Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

自分を制御することは難しい

2021年05月19日 22時55分10秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 終日の雨は18時頃には上がったと思われる。本日は病院には、往復バスを利用したので、わずかに4千歩ほどしか歩いていない。23時過ぎに、3千歩ほど歩きに出かけようかと思っている。

 妻のワクチン予約、集団接種にするか、付近の病院の個別接種にするか、日程との相談である。24日の予約以前に、直接申込を受け付けているクリニックがあるとの情報もある。妻はそれには乗り気ではない。可能ならばそこでもいいのでは、と思ってはいる。が、本人次第。

 明日からそろそろ来月の退職者会のニュースの原稿づくりに着手しようかと考えている。もう少し休養してからでも間に合うが、ゆとりをもってのんびりとしたペースで仕事をこなしたい。
 十分休養を取り、作業のペースをいつものとおりとするか、休養を短めにして、作業ペースをゆったりとするか、どちらが体の負担が少ないのだろうか。

 性格的に私は後者は合わない。のんびりとしたペース配分ができない。前者のほうが性格的に合っている。とはいえ、のんびりした休養を長時間とることも苦手である。どうも困った性格である。自分で自分を制御することはとても難しい。

 


「あの戦争と日本人」(半藤一利)

2021年05月19日 20時32分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日「あの戦争と日本人」(半藤一利、文春文庫)を読み終えた。感想は「私の視点とはずいぶん違うな」というところにしておこうと思う。
 20代のころ、「明治維新以降の近代化とは別の「近代化の構想」の可能性とは何か」という議論を仲間としていた時期があった。「尊王攘夷論、明治維新にさかのぼって「別の近代化」を構想できなかった幕末思想の再検証を」と偉そうに息まいていたころをふと思い出した。それが半藤一利を読んでいて常に頭の中に浮かんでは消えた。
 私はその議論は途中で放り出してしまって、自分では解決できないまま生きてきた。私は意外と未だにここにこだわっている自分を再発見した。
 「国家」というものの感性的な把握に大いなる深い溝が私と半藤一利の間にはあるのだろうと感じた。
 一方で、いまがまさに「戦前」の様相を呈していることはこの本からもあらためて実感した次第である。また、あとがきで「本書の第1章でふれたように、攘夷の精神は死なず、ということなのでしょうか。時代がどう進歩しようが、日本人の胸の内を一尺掘れば攘夷の精神が芽を出す。はたして攘夷こそが国民的アイデンティティーなのでしようか。」という一文は心に残しておきたい。


長袖・半袖

2021年05月19日 09時45分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 妻のワクチン接種予約は、来週24日にならないと無理であった。すでにWebでの予約枠は満杯とのこと。集団接種にしろ、個別接種にしろ24日にならないと予約できない。
 これより、市民病院に向かう準備。

 昨日は半袖、本日は20℃なので長袖。もともと服装を選ぶのが面倒な私には、衣替えの時節は好きではない。かといって着るものは毎日取り替えたい。下着は12か月間、ランニングシャツとトランクスばかり。形は変わらないので、毎日取り換えるのは何の苦にもならない。洗って引き出しの一番上にあるものを身に着けるだけである。
 しかし、上に着るものを気温に合わせるのが面倒。まして柄がどうのこうの、となるともうお手上げである。