「人類の起源 古代のDNAが語るホモサピエンスの「大いなる旅」」(篠田謙一、中公新書)を読み終えた。
前回ブログにアップした4月29日以降に読んだのが、第5章「アジア集団の成立 極東への「グレートジャーニー」」、第6章「日本列島集団の起源 本土・琉球列島・北海道」、第7章「「新大陸」アメリカへ 人類最後の旅」、終章「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへいくのか 古代ゲノム研究の意義」、おわりに。
「田園洞遺跡の人骨のゲノムと縄文人ゲノムを比較すると、56%が共通で、残りの44%はことなるという研究結果があり‥、田園洞の集団が大陸の内部を北に進んだ一方、東アジアの集団はそれとは別の沿岸を北上するルートを進んだ可能性がある‥。縄文人は四万年前以降に東アジアに展開した異なるふたつの系統が合流することで形成されたということです。それぞれの系統が独立に日本列島に流入したのか、それとも大陸部湾岸域で混同した後に流入下のかは以前として不明‥、これまでは縄文人の系統を単一のものとしてしか捕らえていなかったので、このことは縄文人を考える上で非常に大きな意味を持ちます。」(第5章 アジア集団の成立)
「(旧来の)二重構造モデルでは、旧石器時代に東南アジアなどが北上した集団が日本列島に侵入して基層集団を形成し、彼らが列島全域で均一な形質を持つ縄文人となったと仮定しています。一方、列島に入ることなく大陸を北上した集団は、やがて寒冷地適応を受けて形質を変化させ、北東アジアの新石器人となったと考えています。弥生時代の開始期になると、この集団の中から朝鮮半島を経由して、北部九州に稲作をもたらす集団が現れたとされ、それが渡来系や要人と呼ばれる人々になります。縄文人と渡来系弥生人の姿形の違いは、集団の由来が異なることに起因すると説明している‥。最新の研究では、大陸の湾岸部と内陸部を北上したふたつのルートが仮定されており、二重構造モデルのシナリオは単純化しずきたものだということが指摘されています。」
「この二重構造モデルは列島内部に見られる形質の時間的・空間的な違いを「基層集団である縄文人と渡来した集団の関係」という単一の視点で説明している‥また列島集団の成り立ちについて大陸からの先端的な文化を受け入れた中央と遅れた周辺、という見方をしていることには注意する必要がある‥。このようなひとてつの視点で、南北3000kmを超える日本列島・南西諸島の集団の成立を正確に説明できるのか‥。」
「縄文人のミトコンドリアDNAに見られる地域差は‥縄文人が旧石器時代にさまざまな地域から入って来た集団によって形成されたという事実です。‥およそ1万3000年のあいだ続いたこの時代には、列島に均一の集団が居住していたのではなく、私たちが想像する以上に集団の多様性に富んでいたことが明らかにてん。地域によって遺伝的にことなる多数の集団が居住していたようです。‥縄文人というのは縄文時代に列島に居住した人々を総称して指す学問上の定義であって、必ずしも遺伝的に均質な集団であると考える必要はありません。」
「弥生時代を特徴づけるものとして水田稲作農耕だけではなく金属器の使用があります。滋養門時代にはすでにある種の農耕が始まっていたのに対し、金属器が存在しなかったことを考えると、客観的にはこちらのほうが弥生時代を明確に定義する特徴‥。」
「朝鮮半島南部の集団が6000年前には現代日本人と同じくらいの縄文的な要素をもっていたという事実は、これまで単純に在来の縄文人と渡来系弥生人の遺伝子をまったく違うものとして扱ってきた日本人起源論に再考を促すことになりました。」
「(揚子江流域の)稲作農耕民と(中国北部にルーツを持つ)雑穀農耕民が朝鮮半島に流入し、そこと在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合することによってあらたな地域集団が形成され、その中から生まれた渡来系弥生人が、3000年前以降に日本に到達したというストーリーが見えてきます。」
「弥生の中期以降にも大陸から多くの人々の渡来があったと想定しないことには、現代日本人の遺伝的な特徴を説明できません。現代日本人の形成のシナリオは、や要から古墳時代における大陸からの集団の影響をいっそう考慮したものになるでしょう。」(以上、第6章 日本列島集団の成立)
「よく用いられる種の定義として「自由に交配し、生殖能力のある子孫を残す集団」」という考え方があります。人類学者が別種と考えているホモ・サピエンスとネアンデルタール人、デニソワ人のいずれも、自由に交配して子孫を残していることから同じ種の生物ということになり、別種として扱うことはできなくなります。‥種の定義はあくまで現生の生物にあてはめているものなので、時間軸を入れると定義があやふやになってしまいます。種という概念さえ厳密に定義できないのですから、その下位の分類である「人種」は、さらに生物学的な実体のないものになるのは当然です。」
「私たち日本人の感覚では、同じ民族というと遺伝的にも斉一性の高い集団だと考えがちです。しかし近年の古代ゲノム研究によって、人類集団は離合と集散を繰り返しながら、その遺伝的な性格を変化させて存続していることが明らかとなっています。少なくとも「純粋な民族」という概念が、長期間にわたって他集団との混合を経ずに存続している集団であると定義すれは、‥遺伝的にまとまった集団が長期にわたって存続しているわけではないのです。‥私たちの世界は、将来的には民族と遺伝子のあいだには、対応関係が見られない方向に変化してくことになるでしょう。民族はますます生物学的な実態を失っていくことになります。両者を混同した議論は意味のないものになっていく‥。」
「(現在使われている)教科書的記述にかけているのは、「世界に展開したホモ・サピエンスは、遺伝的にほとんど同一といっていいほど均一な集団である」という視点や、「すべての文化は同じ起源から生まれたのであり、文明の姿の違いは、環境の違いや歴史的な経験、そして人々の選択の結果である」という認識です。そうした基本的認識なしに多様な社会を正しく理解することはできない‥。」(以上 終章)
終章で引用した一番最後の「すべての文化は同じ起源から生まれた」という一句の「文化」をのぞいて、なかなかいい示唆、知見が述べられていると感じた。
特に国境線に囚われることなく、列島の縄文時間から弥生人、古墳時代にかけての人々の流れについては勉強になったと思う。
また文化と人々の集団とは一致しないという指摘も忘れないようにしたいものである。
なお、第7章「「新大陸」アメリカへ」は読んだ記憶がある。多分「日経サイエンス」で読んだものを下敷きにしたもののだと思う。