Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

贅沢なコーヒータイム

2022年07月29日 23時28分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日土曜日の気温も湿度も本日と同じくらいのようだ。横浜駅の周辺は人出が多いと思われる。私の周囲でも家族が感染したなどの報告がちらほら。身近に迫ってきている。繁華街に近づかずに昼間の時間を過ごしたいものである。昼間の暑い時間帯は家に籠り、夕方以降に周囲を散歩するのがいいと思われる。
 しかし膝のことを考えると途中に喫茶店があるコースでないとつらい。財布の都合から言えば、現金払いではなく、電子マネーが使えるところがありがたい。使えない場合は、ドリップまたはサイフォンで丁寧に淹れたコーヒーを出してくれるところが嬉しい。
 普段は安いコーヒーを電子マネーで喫することで節約。週に1回くらいは、現金で多少高くとも丁寧に淹れたコーヒーで、ゆったりした時間と気分を味わいたいと思う。ケーキやパンなどはいらない。砂糖やミルクなどもいらない。店主がおしゃべりなのも困る。客が他にいなくとも放っておいて欲しいのである。
 コーヒーの味は、酸味が少なく、苦みとコクが優っている豆を用意してほしい。音楽がかかっているとすれば、テンポのゆっくりとした曲。

 膝の痛みを考えると対象は限られる。考えつく散歩コースには1軒のみ。コースは限られてしまう。

 


「犬の記憶」(森山大道) から その2

2022年07月29日 21時41分14秒 | 読書

 この著作、なかなか濃密で優れた文章である。連作の短編小説を読んでいる気分になる。写真家の文章として読むよりも、私は優れた小説家の小説の世界を逍遥しているような心地よさがある。
 「犬の記憶」15編のうち、「もう一つの国」までの6編を読み終わった。少し長すぎるが結果的には小説的ではない部分を引用してみた。

「生まれ落ちた、というだけではなく、まして親しんだというわけでもない。面影などといってみたところで所詮幻影である。‥幻影に心情を寄せることは詮ないし、幻影に向けてシャッターを切ることもできない。過去を現在に、現在を過去に重ね合わせて見ることが記憶を検証することではない。もとより記憶とは、自身の内部に懐かしく立ち現れる。かく在りきイメージの再現行為などではなく、現在を分水嶺として、はるか前後へと連なっていく大いなる時間に向けて、したたかにかかわって心の領域のことだと思うからである。」(陽の当たる場所)

「少年期に通り過ぎたいくつかの街の雑踏と、そこに漂っていた匂いとの出会いの記憶から僕の戦後体験は始まっているからだ。その時期はおよそ昭和二十七、八年ぐらいまでに当たり、そのころで僕の少年時代も終わっている。‥現在、ときに気弱になってしまったときに、めくるめく思い出として、そこに生きて在った人々も風景も、なにもかもが輝いた輪郭を持っていたかのように僕の目に映るあの戦後の記憶が、一種逃避的なノスタルジーとなって懐かしく錯覚されてくるのだろう。しかし実際のところ、あのころが僕にとって、飛び帰りたいほど甘美な日々であったという記憶など何ひとつあったわけではなく、むしろ両親の世代の人たちにとっては二度と在ってほしくない時代であったことは想像にかたくない。‥本当はカメラを手に、実際に立ち会ってみたかった唯一の地点(時代)でもあった。」(壊死した時間)

「国道を疾駆していると、一瞬の出会いののちにはるか後方に飛びすさっていくすぺてのものに、とりかえしのつかない愛着を覚えていいしれぬ苛立ちにとりつかれてしまうことがしばしばだった。ことに夕暮れどき、フロントガラスの片隅をかすめてつとに街角に消えていった女の仄白い横顔や、白昼、畑のなかに立ちつくす少年のなまざしなどは、いつか見たスクリーンの映像に似ていつまでもなまなましく目に焼きついている。垣間見、無限に擦過していくそれら愛しいものすべてを僕はせめてフィルムに所有したいと願っているのに、欲しいもののほとんどはいくら撮っても網の目から抜けこぼれる水のようにつぎつぎと流れ去ってしまって、手元にはいつも頼りなく捉えどころのないイメージの破片のみが、残像とも潜像ともつかない幾層もの層をなして僕の心の中に沈み込む。」(路上にて)

「その夜('68/10/21国際反戦デー)新宿の町は異様な暗さにつつまれていた。‥しかし、僕が大きな衝撃を行けたのは、そのことよりも、むしろ新宿の町全体をつつむ不思議な静けさであった。じっさい耳をおおいたい喧噪であったにもかかわらず、僕の目に映った暗い光景は、むしろ無言劇をみるように奇妙な静ひつであった。‥「なあんだ、こんなことだったのか」路地の暗がりにはロープを張りめぐらし、逃げ込む学生を自警団と称する一団が角材で袋叩きにしていた。昨日まで表通りの商店で学生を相手ににこやかに商売をしていた商店界の男どもである。‥見事な返信であった。「そうか、そういうことだったんだな」不夜城を誇る新宿のまばゆい夜景は一夜にして暗澹と不気味な闇の光景に転じていた。僕は乾いた気持ちで、早い記憶にある戦時中の警棒団や灯火管制を思い出していた。「わかったよ、いいものを見せてもらったよく覚えておこう」名状しがたい恐怖感といいしれぬ絶望感、そして索漠として冷えた気持ちをかかえて僕は青山の仕事場に戻って暗室に入った。‥そしてあれからすでに十四年が経ってしまった。いま時代は一見静かにみえている。しかし実体はさらに凶悪になってしまったと思う。あの新宿の黯い一夜は、完全に予行演習であった。そして僕は、相変わらず夜の来るのがとても恐ろしい。」(夜がまた来る)

「夜更けのカウンターで、数人の男が酔いしれている。落とした背中にはごたごたとややこしい浮世のオリがへばりつき、酒で脂ぎった顔には生活の翳がある。ひとまず現実を理想をすべて語りつくした果てに、カウンターの荒野の上に一人ぼっちの我が姿を映している。」(もう一つの国) 





多忙だった日

2022年07月29日 18時06分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 33.6℃にもなったが、意外と多忙だった本日。9時半まで「犬の記憶」(森山大道)を読んでいた。何となく、こなさなくてはいけないことがあるようで、何となくそわそわ。いざ体を動かしてみるとこれもやらなくてはいけなかった、あれをしてなかった、と思い出すことばかりで慌てた。体を動かさないとボケると言われるが、ひょっとしたらこういうことなのかもしれない、と合点。
 まず先月友人から手紙と本を寄贈してもらった。まだそのお礼状すら出していなかった。1か月の放置という大変失礼なことをしてしまった。急いでお礼状をしたため、打ち出して封入。横浜駅の郵便局で投函。
 退職者会の仕事でこなさなくてはいけなかった事項をふたつ思い出し、急いで組合の会館にて処理。同じく銀行ATМで通帳記入。

 ようやく14時過ぎに喫茶店でホットドッグとアイスコーヒーで昼食兼一服。読書タイムを15分ほど。友人と打ち合わせの日時の設定。
 帰りはドラッグストアで鎮痛解熱剤を購入してから、家電量販店と書店をいつものとおり一回りして帰宅。鎮痛解熱剤は病院で処方されるものすら品薄で支障が出ていると報道があった。膝の痛みが発症して以来、鎮痛剤がないととてもつらい日々が続いている。少しずつ服用する量は減らしている。

 それとなく現役時代の時のような慌ただしい一日であった。

 本日は、久しぶりに8000歩も歩いてしまった。今晩から明日にかけて膝が痛まないか、不安である。