Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

台風18号

2013年09月16日 05時31分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨夜21時前は蒸し暑かったものの風もなく月が美しい夜であった。
 先ほど風の音がひどくなり、目が覚めた。大雨洪水警報に暴風・波浪警報が加わっている。
 横浜・東京を直撃の予想になっている。その後、東北新幹線沿いに北上し道東へ抜けるとのこと。
 本日予定していた墓参りは中止しないとまずい。危険だ。すでに湘南新宿ライン、東海道、京浜東北線、横浜線も一部運休のメールが来ている。
 本日は家に籠もって仕事を片付けろということのようだ。


「浮・透・韻・奏」展

2013年09月15日 22時27分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 横浜は、朝から雨と雷がすごかった。神奈川県下でも被害があったとの報道が朝のニュースで伝えていたが、具体的なことは私は、把握していない。
 雨のあがった直後の昼前に横浜駅に集合して、日比谷公会堂で開催されている退職者連合の主催、連合の共催の「2013全国高齢者集会」に参加。
 社会保障制度をめぐる現状の問題点の提起などがあり、原発に対する安倍政権の対応に対する批判、風評被害を克服に向けての農畜産業再建問題‥など福島現地からの発言もあった。
 台風の影響でデモは中止となったが、会場を出てみると雨も止み、青空が出ていた。ただしとても蒸し暑い。東京駅まで歩いてから中央線で国立駅まで。

 国立駅は初めて下車した。一ツ橋大学が駅からすぐのところにあることは知っていたが、これほど商店が並ぶ駅とは知らなかった。
 目的は以前記載した「浮・透・韻・奏」展(コート・ギャラリー国立)。明後日までの会期なのでどうしても本日行かないといけなかった。
 とてもいい雰囲気・印象であった。なかなか刺激のある魅力的な作品が並んでいる。展覧会の感想は、後日記載する予定。

 会場をてとにしてから、国立駅前を少しだけぶらっと歩いて、おいしそうなお酒を扱っていそうな蕎麦屋を見つけて、飛露喜(特別純米、福島)と南(純米吟醸、高知)を一杯ずつ。肴は鴨肉と葱の塩焼き、山菜おろし、冷奴。飛露喜は美味しかった。旨味を感じた。吟醸酒はいつも敬遠しているのだが、今回久しぶりに注文してみた。思っていたよりは甘味と香りは感じず、私としてはうれしかった。
 鴨肉と葱の塩焼きも美味しかった。〆のモリ蕎麦も蕎麦の香りが強めでうれしかった。

 満足して八王子経由で新横浜駅までうつらうつら。新横浜駅から家まで約9000歩を歩いた。雨も風もなく、豪雨の後の澄んだ空に浮かぶ月が大変美しかった。

 明日は墓参りを計画しているが、台風の影響でどうなることか。朝の状況をみて判断することにした。

嘘をついてはいけない‥はず

2013年09月14日 23時37分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は、組合の退職者組織の全国集会が東京で行われ、私も参加した。明日の連合の退職者組織が毎年行う恒例の「全国高齢者集会」の事前の集会。
 記念講演で沖縄国際大学教授の前泊博盛氏の「安倍政権と憲法・安保・地位協定-沖縄からみた日本の民主主義-」という題の講演が行われた。

 ここでは内容には触れないが、久しぶりに刺激のあるいい集会であった。

 明日は台風が接近するが、9月16日の「敬老の日」を前に日比谷公会堂で行われる「全国高齢者集会」にも参加する予定。私も昨年から「高齢者集会」の参加対象者となっている。昨年は始めて参加した。その時、妻からは「高齢者集会だって、ヒヒヒッ」とからかわれたが、自分でも不思議な気持ちであった。二回目の今年になると気持ちは慣れてくる。

 さて、オリンピックの東京開催でのお祭り騒ぎ。私などのようにオリンピック自体がしっくりこない者は、まさに非国民扱いのように肩身がせまい。かといってこの浮かれた状況をおとなしく見過ごすのも癪である。
 そのうち、私見も記さないといけないと思えるようになって来た。世の中、どう考えてもおかしい。私の論点は、以下のような論点ではない。しかしとりあえず以下の点は覚書風に指摘しておいてもいいのではないか。

 一国の首相が嘘をつく。招致委員会なる組織の責任者が不適切な発言を平然とする。首相は、「私が安全を保証します。状況はコントロールされています。汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている。」と発言。
 そして招致委員会の竹田恒和理事長がIOC総会の開かれるブエノスアイレスで会見した際、「東京は福島から250キロも離れているから安全」と発言。
 オリンピック招致ではこどもに夢をとばかりに宣伝された。しかし嘘もいいます、福島の人を足蹴にするようなことも平然と言いますと、子供に示すのはいかがなものか。

 百歩譲ってオリンピック出場が夢の子供に、「オリンピックに出場したい」と「東京でオリンピック」とをくっつけて話をさせるのはどうかと思う。この二つはどうつながるのか。東京でなくともオリンピックは今のところ世界中のどこかで開催する。非開催国の子供は「オリンピックの出場したい」が夢である。場所がどこであるかは問題ではない。これはどこかで議論がすりかえられている。東京でなければならない、ということにはつながらない。


