「人類の起源」の第3章「「人類揺籃の地」アフリカ 初期サピエンス集団の形成と拡散」を昨日までに読み終え、昨晩と本日で、辛うじて第4章「ヨーロッパへの進出 「ユーラシア基層集団の」の東西分岐」を読み終わった。
第4章からいくつかを覚書として引用。
「ホモ・サピエンスの初期拡散の最初の一万年に関するシナリオは、現段階ではほとんどわかっていません。出アフリカのルートや場所、それを成し遂げた集団の遺伝的な性格、さらにはそれが何回あって、どのような状況で進んだのかについて、私たちはほとんじ何の証拠も持っていないのです。これからの人類進化の歴史を再現する試みは、この時代に焦点を当てて行われることは間違いない‥。私たちはこれまで暗黙のうちに、出アフリカ集団が世界の各地に展開して、現在に続く地域集団として成立したと考えてきました。それは人類集団の成立を、生命進化が枝分かれをしてさまざまな種に分化していくことのメタファーとしてとらえているためなのだと思います。しかし、現在では世界中の遺伝的に区別しうる集団は、そのような単系統で成立したものではないことがわかっています。すべての集団は、歴史の中での離合と集散、交雑や隔離を経て成立してきたことが、古代ゲノム解析で明らかになっているのです。」(第4章「ヨーロッパへの進出」 2「ユーラシアは大陸へ」)
「これまで現代のヨーロッパ人は狩猟採集民を土台として、農耕民が混合することによって成立したと考えられてきました。しかし古代ゲノム解析が進むにつれ、ヨーロッパの各地で、五〇〇〇年以前と以降では、住民の遺伝的構成が大きく変わっていることが明らかになっていきます。五〇〇〇年前は、ヨーロッパが新石器時代から、その後二〇〇〇年ものあいだ続く青銅器時代に移り変わる節目の時期です。‥ヨーロッパではまず農耕が入り、数千年の後に金属器の文化が興ったのです。‥2015年に、ヨーロッパ人集団の遺伝的な特徴を大きく変えた移住の波が、はるか東のステップ地域(ポントス・カスピ海草原)からもたらされたことが明らかになったのです。およそ四九〇〇年から四五〇〇年前にその中のハンガリーからアルタイ山脈のあいだに広がる地域で、ヤムナヤと呼ばれる牧畜を主体とする集団の文化が生まれました。その中心は現在のウクライナ‥。現代に続くヨーロッパ人の地域差は、基本的にはこの青銅器時代における農耕民とヤムナヤ文化人との混合のしたかの違いに起因すると考えられます。」(第4章「ヨーロッパへの進出」 4農耕・牧畜はいかに広がったか)
「ヨーロッパは近代化以降も、民族という名の下に数々の迫害や紛争を経験しています。その最大の悲劇はナチスドイツによるアーリア人種の優位性の主張によるものです。ここまで見てきたように、人々の持つ遺伝子は歴史の中で複雑に絡み合っており「民族の血統」などいうものには実体がなく、幻想に過ぎないことがはっきりする日も近いでしょう。現代のヨーロッパの言語は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれるクループに分類されます。‥その源郷であるアナトリアからヨーロッパに広がった集団とインドに向かった農耕民のグループがいたために、祖語が共通の人々が双方に展開することになったという考え方が支持されてきたのです。しかし古代ゲノム解析により、五〇〇〇年前以降の大規模なヤムナヤ集団の拡大が明らかになったことで、この言語学の定説にも疑義がもたれるようになりました。拡散の時期と規模を考えると、ヤムナヤ集団がインド・ヨーロッパ語族の祖語を話していたと考えるほうが合理的です。(第4章「ヨーロッパへの進出」 5現代に続くヨーロッパ人の遺伝子変異)
「(古代ゲノム解析によって、有史以来の3回のヨーロッパにおけるペスト大流行以前に)ペストはヤムナヤ集団とともにヨーロッパにはいり、免疫を持たないの農耕民の社会に大打撃を与えた可能性があるのです。ヤムナヤの牧畜民が、ほとんど集団の置き換えに近い形でヨーロッパに広がった‥。」(第4章「ヨーロッパへの進出」 5現代に続くヨーロッパ人の遺伝子変異)