Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の講座の感想

2014年12月18日 21時15分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の講座は「アジアの視点 その6」の最終講義。講師は斎藤勁法政大学客員教授。2011年11月から始まった日中韓三国の政府合意で始まった「日・中・韓キャンパスアジア・プログラム」事業についての説明を受けた。



 齋藤勁教授は国会議員時代内閣官房副長官としてこの事業に携わった経緯もあり、現在もかかわりを持っているとのこと。
 日中韓の政治的なギクシャクにも関わらずこの事業の継続の重要性は理解できる。これまでの講座の中で云われてきたことは、中国・韓国の留学生の動向は日本を超えてアメリカ指向が中心となりつつあること、日本の大学生の国外留学生は大幅に減少しており中国・韓国や他のアジアの国々と比べて国外留学の指向が極めて低下していること、などが語られていた。
 今回の事業の成果とは別に私はこの事業への応募した大学は国立大学が圧倒的に多く、私学では有名私立大学を除いて名が載っていないのは少々意外な気がした。同時に私の卒業した仙台に存在する国立大学名を見て、とても違和感を持った。
 今年になってブログにも掲載したが、魯迅の記念展示についてこの大学が、魯迅を迎えた当時の都合の悪いことには一切触れず、「魯迅が学んだ大学」ということだけを「誇り」として扱っている。「なぜ魯迅が医学への志を捨てたか」について口を閉ざして「無かった」ことにしている点が私は気に入らなかった。このことについては8月25、26、26、28日の4回にわたって長々と書かせてもらった。
 日中韓いづれの国の大学も近・現代史の中で政治とは無関係では存在し得なかった。それが3つの国のいづれにおいても、どこかで負の歴史として残っていると思う。これをキチンと捉え返してほしいと私は願っている。今回の事業も学生の交流をとおしてこれらに向き合ういい機会である。
 だが、かの大学はそのような負の歴史を未だに「隠しとおし」ている。大学という組織自体が真摯に歴史に向き合う姿勢を示さなければ、この事業の趣旨を生かすことはできないと直感している。そんな大学がプロジェクトに参加しようとしていることに強い違和感を持ってしまった。
 事業自体に異存はない。関わろうとする大学にも、参加しようとする学生にも異存はない。しかし参加しようとする大学の姿勢が問われていると思う。事業に参加した学生は、政府の動向に左右されずに底辺からの文化交流に携わってほしい。それは経済・芸術・学術さまざまな面で発揮してもらいたいと思う。同時に「歴史に頬被り」し続ける大学にも批判の目を向けてもらいたいと思った。それが未来志向ということなのではないだろうか。

癌検診初日

2014年12月18日 11時48分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日と明日は年に一度受信している癌検診。本日は喉頭癌でその場で「異常はない」とのこと。来月の診断結果が郵送されるが問題はないとのこと。明日は朝から胃・肝臓・胆嚢・膵臓・肺・前立腺癌をまとめて。13時からの講座には間に合いそうもない。

 Nさんの住んでいたアパートからの撤収作業は、昨日朝から延べ6人で17時近くまでかかった。思ったより時間がかかったものの、室内に在るものはすべて運び出した。トラック2台分。書籍も家具・布団・衣類、台所の品々、大型の家電製品。平均年齢がかなり高い作業隊であった。そして暖房のない室内は寒かった。
 当初は15時前と思っていたが、なかなか手ごわかった。もともとクリーニングも含めて2日間を想定していたので、予定よりははかどったと考えた方が良いかもしれない、と手前味噌の総括。
 台所や風呂場・便所のクリーニングは、時間的にも技術的にも無理なのでプロに任せざるを得ないと判断。これは半日仕事と見込まれるとのこと。
 終了後は車の人もあり、皆疲れたようでそのまま解散。私は駅前に安い居酒屋を見つけて、ひとりで体を温めて帰宅した。
 本日は不動産会社に行って最終クリーニングの扱いについて相談をする必要が出てきた。葬儀の後始末はもう少し続く。
  「立つ鳥跡を濁さず」、友人達や親族がいないとこれは出来ないです。代りにみんなで処理をするのが、生き残った者の生きがいだと思っている。

