「聖母の美術全史 信仰を育んだイメージ」(宮下規久朗、ちくま新書)の第1章「聖母像の成立 イコンと黒い聖母」を読み終え、第2章「中世の聖母 涙と乳」の第4節「絵画から彫刻へ」までを読み終わった。
退職者会ニュースの作成に時間も気持ちも取られていたので、本日からようやく本腰を入れて読み始めた。いつものように覚書風に。
「聖母マリアがキリスト教以前の古代宗教の女神と習合したものであるとする説が有力である。キリスト教が支配する以前の地中海沿岸では、アルテミス、デメテル、キュベレ、イシス、イシュタルといった地母神への信仰が普及しており、これらの像が転用されたものが当初の黒い聖母であったと思われるのだ。パウロが布教した小アジアのエフェソスには、アルテミス‥。キュベレは小アジアのフリギアの地母神で息子であるアッティスとともに表現されることもある。古代のギリシャやローマにその信仰が広がり、‥冥界の神オシリスの妻で天空の神ホルスの母であったが処女のままホルスを生んだとされる。イシスは紀元前24世紀のエジプト古王国時代に遡るエジプト神話の目が意味、アレクサンドロス大王の遠征と共に東地中海に伝わり、‥西洋全土にその信仰が広がった。‥これらの女神は出自や性格を異にするとはいえ、互換性があり、はっきり区別されずに信仰されていたことが推察される。」 (第1章「聖母像の成立」)
「聖母信仰が偶像崇拝的な起源を持つことを物語っている。聖母についてのテキストは聖書にほとんどなく、その生涯も考えも曖昧であるにもかかわらず、その彫像や画像が奇跡を起こすという伝承が世界中に膨大に伝わっている。‥聖母信仰はテキストや明確な教養のない、きわめて即物的・威嚇的で異数敵的な偶像崇拝から始まり、拡大してきたといえよう。聖母は造形芸術との親和性が強く、美術のあゆみとともに、発展することになったのである。」
(第1章「聖母像の成立」)