Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

なんとも情けない思い込み

2021年04月27日 22時27分26秒 | 読書

 明日以降、ゆっくりと天気は下り坂という天気予報に接した。明日はまだ外歩きはできるようだ。予報では、明後日は本降りとなるという。

 さて、本日は喫茶店で「バロック音楽 豊かなる生のドラマ」(磯山雅、ちくま学芸文庫)を読んでいたら、これまで間違って覚えていた事項があった。
 実は私は、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)はカトリックだとばかり思い込んでいた。この本で実はルター派の信仰であったと聞いてびっくり。私はバッハはカトリックだといつ、誰に聞いたのだろう。なんとも情けない話である。
 思い込みだけで、確かめもせず50年近く生きてきたことになる。なんとも情けない。
 以前には、恥ずかしげもなく、カトリックのバッハとこのブログにも記載をしていた可能性がある。そのような表現があったら、訂正しないといけないが‥。恥ずかしながら、恥は晒しておこう。
 この本を読まなければ、間違いに気が付かず生涯そのまま思い込んでいたかもしれない。


月による自分の影

2021年04月27日 20時51分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は十五夜の月の下を20分ほど歩いてきた。月がほぼ真上に見えたが、下を見ると月による自分の影を見ることができた。とても微かな影であるが、道を東西や南北に行き来するうちに、間違いなく月による影だと断定できた。ずいぶん久しぶりに見たと思った。月によってできた自分の影を追いかけているうちにいつの間にか自分の影が今度は後ろにできていた。
 月による影は残念ながら街灯や車のヘッドライト、コインランドリーやコンビニの灯りですぐに消えてしまうほどの儚さである。
 そんな遊びをしているうちにあっという間に20分経って自宅にもどってきた。小さいころに戻った気分になった。しかし23時過ぎに月による自分の影で遊んだことはないはず。子どもの頃は、真夏の昼間の影遊びであったはずだ。
 そんなふうに時間が混同するのは、何という現象なのだろうか。

 大人になってからの記憶は2回しかない。仙台での学生時代に、大学の構内で見た記憶がある。アルバイト先から疲れた体で大学の構内を通って住んでいたアパートに戻り途中だった。また30歳を過ぎて南アルプスのどこかの山小屋で深夜に外に出たときに見た記憶もある。そのときは通りがかった人のヘッドランプで一瞬消えたが、すぐにくっきりと元に戻った。
 いづれも疲れた体を引きづっていた時の記憶である。しかし昨晩はそんな状態ではなかった。

 本日は満月、ふたたび月による自分の影が見られるだろうか。


編集作業は何とか終了

2021年04月27日 18時39分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 気持ちの良い陽気であった。午前中は昨日の作業の続き、昼は喫茶店で軽く二人でランチののち、買い物に付き合わされた。しかし食料品以外は、一人でないと落ち着いて買い物ができないそうである。むろん私も購入するのか、しないのかはっきりしない買い物に付き合うのは遠慮させてもらいたい。私は有隣堂で物色と立ち読みで私なりの充実タイム。

 遠回りをしてウォーキングがてら帰宅。かなりの汗をかいたので、途中の小公園で水分補給をしながら、休憩。



 カワヅザクラの実は熟して黒くなったものもたくさんあった。しかしほとんどが小鳥に食べられたようだ。どこに種が撒かれたのだろうか。
 桜の実ではなく、葉っぱにピントが合っているのは、ご愛敬として笑ってほしい。

 夕刻にかけて編集作業を再開、なんとか出来上がった。夜に再度チェックをしてから他の役員に送信予定。