本日は退職者会の資料作りを一区切り付けてから、絆創膏を取り替えて外出。土曜日の混雑している横浜駅の近くの喫茶店でコーヒータイム&読書タイムとした。そして久しぶりに「バロック美術」(宮下規久朗)を紐解いた。
既に読んだところをめくらないと忘れているので、10数ページ目を通したものの、あらたに読んだのは2ページほどにとどまった。しかも途中でうつらうつら。まだまだ読書のペースがつかめていない。
左右両隣はどうやら予備校に通っている受験生のようで、両隣ともずいぶん必死に参考書を見ながら、ノートに丁寧に書き写していた。その間に座ったオジイサンがうつらうつらしていてはちょっと目だってしまったかもしれない。あとで考えると少々恥ずかしかった。
50数年前の私も時には必死に勉強していたが、常にどこか醒めていた。彼らも10代最後のどう扱ってよいか自分ではわからない、鬱々とした黒い塊のような心の奥の闇に辟易としているのであろう。それをエネルギーにして必死に何かをしていると理解したいものである。彼らの努力がどのように報われるのか、挫折するのか、いづれにしろ何かを鷲掴みにして立ち上がってもらいたいものである。こればかりは自分で執拗に努力することでしか解決しない。
そんな他愛もないことを考えながら席をそっと立った。