久しぶりに海鮮居酒屋「ふじさわ」

2013年09月14日 11時02分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 友人の家族が入院されているので、昨日の夕方にお見舞いに出かけた。といってもお見舞いは盛岡で購入した「カモメの玉子」のミニ6個入りだけという体たらく。そうお見舞いを入れる封筒も持たずに‥。なんという不義理をしてしまったことか。後から気付く情けなさ。これは謝らなければならない。しかも病院内の喫茶店で珈琲をおごってもらった(お見舞いも持って行かず、なんという図々しさか)。
 手術はうまく終了し、順調にいけば一週間で退院とのこと、喜んでおられた。しかし一週間の付添い、大変だと思う。体調を崩さないよう願うばかりである。

 さてその横浜市大病院を出てからから横浜駅東口まで歩いた。そして東口でビールでも飲もうとしたが、以前に記載した海鮮居酒屋「ふじさわ」に最近寄っていないことを思い出し、青木橋まで足を伸ばした。
 店の前まで1時間15分ほどで歩いた。約8500歩、5.8キロ位と思われる。それほど早くは歩かなかったが、吹いていたのが湿った風で、それなりに汗をかいた。
 カウンターで生ビールを飲んだら、以前飲んだ「白隠正宗」があるという。飲んだことを覚えてくれていた。滅多にこない客の飲んだものを覚えてくれるとは、うれしいものだ。これは刺身を肴に、常温で飲んだのだが刺身にぴったりのお酒だった。これはしあわせ。
 今回は「魚と野菜の天ぷら盛り合わせ」を頼んだ。南瓜と茄子、万願寺唐辛子の天ぷらがとてもおいしかった。天ぷらに合うお酒を2杯目として出されたお酒はかなりの辛口。ところがこのお酒の銘柄をすっかり忘れてしまった。
 やはり歩いたためと勝手に考えているが、とても酔いが回ってしまったのだ。情けない。しかも家まで更に3500歩ほどなので歩いて帰ったが、家についてから「支払いをしたか」記憶がない。

 記憶に無いというのはとても不安だ。無銭飲食になってしまう。支払っていないとなると声をかけてくれるはずなので、そんなことは無いと思うが‥。

 今度近いうちに行って確かめなくてはいけない。

 先ほど見たら歩数計は昨日は朝から24000歩、16.3キロあまり。それほど過激な歩行ではなかったので、こんなに酔いが回るとは思っていなかった。反省である。

壱岐焼酎「確蔵」(重家酒造)

2013年09月12日 21時58分51秒 | 料理関連&お酒
   

 前回「雪洲 御島裸」を開封してから2ヶ月半経ってようやくこの5合の焼酎を飲み終えた。夏の間は暑さにうだりながら冷たく冷やしたチューハイをよく飲んだので、つい壱岐焼酎に手を出す機会が減っていた。炭酸や冷たい水や氷で割ってしまうと折角の味をじっくりと堪能できないと思っている。
 常温の水か、お湯で割ってじっくりと味わいたいときだけ、この壱岐で購入した焼酎を小さなグラスに充たして少しずつ飲んでいる。
 5合のビンが空いて、今日からこの「確蔵」、壱岐焼酎の最後の1本になる。重家酒造の初代横山確蔵の名を冠したこの古酒は「壱岐の農家の方から作っていただいた米(コシヒカリ)と麦(ニシノチカラ)を原料にかめで仕込み2006年に常圧蒸留した焼酎」ということだそうだ。
 私など味がわからない、鼻が利かない人間が味わうのはもったいないのかもしれないが、許してもらおう。当分はまた焼酎の楽しみが続く。うれしい限りだ。

プリンターのセットアップ終了

2013年09月12日 20時50分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 プリンターのセットアップは無事終了。試験的に9ページほど印刷してみたが、紙送りも印字面の状態も良い。
 ハガキなどの厚紙はまだ印刷を実施していないが、A4の上質紙では問題は無い。
 スキャナーもちゃんと働いている。スキャナーのソフトも使い易い。スキャナー専用機のソフトよりもずっと使い易い。これは助かった。しかしいろいろ試みてみたが、スキャナーの専用機を認識してくれないのが残念である。古いほうのソフトは認識してくれるので特に問題はない。

 印刷時の音はこれまでのレーザーと較べられないほど静かである。同じものを幾枚も印刷はしていないので、わからないことはあるが、1枚の速度はこれまでと対して変わらない。まずまずであろう。レーザーとインクジェットを比較してもしょうがないかもしれないが、レーザーを購入する前に使用していたインクジェットはとてもうるさかった。1枚紙送りをするたびにガタンガタンと部屋中に音が響いていた。レーザーに変えてかなり静かになったものだと購入当時は思っていた。この10年で随分と音が静かになったものである。

 レーザーに較べてインクジェットのほうが機械の寿命は短いとある人から聞いている。果たしてこのプリンターはどのくらい持つのであろうか。この値段で10年持つとは考えていないが、4~5年持って欲しいとは思う。ただしA3の両面印刷がスムーズに行えるような機械が3~4年以内に出現したらまたその時点で再検討してみようと思う。


