「おくのほそ道」謎解きの旅」(安田登、ちくま文庫)を読み終えた。能を手がかりに「おくのほそ道」の解説。特に実際に歩いたうえでの解説は大変気に入った。全行程ではなく、平泉を頂点とする芭蕉による義経鎮魂の旅という位置づけは気に入った。俳句だけでなく、「おくのほそ道」全体の文の複雑な意味合いがだいぶほぐれて頭の中に入ってきた。
私としての収穫は、平泉を頂点とする旅によって、芭蕉の俳句が大きく変わり、日本海側に抜けるまでの優れた俳句が生まれた根拠がほのかにわかったような気がした。
「義経の冷戦に手向けの一句を供えた芭蕉たちは、これからやっと自分自身のための旅に出ることができる」という一文から匂ってきた。
最後に少し長くなるが、最後のほうで子どもの成長に伴って子どもが、
「親を切り捨てるのも、この時期の大事な仕事なのです。「私が棄てた私」は、無意識の彼方に追いやられて、いつかその境界線を破って出て来ようと虎視眈々と狙っている。ふとした時に「怨霊」のような存在となって出現し、人生の過程で足を引っ張ったりすることがあります。・・よくよく思い出せば意識の彼方に追いやられた「私が棄てた私」は夢の中で現れることによって私たちに鎮魂を求めていた、ということに気づくはずです。大人になったら、「私が棄てた私」をときどき思いだして、その記憶と向き合い、時には思う存分、暴れせさ、もう一度丁寧に封印するという「鎮魂」をする必要がある」
という個所が頭に残った。
上手くいったかどうかは別問題として、私はこのように子どもに接してきた。しかしその可否については、今でも保留している。子育てはとっくに終了しており、今更成長云々ではないし、子どもにアドバイスする立場ではない。それでも私にとってはいつまでたっても結論が出ない。
なお、この本に取り上げているいくつかの謡曲については、追々読みたい。すでに演目を鑑賞したり、読んだりしたものもあるが、いかに私の理解が至らなかったか。情けない思いがしている。また年とともに理解ができるようになったものもあるかもしれない。