Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書9月号」(岩波書店)

2016年09月02日 18時22分44秒 | 読書
 本日の読書は「図書9月号」(岩波書店)と「現代の目619」(東京国立近代美術館)。横浜駅の喫茶店では「図書9月号」でホットコーヒー1杯。
 目をとおしたものは、
・表紙と解説「光の混合と色」                    伊知地国夫
・膨らむ言葉                            永田 紅
・僕にとってのThe Winyds of God-林富士夫さんのこと       天田 暦
・この胸のあたたかい何か                      原田宗典
・ニューカレドニア島の棄民たちの運命(フーテン老人世界周遊記2)   色川大吉
・少数派の独り言(作家的覚書)                    高村薫
・心の観月会 -仙厓の指月布袋画賛                 三浦佳世
・恐怖と畏怖(「こころ」論-語られざる「遺言」)           若松英輔

「特攻や戦争を語るとき、「今のこの国の平和は戦った若者たちの犠牲の上にある」という言葉をよく耳にしますが、僕はこの言葉には、まだ共感しません。若者たちは「戦った」のではなく「戦わされた」のです。そして「戦わされた」のは「日本の若者たち」だけではなく「世界中の若者たち」なのです。今も世界は、世界中で続く戦争に加担し、その犠牲の上にあり続けています。僕たちは特攻隊の時代から今の時代に至るまで、真の「平和」を手にしたとはいえない世界に生きているのです。」
(僕にとってのThe Winyds of God-林富士夫さんのこと 天田暦)

 ニューカレドニア島:ここにはパリ・コミューンに参加したパリ市民の流刑者を収容した刑務所と、そして明治時代にニッケル鉱山で働きこの地で亡くなった日本人労働者の墓があり、そこを巡った記憶を記載している。
「歴史は東西を問わず非常である。」
(ニューカレドニア島の棄民たちの運命(フーテン老人世界周遊記2) 色川大吉)



「「とにかく景気対策を!」こう叫ぶ多数派は、この先起きるであろうことへの想像力を決定的に欠いてはいる。‥一方少数派が信じる民主主義の理念や立憲主義と、幾ばくかの理性や知性はここへきてついに過去の遺物になり、両者の間には乗り越えられない決定的な壁が出現しているのかもしれない。‥それでもわずかばかりの理性ゆえに、少数派はなおもこの国の未来を案じることを止められないし、小説家は人間への眼差しを捨てることも出来ないのだが、筆者は今、自身の視線が少しずつ同時代を離れてゆきそうな予感もある。」
(少数派の独り言(作家的覚書) 高村薫)



「ヒトはあるものに満足できず、欠けているものに注意を払い、それを補おうとして、科学・技術を発展させ、一方で、不満や不幸も引き寄せてきたのだろう。」
(心の観月会-仙厓の指月布袋画賛 三浦佳世)

「私たちは死者を恐れる。死者などいないと大きな声で語る者の姿を見ながら感じるのは、その人物に内在する恐れのように思われることがある。だが、年齢を可塑ね、大切な人を喪う経験に一度ならず遭遇すると、死者の存在は、恐怖の対象ではなくどこか身近なもののように感じられてくる。」
(恐怖と畏怖(「こころ」論-語られざる「遺言」) 若松英輔)

人を傷つけないものの言い方

2016年09月01日 23時45分36秒 | 読書
 本日は少々外で飲み過ぎたかも知れない。先ほどようやく帰宅。電車で二駅ほど乗り過ごして戻ってきた。これがなければ10時半には帰宅できたかもしれなかった。電車の中で横の人にもたれかかって寝ていた可能性がある。一度肩で戻されたような気がするのだが、詳しくは記憶にない。自分がもたれかかられたらムッとするが、自分が酔っているときは時と場所を選ばず、寝てしまう。
 いつも身につけているリュックはしっかりと両腕で抱きしめていたようだ。これは周囲に人がいれば取られることはまずないが、東海道線などで大船駅等を超えた先では、車内にいる人が少なくなると取られる確率が高いという。
 私は東京で飲み過ぎて藤沢や平塚で降りた体験はいくつかあるが、さいわいにもこれまで物を取られた体験はない。しかし平塚駅で東京に戻る電車がなく、タクシーで横浜に戻り2万円近く取られたことがある。持ち物を取られるに近い出費をしたに等しい、と今でも蒸し返して怒られることがある。