プリンターの買換え

2013年09月12日 16時37分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 プリンターの買換えが急務になっている。10年使ったレーザープリンター、キャノンのLBP2410、ドラムカートリッジの4回目の取替え間近警告が点灯している。ドラムカートリッジの家電量販店での価格が約15000円もする。この間黒のインクカートリッジを取り替えたばかりなのだ。これでドラムを購入するともう2~3サイクルはインクを変えないとドラム代の回収にはならない。
 しかし仕事を退職して以降、年間5000枚を越す大量の印刷は行わない。それでも年に1500枚くらいは印刷するだろうか。このプリンター、まだまだ使えそうだが、
1.ランニングコストが高い。A4カラーで1枚15.2円。モノクロで3.1円。カラーがとても高い。インクカートリッジに純正品以外を使ったら、機械が止まってしまい修理したことがあり、キャノンの高いインクを使い続けなければならない。
2.音がうるさい。昔の公団の分譲で壁は随分厚いのだが、それでも夜中には隣の家に迷惑がかかっていそうである。
3.両面プリントに対応していない。いちいち裏表印刷が煩わしい。
4.用紙カセットがなく、50枚は入るが、手差しが面倒である。2種類の紙をいつも常備していたい。
 来週にA4で100枚、来月はじめに300枚のカラー印刷を想定しているが、途中でドラム交換サインが出てプリンターが止まってしまうことが予想される。この事態を考えると、早急にプリンターを買い換えたほうが良いと判断した。

 前にこのブログに、できればA3両面印刷のインクジェットを、と記載したが、どうも今の段階ではインクジェットでA3のスムーズな紙送り、しかも両面仕様でこれをするのはなかなか困難なようだ。しかも両面印刷は譲れない。A3両面印刷がトラブルなく安定して使えるものが定着するまではA4両面印刷までで我慢したほうが良さそうである。
 またインクジェットの方がランニングコストは確実に安い。

 そんなことを考えているうちに、キャノンのMG6330が、後継機種が出たばかりで、在庫一層のためか、これまでの価格の半額以下で販売となっていることに気付いた。しかも後継機種はマイナーチェンジで基本性能は変わっていない。
 キャノンはインクが高いので違うメーカーも考えられるが、詰め替えインクを将来利用してみることで、インク代は安く押えられる可能性もあると判断した。

 これは思い切って購入してしまおうと家電量販店に本日行ったら、一昨日よりもさらに安くなっていた。しかも表示価格よりも会計でまた値引いてくれた。6色セットのインク代の二つ分よりかなり安い値である。まだ安くなるかもしれないが、在庫がなくなってしまっては意味が無いので、早速購入した。
 設定はこのブログをアップしてから行う予定だ。しかしまずは今のレーザープリンターをドラム交換のサインが出て、停止するまでは使わなければならない。レーザーを優先して使うことになる。
 スキャナーは先日購入した専用機とほかに、このプリンターに付属したスキャナー機能もあり、ダブってしまうが専用機の方を使うことになりそう。美術展のカタログなどの分厚いもののスキャナーなどは専用機のほうがやりやすそうだ。また時間もかからないと聞いている。

 組合の退職者会の会報も当面はA3は諦めA4両面で済ませるようにしよう。やむを得ない場合はA4の2枚をホチキス止めの会報で我慢することとした。

無精ひげと鏡と自分の顔

2013年09月11日 23時49分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今日で一週間、髭を剃るのをさぼってみた。

 髭を伸ばすのは、大学生の二年目の後半から半年ほど以来のことである。最初は顔全体の髭を伸ばしていたが、口の周りの髭が食事のとき邪魔になり、少し剃ったら左右のバランスがうまく取れなくなり、次第に剃る面積が増えてしまった。最終的にアゴの周りだけ伸ばすことになった。
 4~5センチほど伸びたとき、黒いはずの髭がいつの間にか茶色になって、さらにチリヂリになって来た。何となくみっともなくて結局剃ってしまった。今思うととても似合わないものだったと思う。それでなくとも実際の歳より上に見られる風貌なのに、余計歳上に見られていたと思う。
 それ以来髭はいつも丁寧に剃ってきた。
 しかし昨年の4月に定年になってから、つい2~3日髭を剃らないことが度々あった。髭も頭と同様、ほとんど白くなり多少伸びても見た目には目立たなくなっている。それにワイシャツ・ネクタイという格好もすることはなくなった。仕事で人に接することはまったくない。そんなことで一ヶ月のうち2回くらいはそんな無精ひげを見せることがある。これで横浜駅まで歩いて地下街を歩くことにもなれた。それでも一週間も髭を剃らなかったことはない。
 山に行って5日間剃らなかったことはあるが、下山してすぐに温泉に浸かって髭を剃るのが、下界に復帰する通過儀礼のようなものである。

 そして髭を伸ばして一週間、今朝一週間ぶりに鏡をのぞいて自分の髭とそして見たくもない顔全体を観察してみた。この伸び放題の髭、真っ白といってもところどころ黒い髭が混じっている。それも偏っている。黒い髭は固まって生えている。全体に平均して混じっているのではない。じっくり見ているとその偏り具合が何となくしまりがない。
 さらに不思議なことに顔の左右で髭そのものの密度、伸び方に差がある。右の方が髭が密生している。面積も広い。伸び方も早い。しかも黒い髭は少ない。
 昔から左右でもみ上げのところの伸び方とその濃さに差があることはうすうすわかっていたが、伸ばしてみるまでこんなに差があるとはわからなかった。
 この歳になってつくづくと自分の顔を鏡で眺めてみたようなものだ。中学生の頃から同級生は皆盛んに鏡を見て髪の手入れなどに余念がなかったが、私はまず鏡を見ることはなかった。朝、学校の出掛けにちょっと水を手に掬い、それで濡らしてハリネズミのような髪を撫で付ける程度だった。
 大学生の時は肩まで髪を伸ばしていたが、それでも朝に、申し訳程度にブラシをするだけだった。髭も一日おきに入る夜の風呂の時だけであった。だから大学生の頃も鏡を見ることはまずなかった。髭を伸ばしていた時期はとりあえず夜風呂場で鏡を見ながら髭を剃ったが、その時期を除いて鏡など見ないで剃っていた。
 勤めてから毎日朝に髭を剃るようになり、そのとき以来髭を剃るときだけ5分ほど鏡を見るようになった。だが、顔を見るといっても髭の剃り残しを確認する程度でしかなかった。
 今朝、一週間ぶりに鏡を見て、この無精ひげが自分の醜い顔をより醜くしていることを再確認した。美しいなどと天地がひっくり返っても言えない。

