11月24日以来久しぶりにチャイコフスキーの交響曲を聴く気になって、第4番を聴いている。この曲自体を聴くことが本当に久しぶりである。もう何年も聴いていない。
演奏は、第5番、第6番と同じくエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮のソビエト国立交響楽団、1990年5月のサントリーホールでの演奏会場での録音。
金管の咆哮から始まるいかにもチャイコフスキーのオーケストレーションである。「不幸な結婚」からの逃避と、フォン・メック婦人との文通を通して、それからの再生に果たしたチャイコフスキーにとって画期となる曲である。冒頭の金管の咆哮が重くのしかかったまま、曲が進行する。フィナーレのやはり金管の咆哮と呼応するようである。
伸びやかな第2楽章と、第3楽章の奇妙なおどけたようなリズムとメロディーが私には救いのような楽章に聴こえる。
本日は夜も遅いので、第3楽章までにして、大音響のフィナーレは明日の午前中に聴くことにした。
明日は、午後から退職者会の上部団体の総会、夕方からは玉城デニー沖縄県知事の講演会。共に取材を兼ねて参加である。カメラを持参して取材予定。急遽カメラマンの代役でもある。
一応ストロボは持参するが、夕方からの広い会場には小さい機種なので役に立つかどうか、疑問符付きである。使わない選択肢もある。三脚は安物を購入したため、錆びてしまい、リフォームの時に廃棄してしまった。こういう場面でのカメラの使用は普段は想定していないので、あたふたしてしまう。
残念ながら天気予報では午前中はかなり寒く、そして雨の予報に変わった。夜には雨があがり、気温も高くなるとのこと。ザックカバーが必要になってしまった。
気温は14℃を越えていた。北風であったが弱い風なので寒さはほとんど感じなかった。午後から所用を片づける傍ら、いつものように横浜駅そばの喫茶店でコーヒータイム&読書。しばらくぶりの読書、ようやく頭のエンジンが再起動したような気分である。
久しぶりに「文学が裁く戦争 東京裁判から現代へ」(金ヨンロン、岩波新書)を読んだ。「はじめに」と第1章「東京裁判と同時代作家たち」及び第2章「BC級裁判が突きつけたもの(1950年代)」を読み終わった。
東京裁判については、少しばかりは見聞きしているが、文学からのアプローチとはいえ、正面から論じたものをまとめて読むのは初めて。私の不勉強を少しでも解消したいものである。
感想なり引用は後日。