 さて、私にとっては今年5回目の忘年会は27日(土)。電話で予約ができた。友人のおすすめの店なので手配は楽であった。1年に一度しか会えないが7人~8人で楽しむことができる。学生時代の同窓生の集まりだから話は理系、それも天文・地球物理・物理・地学・化学あたりが中心になる。
 私などは理系の世界を離れて40年もたつからかなり頓珍漢である。ついていけない話題が多い。しかもその理系の世界を意識的に忘却の彼方に追いやってきた。それでも思考回路は仕事仲間などの中にあっては理系の発想、分析的な観察・判断だと自分では思っている。
 今年の話題は何であろう。長野県北部地震、御嶽山噴火などの火山情報、はやぶさ2そして青色LEDやSTAP細胞か。政治の話題は間違いなく出てくる。現状の政治状況に対するかなり根源的な鋭い批判は間違いがない。これは勉強になるし刺激になる。残念ながらラジカルという言葉が曲解されて死語になってから久しい。私がたぶんの能弁になるとしたら高倉健と菅原文太という2氏の話題なのだが‥。


とても寒い朝、天気は大荒れの予想

2014年12月17日 08時41分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141217-00010000-wmap-soci

 北海道では低気圧の猛威で天気は大荒れの模様である。日本海側の北日本も大雪の模様である。さいわい関東地方は晴れている。しかし寒い。夕方には平地でも雪がぱらつくかもしれない、と天気予報。



 北海道の被害を見る余裕もなく、出かける。N氏の部屋の片付けの日である。友人数人が集まって作業する予定。マンション管理や清掃、廃棄処理業務に携わるN氏の友人がいるので大いに助かる。プロの出番であるので本日はお手伝い役。

 発病する前に訪れたときは、男ひとり住まいの部屋、きれいだったとは言えなかったが片付いてはいた。発病以来掃除・洗濯の気力は次第に失せていたようで、部屋は足の踏み場もないほどの新聞・洗濯物で溢れている。
 今年の夏以降、「お酒はやめた」といって部屋の片隅にまとめてあったお酒の缶や瓶がきれいに無くなっている。アルコールの類がまったく見当たらない。お酒をやめた、と宣言した時にすべて片付けたようだ。

冬の星空が美しい

2014年12月17日 01時20分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 日付が変わって17日の1時になったが、横浜では風は強くならずに推移している。我が団地ではまったくの無風状態である。
 竜巻注意報は「16日19時まで有効」の後更新されていないので、解除になったということなのだろうか。
 解除になったという表記にはなっていない。これがいつも不思議に思うことである。解除になったというメールは来ない。他の注意報は解除になれば通知が来るのだが‥。雷注意報は20時33分に解除になっている。

 明日は風がかなり強くなるらしいが、取りあえずこのまま無事に推移してほしいものである。

 すっかり晴れ渡り、星がきれいである。気温は低い。オリオン座、シリウス、プロキオン、ふたご座、大熊座、北極星、カシオペア座、おうし座、ぎょしゃ座、ペルセウス座‥空は賑やかである。木星も目立つ。らしい星空を一わたり見回してきた。

あまりにひどい

2014年12月16日 19時58分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 こんな発言が堂々とまかりとおる政治風土が、日本の戦後政治の行き着いたところかと暗澹たる思いに駆られる。またこの発言を送られて「迷惑」という反発をしないならば橋下徹という政治家はますます信用してはならない。
 さらにこんなコメントをつけて報道をするマスコミもさらに信用できない。
 http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/mplus/news/post_80911/
「将来の総理大臣候補として維新の党の橋下共同代表をあげ「彼ほど演説の上手い人はいない。若いときのヒトラーだ」と語るなど独特の石原節でエールを送りました。
 会見の模様は、以下に詳しい。
 http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20141217-1409991.html

神奈川県下にも竜巻注意報

2014年12月16日 18時37分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜市には強風・波浪・雷注意報が出ていたが、さらに17時46分、神奈川県に竜巻注意報が出された。早いうちに帰宅して良かった。
 我が家では竜巻に対する備えは特にしていない。ベランダのある南側のガラス窓、北側の窓ガラスなどに粘着テープを貼ったりすると破損しにくいといわれるが、そこまでは行っていない。冬場なので厚手のカーテンがかかっており、風が強い時にはカーテンで飛散を防止する程度のことしか考えていない。これでは不足だとは思うが、なかなか実行できないでいる。

 明日は晴れるようだが、最高気温は8℃の予報で本日に引き続き寒いようだ。風は10m(最大瞬間風速35m)とかなり強い予報。明日、亡くなったNさんのアパートの部屋の清掃を友人たちと行うつもりだ。明日は風が強いが、室内作業なのでとりあえず支障はないと思われる。






