最寄りの区役所で手続きののち、近くの駅の傍で昼食と休憩。歩いて横浜駅に出向いて若干の読書タイム。二日ぶりの読書、これまで読んだところも読みなおしたので、わずか文庫木2頁で終了。
本日は久しぶりの陽射しだったものの夕方になると雲が増え、太陽は隠れてしまった。最高気温は久しぶりに26.3℃と25℃を越えた。
★かしは手は二つ目が澄み五月晴 加藤千世子
★梅雨晴の夕茜してすぐ消えし 高浜虚子
★牛のたり三瓶三山五月晴れ 延原令岱
「五月晴」は現在では、新暦のやさわやかな晴天、のこととなっている。しかしもともとは旧暦の五月雨・梅雨の合間の短い晴れた時間や日にちを言っていた。歳時記でも梅雨晴、梅雨晴間の項に含まれることが多い。
最初の二つの句は梅雨の間の貴重な晴間を詠んでいるのは間違いがない。第三句はその句意の明るさから、最近の用例、さわやかな晴天の句であろう。
加藤千世子は加藤楸邨の妻。家庭ではなかなかに難しい楸邨だったようである。
「『夫がき蜂がくすたこらさつさとすさるべし』だろう。「き」と「く」は「来」で、なんと夫を「蜂」と同じようなものだとしているのだから、思わずも笑ってしまう。三十六計逃げるに如かず、君子危うきに近寄らず。と、楸邨の癇癪玉を軽く避けている図」(清水哲男)
という解説がネットに出ていた。
怖い加藤楸邨だったかもしれないが、妻には適当にあしらわれていた側面は否定できない。どんな偉人でも、秀でた人でも、妻や夫、子からはそのように扱われてこそ一人前なのである。
というのが、凡人である私の40数年の教訓である。