 つくづくと自分の顔を見ると、鏡の中に、すぐ目の前に、醜い無精ひげと醜い顔が映っている。皮膚は弛んでシミが点在している。若さなどどこにあるのだというほど情けない顔である。左右のバランスもとれていない。よくこんな顔を人前にさらして生きてきたな、と自己嫌悪に陥る。自分の全生涯を否定したくなる。この顔が酒で赤らんでいたらとても嫌だ。人前で、居酒屋でお酒を飲むのも嫌になってくる。妻にも見せたくないと思う。
 それでいて、鏡を離れると途端にそんな自己嫌悪は忘れてしまう。夕方になるとお酒が無性に恋しくなって、歩きながら居酒屋を物色している自分を発見する。自己嫌悪などといっても所詮この程度のものである。むろんそうでもしないと生きていけないのだ。自己嫌悪が激しければ、そしてそれをすぐに忘れることがなければ、人はみんな洞窟の中にかくれたままか、夜でなければ活動できないことになる。自己嫌悪ばかりしていては男といえ、人を恋することなどできなくなる。自己を肯定しない限り人に恋することなどはありえないのだと思う。
 若い女性が、最近は若くない女性もだが、電車の中で一心不乱に自分の顔を鏡で見ながら化粧をしている。何かに没頭しているあられもない姿を無防備に人前に晒している。女性は鏡を見て、自己嫌悪に陥らないものなのかと、とても不思議になる。たとえ美しい顔立ちで皮膚に若さが宿っていても、私には自分の顔はとても納得がいかないものである。もっともそれを隠すために化粧をするのだということなのだろうが、それでも変身前の、あるいは変身中の顔をさらすのは私はとてもできない。変身した化粧後の顔も決して私は満足はしないであろう。満足は永遠の更にその先にあると思う。

 だから朝、鏡を一瞬だけ見て、もう自分の顔のことは忘れてしまいたい。日中に自分の顔のことなど思い出したくもない。思い出さないことが幸せであり、活力の源泉でもある。そしてさらに醜さに輪をかけて醜いこの左右アンバランスで、少しだけ黒いものが混じる醜い斑の無精ひげ、これはやはりさっさと剃ってしまわなければならないと痛感した。
 これだけ伸びた髭を剃るのはまた面倒でも売る。剃刀で大まかに剃ってから電気剃刀を当てないとダメだ。最初から電気剃刀だけでは歯に髭が食い込んでくれない。かといって剃刀だけでは剃刀負けして後から痛くなる。電気剃刀を常用していると剃刀では皮膚が負けてしまう。山から下りてきたときも皮膚が痛くなるのを我慢して剃っている。
 我慢して剃っても、納得のいく顔が出てくるわけではない。いつものように自分でも好きになれない顔が再び何の防御もなく、ぬっと現れてくるのだ。気分が悪くなる。しかし致し方ない。
 これが自分の顔であり、どんなに嫌いでも死ぬまで付き合うしかないのだ。死んでも、いや、死んだらなお一層、この顔でしか私は私とならないのだ。顔とは不思議なものである。
 古い古墳には鏡が大量に埋納されている。古人も好きか嫌いかは別にして顔こそが自分のアイデンティティであることを痛いほどわかっていた。多分自分の顔が嫌いだったのだろうと推察している。墓という暗い場所に隠れて鏡を見ながら、自分ではない自分に変身してみたかったのかもしれない。
 すべての身分の人が変身しないで、周囲の社会に自分をさらすことが一般化したのは、近代になってからかもしれない。支配層、上流階層の人ほど時代が下るまで顔を隠そうとしていた。時々現代でも近世以前の風潮が時々顔を出して、変身願望が際立つときがある。顔を隠す流行が時々ある。祭りの時がある。芸能の時がある。
 私は変身すらもしたくない。なぜなら鏡をみることが嫌いだからだ。自己嫌悪が強くなるから、それが昂じて鏡から目を背け、鏡の前を離れても自己嫌悪が続いてしまっては、もう生きていくのが嫌になるほど自分の顔を見たくないから。

「プーシキン美術館」展(その3)

