天気予報では明日30日から下り坂といっても多少雲が多い程度らしい。大晦日の明後日は朝から雨が降るという。気温は高め、風が明日昼過ぎから南風に変わるようだ。
明日の昼間は、娘夫婦と5人でランチ。近くのスペイン料理の店に予約をした。初めての店なので、口に合うか少々心配をしている。ワインを飲み過ぎないように注意しなくては・・・。
午後は我が家で、娘夫婦の旅行の報告会という名の写真のお披露目。夜は何を食べるか悩み中。
明日のウォーキングは夜にしか出来そうもない。
横浜駅の地下街とデパートの地下売り場の混雑から疲れ切って早々と帰宅後。「キリストと性 西欧美術の想像力と多様性」(岡田温司)を読み進めた。
第4章「もしもキリストが女性だったら」を読み終え、第5章「「傷(ウルヌス)」、「子宮(ウルウァ)」、「乳首(ウベル)」」に入った。
「女性が男性に成り代わって十字架にかかるか、十字架のイエスがまるで女性に変装しているように見えるといった、荒唐無稽でトランスジェンダー的なストーリーは、中世から近世のキリスト教徒たちの想像力を大いに刺激してきたものでもあった‥。」(第4章)
「(女性の磔刑像は)鑑賞やコレクションのために制作されたというより、無名の彫刻師や絵師たちによってつくられて、地方の町の小さな教会堂に飾られてきたもので、それだけにいっそう、一般の信者たちの篤い祈りの対象となったいたことが想像される。強権的な父親や夫の虐待に悩まされる妻や娘たちの信仰を集めてきたようだ。」(第4章)
「救世主キリストは必ずしも男である必要はないのではないか、人々のそうした思いが、宗教的で文化的な無意識とでも呼びうる層のなかに根強く潜在していて、それが(女性の磔刑像などの)現象や作品になって浮上している‥。」(第4章)
この章になってようやくキリスト教がヨーロッパ各地域の土俗の宗教や信仰との関りの中で、着地をするにあたり、それらを取り入れ、接ぎ木をしてきたことへの視点が見えてきた。
キリスト教の福音書や聖典の中にあった発生地点での習俗が色濃く反映しているもの、そしてヨーロッパ各地の土俗の宗教や信仰を取り込んだ痕跡こそが、さまざまな「性」=「生の原点」にまつわるものとして表れているのではないだろうか。
第5章にいたってその視点がより強調される。著者の思いがこの流れに沿ったものか、それは私にはわからないが。
二人で正月用の食材や親に頼まれた食材を購入しに横浜駅まで出かけた。しかしデパートの地下の食品売り場に入って、驚いた。値段の高いこともさることながら、身動きできない混雑と暑さに立ち往生してしまった。
ダウンのジャケットを着たまま売り場に入って体が蒸し風呂の中に入ったように思えた。また混雑ですれ違った人の荷物などが痛みが残る膝に押し付けられて、悲鳴を上げてしまった。
付き添いでしかない私が混雑に拍車をかけているようでもあり、早々に私だけその売り場から離脱させてもらった。いつも覗く書店の前で妻と待ち合わせることにした。
待ち合わせののち、家電量販店で小型の電気製品をひとつ購入し、バスにて帰宅。
年末の慌ただしい日にあのような場所には行ってはいけないのだが、二人ともつい行ってしまった。いつものスーパーで購入できるものばかりの買い物であったので、わざわざ大きなデパートの地下の食品売り場に出かける必要はなかった。ということで二人とも反省。