夜、風呂に入るときは電気を消して入るのがいい。電気を消すと、窓の外のことが手に取るように分かる。
冬の雨の音、雪の降る気配、秋の虫の音、夜中まで鳴いている蝉の声、キジバトの鳴き声、
台風下のような激しい雨・風の音、梅雨の雨、春の雨、葉擦れの音、落ち葉を踏む音、枯れ葉が落ちる音、それぞれの音が生き生きとした表情を聴かせてくれる。
音の世界だけではない。月の光、星の微かな光、木々の葉がそれらの光と絡むさま、露が生まれ星の光を反射する瞬間、霜柱が土を持ち上げようとするエネルギー、さらには樹木や草の成長しようとする息吹まで感じることもできるかもしれない。
自然の音だけでなく、遠くを走る救急車の音、煌々と照る高層ビルの明かり同士の会話や電線のなかを高速で行き交う電気の悲鳴までもが聴こえてくる。
部屋のなかの明るい人工の灯りは、これらを感じる人間の感覚を麻痺させて、遮断していることが分かる。子どものころ、押し入れや物置の暗闇の中で感じた怖さ、外界の刺激が遮断され孤独に恐怖を感じたときの鋭い感覚もまた蘇ってくることがある。
ふと雨の音が聴こえなくなって来た時の怖さ、というものがある。風呂に入って外界の音を聞いているときも、ふと意識が途切れるような一瞬がある。大人になると感じなくなってしまう恐怖、すなわち外界の音や光が消えてしまう恐怖は、それだけ子どもにとっては、外界の刺激を敏感に感じていた証であると思う。
夜の風呂は、電気を消すと、子ども時代と現代という時間を飛び越えていろいろなことを呼び覚ましてくれる。
陶酔一歩手前的であった。風呂の明かりを消すとは、贅沢の極みである。だが欠かせない作業である。ああ、今日も一日がんばった的である。よろしい……………………ただ、風呂掃除をするように。
温泉では陶酔・至福のひと時をいつも満喫しています。
ただし通りがかり人様とは灯りは消して入ったわけではないですので‥。
風呂の掃除は、ほぼ妻が3回したのちに1回の割合です。随分と私は楽をしています。