2013年09月11日 13時51分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 私が取り上げた、フロマンタンの「ナイルの渡し船を待ちながら」の絵。私はこの絵のポストカードも売られていないし、プーシキン美術館の所蔵だし今回展示されているから名画の部類に入るとはいえマイナー感想だったのかな、チョッとさびしかった。
 しかし、「プーシキン美術館」展の感想をいろいろなブログで掲載されていて少しばかり目を通させてもらったところ、かなりの方が取り上げて好印象を持たれたようだ。内心ホッとすると同時に、企画者が「売れる」「人気が出る」と言う判断と、実際はなかなか一致しないものだというのがわかる。
 この絵について、あるブログでは「朝日か夕陽か」という指摘があった。私は夕陽以外には感じられなかったが、そういえば夕陽とは誰もいっていない。ただし、渡し舟を待っている、あるいは見送っているという情景と考えれば、一日の終わりに近い夕方というのが無理のない理解と思っている。
 そしてラクダと人物に動きが無い。これはやはり一日の終わりを暗示していないだろうか。その根拠として私は、ラクダの後ろで地面に直接座っている女性と思われる像に注目してみた。朝日なら、これから一日の始まる情景ならばこの人は立っているほうが自然に思えた。
 また、向こう岸に急いで行こうとしている情景ととらえた人もいるようだが果たしてどうだろう。そんなにあわただしい情景ではないのではないか。この遠くを見つめる視線は呆然としているのでも、焦っているのでもないと思う。ようやく着いた、という安堵とも緊張ともいえる感情を内に秘めて、彼岸と時間を望見しているのではないか。そしてまた、ラクダの後ろの女性の登場だ。急いでいるならやはり彼女は立っているほうが自然だ。
 ここまで書いてきて、ふと感じたのは、夕方だったとしてあの夕陽の位置まで沈んでいるとしたら、空の色が青すぎないだろうか。もう少し太陽の周りが赤みがかった夕焼けになるのではないだろうか。と感じた。太陽を下にずらした無理が空の色合いに出てしまっているのかと感じた。
 そうであってもこの視線の叙情性は失われないと思うが‥。



 次にこのピカソの「マジョルカ島の女」の絵。ある人のブログで、菩薩像を思い出したとあった。私は「そのとおり」と思った。私はき気付かなかったが、表情があるようで無い視線は、弥勒菩薩・観音菩薩に似ていなくもない。細く長い指もそんな感想を持つのに相応しい。
 ピカソと菩薩との関係、ピカソの女性観と合わせて考察するといろいろな視点が出てくるのかもしれない。
 こんな感想が出てるのもピカソならではのことなのかもしれない。



 この絵は取り上げなかったが、図録をめくっていて、気になった作品である。ルイジ・ロワール「夜明けのパリ」(1880-90)。ロワールという名は私ははじめて聞く。解説では「枯れの関心はは、さまざまな時間帯、天候によって変化する年の表情に向けられ‥、印象派、とりわけモネとの接点を見て取れる」と記載されている。
 湿潤な雨の後の空気が想像される。手前の屋台の明かり、遠くのビルの1階の店の明かりと都市生活の温みを暗示している。イラストレーター、装飾画家といわれる分類の画家が陥りがちな風俗画とは一線を画して、パリという都会の様相を象徴する画面では無いだろうか。
 人々の表情までは細かく描いていないが、暗い色調の中に、これから始動する都市生活の一瞬を、店の明かりと人々の立ち姿勢で暗示している。何故か懐かしい気分も湧いてくる。現代の都市とも、日本の現代の都市とも共通する普遍性が感じられないだろうか。
 ロワールという画家の名前、覚えておこうと思った。他にどんな絵があるのだろう。興味が湧いてきた。



 この絵も取り上げなかった。ジャン・バティスト・サンテールの「蝋燭の前の少女」(1700年)。
 最初何の変哲もない肖像画に見えた。しかし落ち着いた表情がなんともいえず美しい。表情が生きている。蝋燭の明かりの柔らかさが、顔の落ち着いた表情ととてもよくマッチしている。
 この頃の肖像画というと、私はキリスト教的な寓意や、いかめしい登場人物のいかめしい表情、物語の中の劇的な表情や作った表情が中心であるので、このような自然な表情を見ることは少ないと感じている。
 実際のモデル抜きにはこの頃の肖像画は語ることができないのだそうだが、このような女性の表情がこの画家の理想の女性像だったのであろう。「光と影のあつかいには、オランダ絵画の影響」と図録に記載がある。
 先ほどのピカソの「マジョルカ島の女」と較べるといろいろなことが思いつく。まだまだ私の中では整理されていないが、そんなことをまとめて書いてみたいと思った。


予報どおりに雨

2013年09月10日 23時18分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ウォーキング中も時々パラパラッと降ってきたが、傘をささなければならないような雨ではなかった。北西から北東の方向にかけて晴間が見えていたので、気にしないで歩いていた。しかし自宅に戻る間際に少し強めに降り初めてはいたが、家に入ると雨の音はまったく聞こえなかった。
 しかし先ほどから雨音が強くなって来た。本降りである。明日にはあがる予報だがどうであろう。予報が外れて夕方からひどくならずにすんで助かった。問題は洗濯物である。夕食時に洗濯機を回して干したが、これでは乾かない。

 今日これだけ歩いたので、明日は休息日。このところ一日おきに所定の運動量をこなしている。本当は週に5日はこなしたいのだが‥。

 明日は退職者会の会報の9月号をほぼ仕上げなくてはいけない。記事のひとつは土曜日の夜でなければ書けないが、その他は仕上げられる。少し大胆な色使いをしてみたい。あまりケバケバしいのは、嫌がられるかもしれないが、多少の遊び心は作っていて楽しいものだ。どんな反応がかえってくるだろうか。