ホドラー展の復習

2014年12月16日 17時00分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 友人の葬儀が一段落した。本日は別の用件で朝から出ていたが、さすがに寒く感じた。少し厚手のセーターと冬用のコートを着て出かけた。時々強く雨が降り、寒々しい街の往来であった。最高気温は予報より低く6℃ほどであったようだ。

 葬儀でホドラー展の感想を書かずに過ぎてしまった。思い出すために図録をめくって、展覧会で感じたことを思い出している。気に入った作品や気になった作品をチェックして解説を読むことから始めている。
 忘れてしまわないうちに記事を仕上げてしまいたい。

その歳なりの方法

2014年12月16日 09時40分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 そろそろ年賀ハガキを購入する時期に近づいたようだ。まだ図案は考えていない。最近は年賀ハガキを購入してから考えるとことにしている。仕事を離れてからは、たいていのことはまず外堀を埋めてから始めるようにしている。むかしは年賀ハガキを購入する前からいろいろ図案を考えたりしていたこともある。

 仕事も組合のイベントも、現役の頃は外堀を埋めてからこなしていたのでは、時間に追われて後手後手に回ってしまう。「歩きながら考える」癖がしっかりと身に付いた。今でもその癖が大いに残っているが、少しずつ外堀を埋めてからいろいろなことに取り掛かるようにしている。

 むろん「歩きながら考える」という方が方法論としては私はずっと優れていると思う。その方が応用力も発揮でき、実際に有効な解決策が見つかる。人との対話、現実との対話、周囲の状況を把握しながら時間の経過も組み込むことが出来る。それが多分生きた仕事であることは間違いはない。
 一方で、それらの蓄積を踏まえて自分なりにいろいろじっくり腰を据えて考えてみたいこと、感じたいことなどが別の方法論で見つかることもある。

 また付け加えるならば、ひとつの方法にだけ偏らず、どちらかに重点を置きつつもバランスの良い方法、臨機応変な方法の選択が求められている。

 「生き方を変える」とまでは大げさなことではないが、「やり方を変える」というのは、その歳なりの方法を身につける、バランスよく場面に即した方法を選択するというふうに理解するといいのかもしれない。

冬の雨

2014年12月15日 23時08分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は横浜では午後から雨が降り、気温も8℃と低い予想だという。明日も所用で出かけるので、寒い上に雨となると気が重くなる。

 食卓の椅子に座りながらお酒の酔いを醒ましているときに、取り留めもなく、次のようなことを思った。

 寒いだけなら私は気にならないのだが、雨が伴うとなると話は別だ。雨の降る街並みというのは風情があることは確かだ。春先から秋の初めまでは小雨なら気分が落ち込むということはないと思う。
 しかし晩秋の小雨、そして冬の雨、時雨となると外で遭遇はしたくない。部屋の中でその雨の音を聞くのはいい気分でもあるのだが‥‥。雪が降るならその方が外に出るのに特に気分的に憂鬱になることはない。逆に嬉しいくらいだ。
 以前は寒い時の雨に濡れたレトロな飲み屋街や古い街並みをひとりであてもなく歩くのは嬉しかった。自分がそのような店に入ることはまずないし、入りたいとも思わなかったし、今も思わない。しかし傘を差して自分も歩きながら、人々の往来の流れに身を任せるのも好きであった。時にはコートの襟を立てながら俯いて歩く人々を喫茶店の窓から眺めていたこともある。仕事に疲れたときなどは特にそんなことをしたくなる。
 最近はそのような光景を思い出しながら自分の家にこもっている場合の方が多くなった。これではいけない、何か出かけなければならないというような状況に自分をおかないと内向きな想念に囚われたり、怠惰になってしまうかもしれない。そういう観念で自分を奮い立たせた方がいいかもしれない。雨の日の古い街並みの写真がキチンと撮れれば病みつきになるかもしれない、とも思った。

今年3回目の忘年会

2014年12月15日 21時29分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は毎月1回行っている退職者会の幹事会。偶数月の時は希望者が500円ずつ支払って組合の会館で「ワンコイン飲み会」が定例化している。お酒は買ってくるが、ツマミは簡単なものを購入するほか、幾人かの幹事がいつも幾品か持参してくれる。
 釣りに行って釣ったものを煮つけにしたり、家庭料理の味付けで美味しい煮物を持ってきてもらったり、多彩である。そして今月は師走ということで幹事会の忘年会も兼ねて、幹事の約半数の20名余りが参加して楽しく時間を過ごすことが出来た。
 500円でこれだけ賑やかに、美味しく、そしてたっぷりと楽しく飲めるというのは幸せである。
 また、昨年の夏に実施した大学の同窓生の東京在住の仲間との忘年会も来週の後半に8名ほどが参加してくれることになり、本日会場の居酒屋を予約した。たぶんこれが今年最後の5回目の忘年会になる。今年4回目の忘年会は来週の初めにに友人と行う。

