疲労感・徒労感の強くなってしまった一日であったが、ようやく「図書12月号」を読み終わった。昨日に続いて気ぜわしく、あまり頭に入ってこなかった。
目をとおしたものは、次の5編。いつものとおり覚書として。
・二度断られ、三度目は‥ 鷲巣 力
「思想はひとりの人間の生死を超えて生き続ける。私たちが、本書(松沢弘陽「福澤諭吉の思想的格闘」)から。あめいは福澤の思想的格闘から学ぶべきは何だろうか。それは、思想的闘いとは「負け」を認めない限り「負け」ではなく、何世紀にもわたって引き継がれる〈希望〉なのだ、ということではなかろうか。」
私には理解できない言葉であった。思想的闘いに「勝ち」「負け」という言葉が唐突に出てくるのも理解できず‥。
・虐殺の匂い、柘榴の香り 亀山郁夫
「(38歳の)ドストエフスキーは、首都への帰還の夢と、悪夢と化した妻マリアとの結婚生活のはざまで苦しんでいた。しかしそれでも希望はあった。作家としての第二の人生が半ば約束されていたからである。他方、作家が夢に見た憧れの地(スペイン)では、七十七年後、同じ38歳の(詩人フェデリコ・ガルシア・)ロルカが、兵士たちの突き出した銃の前で絶望にかき暮れていた。セミョーノフスキー練兵場では起こりえた「奇跡」が、ロルカの身に生じることはついになかった。」
・黒石、売り出す。 四方田犬彦
・翻訳詩アンソロジーの楽しみ 斎藤真理子
・武士の魂は「おかざり」か? 橋本麻里
「(刀剣は)「折紙」という体裁の金券に変換して、「天下の回りもの」として貨幣のように流通させたのだ。それでも刀が空疎な虚飾とされることなく、「信用」を保ち続けて来られたのは、決して失われることのない、原初の恐るべき暴力性のゆえだろう。戦わない武士の腰にあってその魂と見なされ、抜くことが禁忌ですらあった刀。相互確証破壊の論理によって、どれほど大量に溜め込もうが軍事的衝突に使われることがない(ということになっている)核兵器。「国と国民統合の象徴」として君臨しながら、統治を行わない(ことになっている)君主。それらは本当に、「おかざり」なのだろうか。」