長時間ウォーキング

2013年09月10日 20時37分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昼までパソコンに向かっていたが、ふと長時間のウォーキングを久しぶりにしたくなった。昼ご飯を軽く取ってから、どこに行こうかなどと考えてみたが特に思い浮かばなかった。とりあえず5時間で25キロ、約38000歩前後という目安を考えてみた。13時30分に家を出て、18時30分前に戻る算段である。
 いつものジョギング&ウォーキングコースで新横浜方面に行くのはつまらないので、横浜環状2号線を反対方向にむかって歩き、途中から国道16号線に入り、相模原方面に北上することにした。その上で歩数19000歩を越えた辺りでUターンして戻ることを考えた。来た道をそのまま引き返すのは芸が無いとも思ったが、地図を見てコースを算段するのも面倒な気がした。
 環状2号線を歩くのは、距離を稼ぎやすい。信号がほとんどなく歩道も幅員が広いのですれ違うのも楽である。何より緑が多く気持ちがいい。ところがやはり国道16号に入ってから、信号は多いし、歩道も狭く自転車や歩行者とのすれ違い・追越が煩わしく、距離も歩数もなかなか思うようにいかない。16号線ではなく、環状2号線をそのまま歩いた方が車の排気ガスも少なく、楽だったかと反省しながら歩き続けた。
 2時間30分近く歩いたところで19000歩を少し越えたのを確認して、すぐ近くの信号で折り返して反対車線を環状2号線に向かって戻った。普段28000歩を越えることは稀であるためか、28000歩を越えると足が重くなる。
 結局家に着いたのが4時間40分後の18時10分。途中10分ほどコンビニで休憩しただけだった。ほぼ38000歩なので約25.5キロメートル位であった。時速5.5キロ位。ほぼ目標というか目安はクリアできた。
 時たまこのようにちょっと過激なことをしたくなる。これができるうちはやり続けたいと思う。

 夕食を食べたら途端に眠くなってきた。


ニュースをつくる楽しみ

2013年09月09日 23時30分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の夜から本日一日をかけて、同窓会の報告集の1面から4面までがとりあえずできた。明日から再度の校正。
 思ったよりも早くできた。もう2年もニュースを作っていないので、勘が戻るか心配であった。また横書きなので、紙面全体のレイアウトがどうしても単調になる。縦書きの新聞のような自由なレイアウトができない。どうしても4分割・2分割の単純なレイアウトになってしまうのが少々気に入らない。しかし今の時代、そのような紙面構成も許容されるようになってきている。
 そしてもうひとつの心配だったのが、カラーの割付。組合のニュースは単色刷りなのだが、カラーで打ち出すと配色のセンスの良い悪いが極めて明瞭に現れてしまう。これに自信がない。今回はとりあえず何とかできたと自画自賛。
 校正や手直しは時間をかけて、頭の中で反芻しないと最終形に持っていけない。時間がたつと、こなれていろいろと知恵が湧いてくる。これに一週間くらいかけないといけないと考えている。焦っても仕方がない。
 あとは、みんなに依頼した「感想」が送られてくるのを待って、貼り付ける作業がある。この感想が2頁の予定。合計6頁だてになりそうだ。

 妻に見てもらったところ、どういう理由からか字が消えていたり、誤字脱字、フォントの間違いなどそれなりにあった。明日以降少しずつ手直しをしなくてはいけない。

 しかしこのニュースをつくる楽しみ、久しぶりだがこの楽しみを思い出してしまった。手も指も、一太郎というワープロソフトの操作を滞りなく覚えている。不思議と無意識のうちにさまざまな動作・設定をしていく。
 私はかなり凝り性であると仲間から揶揄されていた。確かにこの種の手作業がとても楽しい。
 ただし、やはり目はすぐつらくなる。目の老化は防ぎようがないようだ。

同窓会報告のレイアウトを考える

2013年09月08日 18時19分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕べは久しぶりに夜の寝苦しさから解放されてぐっすり眠った。明け方にいつものようの時間に目が覚めたが、もう一度寝てしまって起こされたらあと5分で9時。実は団地の理事会の諮問機関の会議が9時からであった。あわてて顔を洗って、家を飛び出したのが1分前。会場に1分遅刻。私は一応「委員長」の役割なのだが、それが遅刻してしまって情け無いものである。

 午後からは雨が降りそうな空模様だったが、久しぶりに長い時間歩こうと決意して出かけた。途中の公園で10分の休憩を取ったので実質2時間30分、22800歩だから大体15.3キロ位。時速6キロ以上だからなかなかの速度だったと思う。雨はほんのちょっと降った程度でなので助かった。走らなければ左脹脛の筋肉は痛んだり強張ったりはしなかった。しかし体重が5キロほど戻っているので、再度落とさないとまずいのかもしれない。せめてあと3キロは減量したい。

 今夜から「72年春・川内を語る東北大45Sの会」の報告づくりの作業を始めようかと考えている。A4の大きさで4頁位、新聞形式にするつもりだ。縦書きがいいか、横書きがいいか、外枠をつけるか否か、どのようなレイアウトがいいか。これを考えるのは楽しい。
 組合役員の現役の頃はA4で2頁ないし4頁の支部ニュースをひたすら作った。最初はB4で2頁で手作りで版下を作った。そのうちA4にして、ワープロの地の文を張り合わせ、見出しを手書きにした。そのうち私の単独編集にしてから、一太郎で見出しから地の文、そして写真も貼り付けて版下を打ち出すようにした。広告もスキャナーを活用したものを作った。400号分ほどの版下が今も私のUSBメモリーに保存されている。