印刷作業もようやく終了

2014年12月14日 22時50分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 印刷に意外と時間がかかっている。写真がほとんどなので、インクの減り具合がすごい。ランニングコストよりも2~3倍もインク代がかかっているかもしれない。カラー印刷A41枚で9.1円となっているが、カラー三色は各2個ずつ、黒・灰・顔料系黒はそれぞれ1本を使ってしまった。
 また4組ほど印刷するとクリーニングをしないと印刷ムラがひどい。そのたびにクリーニングをするので時間がかかる。またインクが浪費される。このため、急きょ食事が終わってから、インクを書いた詩に横浜駅まで往復してきた。
 ランニングコストから割り出すと、試刷り・失敗分を含めて、4400円ほどだが、実際はインク代で9000円位になっている。
 この印刷機、やはり大量印刷には向いていない。ビジネスモデルのプリンターが欲しかった。しかしA3が印刷出来るインクジェットのビジネスモデルはカセットが一段でも最新式の清貧は5万円近い値段がしている。
 購入するゆとりがない。

 ようやくあと2組で仕上がるまでになった。何とか23時までには45部出来上がりそうである。



メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第1番、第2番」

2014年12月14日 22時03分56秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 印刷作業をしながらメンデルスゾーン(1809~47)のピアノ三重奏曲の第1番と第2番を聴いていた。演奏はボロディン・トリオといい、旧ソビエトで有名であったボロディン弦楽四重奏団の第1バイオリン奏者がアメリカに1976年に亡命して結成したトリオらしい。録音が1984年となっており1980年代の後半にこのCDを購入したと思う。友人にこのボロディン・トリオはいい演奏をするのでお薦めだ、と云われて購入した記憶がある。
 確かにピアノ、バイオリン、チェロの音量のバランスがいい上に、バイオリンとチェロの音色も好みである。しかしやはり当時もメンデルスゾーンの音楽に興味が湧かなかったようで、数回だけ聴いてそのままにしてあったと思う。

      

 メンデルスゾーンは38歳に亡くなっているので、ピアノ三重奏曲第1番は作曲家が円熟期である30歳の時、第2番は晩年の36歳の時の作品である。解説によると11歳の時にやはりピアノ三重奏曲を書いているらしいが、通常はこれには番号はついていない。
 第1番は覚えやすいメロディーが続き、楽器の特性をつかんでよく鳴るように作られていると感じるが、この感想は当たっているのだろうか。
 第2番は第1番に比べ少し哀調を帯びた旋律が第2楽章にあらわれる。重厚さも感じる。第1番に比べて演奏される機会が少ないと解説にあるが、私はこちらの方がずっといいと思う。4つの楽章が起伏に富んだ構成である。第4楽章の冒頭のチェロの旋律も、3度のユニゾンも美しい。

