声が大きい。雷・強風・波浪注意報に大雨注意報が加わっている。雷がなっていないのがありがたい。
 しかしレインアイよこはまを見る限り、この5mm未満とはいえ雨の区域は茅ケ崎・藤沢・江の島あたりの海岸で次々に生まれて北上していく。雨量は少なくなっているが、かえって風がとても強くなった。

 まだまだ油断できない状況である。本日の雨の最後のひと暴れといえるかもしれない。


シューマン「幻想曲Op.17」「森の情景Op.82」

2021年04月29日 22時04分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 一時間ほど前から30分程度、かなり強く振った。20ミリ程度の雨の区域が南南西から北北東へ流れていった。この南風は朝から変わらず、ベランダにはだいぶ雨が吹き込んだ。
 日付が変わっても降り続くらしいが、今のところ強い雨の区域はレインアイよこはまの画面の西側、南側には見当たらない。現在降っているのは最大10ミリ程度の雨。
 しかし江の島・鎌倉あたりに強い雨の区域が上陸してまもなく、こちらまでやってきそうな気配である。この強い雨の区域がピークのような気もする。

      


 先ほどから伊藤恵のシューマニアーナⅤを聴いていたが、どこかで聴いたような曲が聴こえた。CDの目次をよく見ると、ルービンシュタインのクライスレリアーナに同梱していたシューマンのOp.17の「幻想曲ハ長調」であった。リストに献呈された曲とのことである。

 第1楽章の後半5分も続く今にも消え入りそうな部分は大胆な組み立てだと思う。第2楽章は明るい旋律で軽快。第3楽章のは第1楽章に続く内省的な曲である。本日の雨の音にまぎれてしまうような静かさがある。時々浮かび上がるようにフォルテとなるが、すぐに弱奏になり、美しい旋律が流れてくる。最後は第1楽章と同じく、消え入りそうに終わる。
 こういう曲想が私にはシューマンらしさなのか、と勝手に思っている。

 続く「森の情景」(Op.82)も変化に富んだ曲で、9曲で構成されている。聴いていて飽きない。


シューマン「子供の情景」

2021年04月29日 19時40分21秒 | 読書

 いっとき強めの雨になり、風も強かった。今は、雨も風も弱まっている。夕刻になり気温は低くなっている模様。

      


 マーラーの第1番《巨人》のシンフォニーを4回ほど聴いた。少々耳と頭がもたれてきたので、今度はシューマンの「子供の情景」(Op.15) 。演奏は伊藤恵で彼女の「シューマニアーナ」の5巻目。
 本日のような雨の日に聴くにはこちらのほうが相応しいのかもしれない。第7曲の「トロイメライ」はあまりに有名。小学生の頃から音楽の時間に聴かされた。しかし小学生の私でもあまりに甘ったるい曲だと思ってその後は敬遠していた。
 最近、その呪縛が説かれたのかもしれない。冷静に音型を追えるようになってきた。伊藤恵の演奏は、初めて聴いたとき少し情感が過剰に思えたが、さらっと弾いてしまうよりも、この程度までテンポを落としたほうが、甘さに流されずに、じっくりと聴けると感じた。第12曲も第13曲もいい曲だと思えるようになったの最近だと思う。それにつれて他の曲も十分に心が落ち着く佳曲だと思うようになった。


マーラー「交響曲第1番《巨人》」

2021年04月29日 15時49分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 朝から弱い雨が降り続いている。起きだしたころは1mm未満の雨だったが、今は最大5mm程度の雨が降っている。横浜でも湾岸部にかけて狭い範囲であるが30mmの雨の区域もあるようだ。箱根から西には50mmの雨の区域も広がっており、東に進んでいる。

 昨日出来上がったニュースの原稿を見直しているうちに、見出しの文字に飾りを点けたり、イラストをいくつか付け加えてみたくなった。また編集を職業にしている娘の意見を聞き、記事本文や見出しの文章も訂正。
 印刷所での編集を経ないので、こういう時に親族にプロがいるのは助かる。しかも無料で、というのは申し訳ないとは思いながらも、甘えてしまった。

 雨で外に出る気が失せている。

 雨にあった曲を聴きたくなったのだが、先日友人からマーラーのシンフォニーにメールで言及があった。



 私は第1番《巨人》、第4番、第5番を好んで聴いていた。エリアフ・インパル指揮のフランクフルト放送交響楽団の演奏を全曲そろえて聴いていた。CD2枚にわたる曲は面倒なのであまり聴いていない。2枚組みでよく聴いたのは第6番《悲劇的》。
 よく理解できない訳の解説を読もうと努力はするもののいつも解説は放り出してしまう。そして曲の流れにだけ身をまかせて聴いていた。
 今回は、友人のメールに刺激を受けて数年ぶりに聴いてみた。私のUSBアンプで音を絞って聴いている。音はそれなりにのびやかに聞こえる。印象的な旋律や動機が次々に思い出される。じっくりと管楽器の音を聴き分けながら、聴くのもたのしいものである。懐かしさと新鮮さが同時にやってくる。
 マーラーの劇的過ぎる音の構成、特に管楽器の奔流は好き嫌いがはっきりしている。しかし木管やハープの美しいソロの旋律が聴こえてくると、ホッとするときがある。この快感を求めてまた聴いてしまう、という別の友人がいて、盛んに私にマーラーのシンフォニーを勧めてくれた。その友人には今でも感謝している。



 なおこの曲は1888年にでき、翌年に初演された。関係はないが、大日本帝国憲法が発布され、さらに翌年帝国議会が開かれた。そんな時代にできた曲である。