 新聞作りはだから、ものすごく懐かしいし楽しい。むかし組合の反主流だったので、主流派に対抗するためひたすらビラを作った。それだけが私(たち)の思いを職場に、組合員に伝える唯一の手段だったから、真剣にそして大量に作り、職場で配布してくれる方を求めていろいろな人に会いに出向いていった。この努力で作った人脈が私(たち)の財産であった。
 ビラひとつを作ること、そして1枚でも余分にまいて読んでもらうこと。この大切さを37年痛感し続け、そしてそれを実行してきた。1枚でもおろそかにすることはしたくなかった。それが、「党派」なる集団を組み、そこに属する集団以外人や言い寄ってくる人以外を異質な人間としてひたすら排除しようとする集団に対する、私の意地であった。その思いは今でも持続して持っている。
 今は、組合の退職者会の会報を2ヵ月に一度、A4で裏表1枚を作るだけだ。それも当局との緊張関係は意識しないですむ。親組合の足を引っ張らないことは常に心がけなければならない。もう一方の組合との緊張関係は別の意味で存在する。しかし基本は取り組んだ行動やイベントの結果だけを記載している。

 これと違った意味で、今回の同窓会の報告文はやはり緊張する。仙台を離れて、あるいは学校を離れて40年たっている。それぞれ社会でさまざまな経験を積み、社会や時代や人生や生き方に対する判断・選択には当然にも違いがあり、それをお互いに尊重しながらの集まりである。一方的な宣伝に堕すること、一人だけの判断に偏るということは避けなければいけない。共通項は1972年4月とそこに至る時間の共有と、それ以降の苦しい数年の在仙時代の助け合った友情である。
 たとえば、自分にとっては自明のことをお互いの共通認識だ、とひとり合点していると齟齬をきたしてしまう。折角の友情を壊すきっかけを作るわけにはいかない。これは緊張する。間違えればすぐに謝るならそれは許しあえるかもしれないが、そういつも間違えるわけには行かない。

 レイアウトとは、読みやすさだけではない。親しみやすさと懐かしさも大切だ。です・ます調にするか、である調にするか。学生時代のビラの形式はアジびらで、ほとんどは縦書き・外枠なしであった。表題は横書き、小見出しは縦書きで地の文の中に入れる形式だった。しかしそのようなアジびらの様式は、報告文にはそぐわない。そして学部にあがったときのビラはB4裏表で横書き二段、外枠なしが主であった。結果としてそうであっただけで、縦書き・横書きを意識したことはなかった。
 いつもほとんどの方が会社の文章をいつも見ているのであろうから、また理系であるので昔からの教科書のスタイルがいいとは思う。そうすると横書きが読みやすいと思われる。しかし一方で、日本語は縦書きのほうが本当は読みやすいし、レイアウトもしやすい。縦書きにこだわりたい理由がある。そして横書きの場合、縦割り2段組は編集しにくい。縦書きの新聞形式の方が慣れてもいるので作りやすいのだ。

 あれやこれや悩んでいても埒はあかない。とりあえず横書きで作ってみることにした。その上で相談会に来てもらったメンバーに送信して記事の内容の点検とレイアウト全般の感想を聞くことにしようと思う。

秋らしくなってきた

2013年09月07日 23時44分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕べはそれほど暑苦しくなく、久しぶりによく寝ることができた。しかし明日からまた日中は30度を越えるとの予想。

 「プーシキン美術館」展の感想、2回で終了のつもりであったが、若干の補足が必要かと感じている。どのように書くかもまだ考えていない。2~3日したら出来上がるかもしれない。あるいはそのままかもしれない。なんともはっきりしないが‥

 団地のすすきがようやく目立つようななってきた。一昨日まではパンパスグラスの一叢がこんもりと大きな穂を誇らしげに咲かせていた。昨日ようやく見慣れたすすきが幾本か穂を出しているのに気がついた。残念ながらそれに似合う月をまだ見ていないが、もう秋の月が恋しい時期になっている。虫の声も本格的になってきた。

 昨年に比べ山に籠もった日数が少ないのが残念である。本当はこの9月にもう一度出かけたかったが、今月は八幡平での短い山行だけで自重した。10月に行く事ができるだろうか。

 「浮・透・韻・奏」展も楽しみである。国立までちょっと遠いが、来週中にいかなければ行ける日がない。


「プーシキン美術館」展(その2)

2013年09月07日 14時51分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 この絵は、リュシアン・シモンという画家の「突風」(1902-03頃)。私は名前を始めて目にする画家だ。しかし絵は何か既知のような気もするのだが、はっきりしない。他の誰かの絵と勘違いしているかもしれない。

