正午過ぎにテーブルから立ち上がったとたんに、触っていもいない眼鏡のレンズの片方がポロリと床に落ちた。膝が痛いのでしゃがめないし、レンズが外れたために床のものも見えない。妻に床を探してもらってようやく外れたレンズを見つけてもらった。
反対側のレンズも外れかかっており、左右共にフレームにレンズが嵌らなかった。
14時ころから団地の周囲の住宅街をゆっくり散歩するつもりでいたが、急遽横浜駅にある眼鏡店でレンズを嵌めて貰うことにした。
眼鏡店では、フレームを止めている溶接部分が劣化して外れてしまっている、お盆で夏休みと重なり修理に3週間と、費用7000円とのこと。3週間も眼鏡なしで暮らせるわけがない。
やむなく、現在のフレームより少し小さめで、値段は同等程度のフレームに交換し、店でレンズを削ってもらうことにした。3年と少しで壊れてしまったことには納得はできないが、背に腹は変えられない。出来上がりは明日昼前。費用は工賃と合わせて1万9千円程度。
お金は持たずに出かけたので、クレジットを利用。電子マネーでは数種類使っても2万円近い金額にはならないので、クレジット払いにしてもらった。突然の出費は痛い。
ということで、杖を突いての散歩はお預け。もっとも横浜も15時過ぎに35.2℃を超えて猛暑日。散歩に出かけなくて良かったようだ。35℃を超えた時間帯は、横浜駅に向かうバスの中、また眼鏡店の店内で涼しく過ごしていた。
「犬の記憶」(森山大道)の「八月の旅」から「時の化石」までの5編を読み終えた。
「『門を出れば我も往く人秋の暮れ』与謝蕪村は、先人松尾芭蕉の旅に憧れ、ひきかえてしがらみに流される我が身のつたなさを嘆いてこの一句を読んだ。自家の門からたった一歩だけ往来に足を踏み出すことで、蕪村は旅を経験したのである。‥どうしようもない自分を抱えてオロオロと自室を旅するしかない蕪村は、‥蕪村は一貫した心の旅人ではなかっただろうか。芭蕉の山野を、陋屋で過激にトレースした蕪村は、芭蕉とはちがう意味で、したたかな旅の達人だった‥。」(八月の旅)
「いつどこへ旅しても、僕につきまとういい知れぬ不安。といえば体裁よく思われてしまうそうであるが、本人はほんとうにつらい。むろん現実からぷっつり切れ、自意識を捨て切ることなど生きている以上いかなる事態においてもありえないから、それを旅に望むことは不可能である。むしろ旅とは、そうして丸抱えしてしまっている自分のぬきさしならなさを、未知の時空に投げ入れることによって、さまざまな擦過の過程のなかから、自分のなかにさらに新しい自意識の覚醒をはかることであろう。僕の内にひそむ、過去の経験による多くの記憶と、未知への予感から生まれる記憶との交感によって、かならずしも、自覚的ばかりではない自分を発見し、予見する行為のひとつのかたちが、例えば旅である。」(八月の旅)
「人間が持っているように、街も夢や記憶を持っている。人間の記憶がさまざまな混成系であるように、街もあらゆる物質と時空が交錯する混成体である。街は、人間の持つすべての欲望と相対的な絶望をもしたたかに蚕食して生きつづけてきた。」(街の見る夢)
「人はたった現在(いま)を生きている。生きているという実感が一瞬でも持てるとしたら、それはたった現在(いま)をおいてほかにはない。生きていたという過去(むかし)には、もはや何の手ざわりもない。自身が過ごしてきたはずの時間にじつは何の実体もなく、自己証明の手がかりすらないとこを知ったとき、人はそのあまりの不確かさにいいしれぬ不安とおそれを抱くのではないだろうか。あげく現在(いま)生きているという実感すらあやふやな自分を知ることになる。‥一変してしまった風景をまえにすると、僕はふと自身の生のたよりなさとともに、かつて見た風景をほかに向けて証明することすら出来ないことを知る。」(再会)