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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

昼寝という習慣

2022年07月28日 18時16分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後からは、親のMRI検査のための通院に付き添い。15時という予約時間の20分ほど前に到着したが、結局家に戻ったのが16時半。行きも帰りもタクシーを使った。
 本人も疲れたようだが、私ども夫婦も疲れた。つまは検査時間の間に食材等の買い物にも出かけていた。

 すっかり晴れ渡り、昨日よりも陽射しが強かった。ただし湿度は昨日より低かったのはありがたかった。
 帰宅後、一服しているうちにうつらうつら。もう少し読書をしようかと思っているうちにいつの間にか昼寝。最近は昼寝の時間が増えてしまった。

 都内では4万人を超す感染者が出たとのニュース。これまで身近な人には感染者がいなかった。しかしここ数日、身近でも友人などの関係者が感染した、という知らせが相次いでいる。ひしひしと押し寄せてきている。
 いつどこで、誰がかかってもおかしくない状況が続いている。

 


「犬の記憶」(森山大道) からその1

2022年07月28日 13時13分32秒 | 読書

      

 午前中は「犬の記憶」(森山大道)を読む。始めの2編「陽の当たる場所」と「壊死した時間」、最後の方の2編「写真をさようなら」と「そして光と影」、ならびに「あとがき」。

「同人誌〈PROVOKE〉は‥二年足らずで終刊した。その2年の歳月は、70年安保へ向けて激動する、いわば突出した(ラディカル)政治の季節とぴったりと符合していた。‥いかなる思想を挑発しえたか、いかに写真を変革しえたのか、またメンバーがそれぞれ自己を挑発しえたのか、僕には何の結論もない。おそらく永遠に結論など出ないだろう。‥1970年に〈PROVOKE〉が解散したあと、‥時代にとっても自分にとっても、どこかひとつ「終わったな」という思いだった。‥現実との間に相対的な肉ばなれを感じ始めていた。その間隙がひめがっていったとき、僕には自分を襲う喪失感が何であったのかがはっきり見え始めてきた。‥僕を襲い続けていた喪失感とは、僕のあまりにも遅すぎた青春の終焉のことであった。」(写真よさようなら)

「僕にはつくづくあるひとつの感慨が在る。それは当時をあまりに無我夢中でいきていたためにかえって実感が淡かったものとしか思えないが、1970年を頂点とする、60年代後半の数年間の時代の存在である。その時代の数多くの記憶は僕にとって、この手から逃げていった〈哀しい鳥〉を追う口惜しさとしてあり続けている。‥かかわったひとつの時代に、かくまで愛惜を持ちつづけることにおいて僕は以て瞑すべきかもしれない。」(あとがき)

 1938年生まれ、私よりも13歳年上の駆け抜けた1945年から1970年、私の体験と感慨と並べながら読み進めたい。