 昨日取り上げたコローの「突風」と題が同じなのでちょっと足を止めたのだが、とても気に入った。コローの絵は一人の女性と思われる人物が木を大きく揺らす強い風に翻弄されながら進んでいる図だが、画面の主題はその風と風を受ける海岸線に近い森の情景である。人間は荒れる天候の中で孤独である。
 しかしこの絵も海岸に近い荒れる天候の中の様子だが、コローの絵とは違って森がない。コローにとっては自然の象徴であった森や木々がこの絵ではまったくない。森というある意味人間に癒しやめぐみを与えたりする面もある自然は描かれていない。荒涼とした地形の中を2人の赤子を抱いた7人の行進する男女が主題だ。この行進はこの地方特有のキリスト教儀式らしい。
 約40年隔たって、主題はすっかり人間になった。画家はブルターニュ地方の風土と風俗にこだわって描き続けたとのこと。儀式の主題は不明だが、コローのように自然の中の一要素としての人間ではない。またミレーの描く豊かな恵みももたらす自然でもない。荒涼とした風景の中で、思いを遂げようとする意志が強く出ている絵だと思う。
 近世から近代にかわるということは、このように40年という時間で、自然と人間の関わりが、あるいはその関わりを見つめる人間の目がこんなにも変化するのかという思いが湧いてきた。
 私はたまたま大学時代の友人と40年ぶりの同窓会を開いたが、40年という時間は、とても長い時間だ。しかしこんなにもものの見方、自然と人間の関係の把握の仕方が大きく変わっただろうか。変わったこともあるが、変わらなかったこともある。自然と人間の関係を含めて、時代の変化を客観的に把握することは出来るのだろうか。それはとても困難なことに思える。
 そしてこの雲と空の色が私には気に入った。この荒々しい筆遣いはフォーヴィズムのさきがけといわれるという。
 時代の先駆けというものも、自覚的にできたらそれは大変なことである。先駆けというのは無自覚だからこそ、意味があるものなのだろう。

   

 これはセザンヌの「パイプをくわえた男」(1893-96頃)。セザンヌは私にはとても不思議な画家だ。
 美しいという概念がちょっと私とは違うな、と思いつつ忘れられない絵なのだ。もっとも近・現代の多くの画家の「美」の意識が私とはずいぶんと違うんだなといつも思うのだが、違いが先に目につくのが近・現代なのかもしれない。それが画家の個性というものになってくる。それ以前の絵は、逆に「これが美なんだよ」と教えてくれるもの、という印象がある。
 さて、セザンヌには3点の「パイプをくわえた男」があるという。このプーシキン美術館の絵は後発の1枚。他の2点はいづれも1891年に描かれ、2点並んだ上がマンハイム美術館のもので最初、下はエルミタージュ美術館のもので2番目の作品。プーシキン美術館のものが2年後の作品。
 顔の表情は小さくて読み取れないが、解説によると次第に抽象化されてきている。確かに目がはっきりして意志の強さを感じる最初の絵に比べ、3作目は目全体が黒く塗られて表情は読み取れない。
 ポーズは左に傾いでいても安定感のある最初の作品から、2作目は直立して安定感が高まったが、3作目は左に大きく傾ぎ体全体が細く引伸ばされている。椅子が表現されているのが3作目だが、座り方は不自然で今にも滑り落ちそうである。自然な座り方からは程遠い。
 テーブルも実景に近い最初の作品から、テーブルであるとは思えない物体にかわり、3作目ではいびつな形のテーブルになり、腕の曲がりが不自然になり、顔に較べてこぶしが大きくなり、上腕が太く描かれている。
 背景は何も無い壁からカーテンのようなものに替わり、3作目は「夫人」の肖像がやはり斜めに貼り付けてある。
 解説では「画家はより不安定な構図にむかって進んでいったかに思えてくる。ルネサンス以来の安定した空間表現に依存せず、何よりもまず描くべき「もの」があり、その存在によって最も望ましいと思える空間をみずから構築していく-そんな画家の感覚こそ、立体をあらゆる角度からとらえ、それをひとつの絵画平面にまとめようとしたキュビズム視覚を準備するものだった」と記載されている。
 不安定も意に介さず、人間の肉体のバランスもあえてくずしているというのはそのとおりだと思うがそれをしてまでも「何よりもまず描くべき「もの」」とは何か、と問われると回答ができない。少なくとも私にはわからない。
 この絵でいえば画家の「何よりも」描きたかったものとは何であったろうか。これはいろいろと考えさせられる絵である。
 私はいつもセザンヌの絵の前で、おなじ疑問にぶつかる。それでも不思議と心に残りまた、見たくなる絵である。



 このピカソの「マジョルカ島の女」(1905)。私の昔から好きな絵である。いわゆる「青の時代」の最後の作品につらなるものということになっている。
 不思議な帽子とショールで、本当にこんな衣装があるのか?となるが、実際のものらしい。
 絵は青と茶のグラデーションが大半を占め、頭の黒と背後の紫だけが妙に目立つ。
 水彩画なのだが、油彩画かと思っていた。実物をみてもその区別がつかなかった。これは私の目が情けない所為なのかもしれない。
 物憂げでちょっと弱々しい表情と体格・仕種が、明るい青の色彩とアンバランスに見える。日の当たった白い顔がそのアンバランスをつなぎとめて調和させている。
 肖像画が、今の写真の役割から解放されて、画家の人物表現は画家の人間に対するイメージを色濃く映し出すものにかわってきた。画家の持つ人間像が、人間理解が色濃く反映するのが肖像画ということになったと思う。あるいは端的にいって、これは画家の当時の理想の女性像なのだろう。あるいは画家にとっての聖母像になるのかもしれない。聖母像に画家が美しいと感じたどこかのモデルとすべき女性を描くのではなく、あくまでも自分のイメージで描くのが近代の肖像画なのだとおもう。
 具体的な理想とする人物像や、具体的な肉体表現から解放されて、画家のイメージが選考する肖像画、そんなことが正しい言い方かどうかは、素人の私にわからないが、そんなことをこの絵を見ながら感じた。