 しかしどうも私はすぐに飽きてしまう。メロディーも美しいし、楽器のバランスもいい。よく楽器が響いていて心地よい曲である。だが、どうも物足りない。
 音楽評論家は作曲家に対しても演奏家に対しても「精神性が高い」、「作曲家の苦悩が感じられない」などという評価を述べることがある。
 私はこのような批評を安易に語る批評家はまず信用しないことにしている。つい「「精神性」や「苦悩」って一体何なんだ?」と茶化したくなるのをこらえている。なんか言ったように思えてそれで終わってしまう便利な言葉である。その実、何も語っていない。苦悩や精神性など生きている人間ならば誰もが人間関係の処理で思い悩み、苦悩する。何も偉大な人間ばかりの専売特許ではない。人生全般の苦悩がそのまま絵画や音楽やの芸術表現にそのまま反映するなどということはあまり信用しない方がいいと思っている。新しい表現を獲得しようとする苦闘はどの表現者も必死で挑戦しているのである。また精神性が高い低いなどという判断ほどいい加減なものはない。
 メンデルスゾーンの音楽を徹底的に聞き込んだわけでもなく、音楽表現のプロでもない私であるが、メンデルスゾーンの音楽には私は危うさがないと思っている。たとえばメンデルスゾーンが19世紀のモーツアルトと称されるように天才肌の人であるといわれる。しかしモーツアルトの音楽が音ひとつを取り去ると全体が崩壊してしまうような危ういけれども緊密で、精密機械のような音楽が構築されている。この危ういというのがモーツアルトの音楽が好きな理由である。
 一方でメンデルスゾーンのメロディもリズムもあまりに安定していて、新しい何か、というのを感じないのは私だけだろうか。美しい旋律の音ひとつを取り去ればそれで音楽は確かに崩壊してしまうかもしれないが、それでも安心して聞いてしまう。緊張感をもって聴き続ける、ということがない。曲そのものが、安定してしまっている。
 安定ということはひとつの価値であるかもしれない。しかし私にはこの安定という言葉が、鑑賞するときの大きなマイナス要因に思えてしまう。
 素人の私の感覚で、綿密な考証をしたわけではないので、恥ずかしい頓珍漢があるかもしれないが、許していただきたい。
 メンデルスゾーンの音楽にこんな感情が湧いてきた。これはやはりしばらく遠ざかった方がよさそうな気配である。ひょっとしたら限られた曲しか聞いていないから、こんな感想を持ってしまうのだろう。これ以外に私が持っているメンデルスゾーンのCDは無言歌集の一部だけである。しかしこれ以上はしばらくは購入しない方がいいかもしれない。

先々月の平泉・被災地訪問の記録集作成

2014年12月14日 14時39分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 葬儀が終了して、のんびりしている。

 午前中は団地の管理組合の関係で横浜駅まで出向いて建て替えに関する講座を受講し、先ほど投票を行い家に戻った。期日前投票に行くゆとりがなくて、本日ようやく投票。私には戦後最悪の人間にさらに4年も政権を担当してもらいたくない。政権与党と、さらにそれを右から支えようとする党派、ポピュリズムの党派には早く退場してほしいと思っている。

 本日の作業は、先々月に退職者会で訪れた東北地方の記録A4で8頁分の記録集の印刷。すでに原稿は確定しているので、これは特に頭を使わなくていい。印刷の操作だけであり楽である。数部ずつの印刷を繰り返す手間と、インク切れや印刷の不具合、紙の二重送りに注意していれば問題はない。45部ほどの印刷で終わる。

葬儀終了

2014年12月13日 23時13分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 葬儀が無事終了した。宗教性を一切排除しての葬儀を本人が希望していたこともあり、葬儀社を利用した範囲では最低限の費用に抑えることが出来た。
 火葬場の待機中に親族の方からの差し入れの一升瓶も振る舞われ、また終了後に5人ほどで軽く慰労会を川崎駅の近くで実施した。
先ほどまでかかって、会計処理の概略を作った。

 あとに残ったのは住んでいた部屋の片付けと、家賃・光熱水費等を清算することが残っている。部屋の後片付けは17日から始める予定。1日では終わらないと思われる。故人の名誉のために付け加えるならば、病気になる以前はそれなりに片付いていた部屋だったが、昨年の発病以来本人の部屋の片付けや洗濯等の作業をする気力・体力は失せていたようだ。やむを得ないと思う。

 久しぶりに一週間仕事を続けた。といっても1日半は休養日にした。現役で仕事をしていた頃の感じでいうと、大雪・大雨や台風時のような1日があっての一週間のような慌ただしさだった。

多忙な一日となりそう

2014年12月12日 09時59分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 薬が無くなったので、どうしても午前中にかかりつけの内科に行かなければならない。午後1時から講座がある。本日は平安時代後期の仏師「定朝」について言及がある。私からするとこの講座の目玉なので聞き逃せない。
 講座が終わってから、葬儀の祭壇に置く果物類を購入してから斎場へ。葬儀場を出るのは21時過ぎだろうか。消耗品の返却、香奠を預かるといった作業の後に二次会があれば合流の予定。

 本日が終われば明日はかなり体力的にも精神的にも落ち着けるかもしれない。

 このブログの読者には、直接私と面識のない方にはピンとこない葬儀のブログにウンザリしている方も多いかもしれない。記述も隔靴掻痒で故人の名も出ないので余計読む気もなくしているかもしれない。どのような故人であったかわからないのも無理はない。読者の皆さんとは接点もないし、時間を共有したかもしれないが、そのような情報を私は発していない。
 しかし私にとっては切実なのでもう少し続けさせてもらいたい。