 話はおおいに飛躍して、まったく関係のない方向に向かうが、私は二次会・三次会とはしごをすることが出来ない。嫌いである。一次会でさっさと飲んで、出来れば早めに帰って寝てしまいたい。飲み屋に長居はしたくない。美味しいものも、だらだら食べていては美味しくなくなる。美味しいお酒も適度な時間で呑むからこそ美味しい。肴とお酒の相性を考えたら、だらだらした飲み方はお酒にも肴にも、それを作った人にも失礼だと思っている。
 と偉そうなことをいっても私の舌はそれほど肥えてはいない。繊細でもない。微妙な味の違いにはまったく自信がない。その上いい匂いに対して鈍感である。いわゆる鼻が利かない、とうことらしい。料理というのは、舌で味わうよりも作る人の手元をみて感心すればそれだけで充分味がわかったにことになる、ということを言ってくれた方がいる。
 人を傷つけないものの言い方ということの大切さを教えてくれた人でもある。


本日は休養日

2016年09月01日 16時42分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日は休養日。印刷所から校正刷りが送信されたので、2か所ほどの訂正をお願いした。これはすぐに終了。そののち、朝からベッドで本の頁をめくりながらグダグタしていた。昨日の筋肉痛はお昼頃には解消できた。
 5年前の退職直後と比べて、2日連続して体を使い続けることに抵抗が強いと思う。これは体を使い続けることへの意志の弱さの問題か、体の使い方の問題か、老いの問題か、体重増の問題か、どれであろうか。
 これから神奈川大学の生涯学習講座の申込みをしなくてはいけないことに気がついた。本日からが後期の講座のネットでの受付日であった。申込みたい講座が満席ということはないと思われるが、早めに済ませておきたい。

 さて、相変らず暑い。体を動かしてはいないが、体全体がじっとりとしている。これからシャワーを浴びて、また横浜駅までの往復することにしたい。本日は特に家電量販店や書店で探したいものもない。

堤防歩きはかなり過酷

2016年09月01日 10時23分48秒 | 山行・旅行・散策
 昨日の鶴見川の堤防歩きは想定した以上に体力と筋力を消耗したようだ。

      

 最初9キロの里程標を見た時には、1万5千歩に満たない歩数なので、いつも家から新横浜駅傍の鶴見川沿いの公園の往復よりも楽だと思った。この自宅からのウォーキングでは往復1万7千歩から2万2千歩を全力で歩いている。
 昨日歩き始めた時は、日ざしは強いが河風が気持ちよかった。堤防下の河原に生えている葦などの植物を伝ってくる風に草の匂いや野鳥の声が混ざり気分を和らげてくれた。ペットボトルのウーロン茶も一口か二口飲んだだけで、3キロ下流の末吉橋までは順調だった。しかしこの橋を超えてすぐにキツイと感じた。

      

 河原が消え、そこに生えているばすの葦などの植物が消えた。また堤防の下法にも草はなくなり、コンクリートの地肌がむき出しとなっている。道はアスファルトであるが、堤防や護岸を固めているコンクリートからの照り返し、そして広くなった川面からの照り返しがきつい。それは熱気と共に眩しい光となって目も強く刺激した。暑さと光、二重の照り返しに圧迫感を感じた。
 河原や堤防の下法の葦や草の類のもたらす効果は熱気と光を遮断するだけでなく、そのことによって人間の気持ちも和らげてくれるようだ。
 普段自宅から新横浜に向かう道は横浜環状2号線であるが、広い中央分離帯の植生、歩道に設けられた低木の連続植樹帯が、照り返しの光と熱から人体を守ってくれていることがよく理解できた。
 そしてアスファルトよりもコンクリートの方が照り返しは強いのかもしれないと思った。これは調べ切ってはいないのであくまでも体感ということにとどめておく。
 残り6キロの間にウーロン茶400ccと、堤防に隣接していた公園の水場や終点に近い公園の水場、自販機などで合わせて1.6リットルの水分を補給した。普段の水分補給の3倍である。
 夏の盛り、気温の高い時に都市河川沿いを歩くということは、川面の照り返しも加わるので、侮ることは出来ないとあらためて実感した。

   

 確かに堤防の上を歩くのは気持ちがいい。マンション群や工場群がワイドに見え、さらに街中ではあまり意識しない土地の高低が広い視野の中でクッキリ見える。近代以前の都市の成り立ちや背景や歴史などを景観として意識するようになる。都市の歴史を知るうえでは欠かすことのできない魅力たっぷりの視点・視野を提供してくれる。街中を歩くだけよりも、脳にいろいろな刺激を与えてくれることは確かだ。
 だが、この意外と体力を消耗する厳しい環境には特段の留意が必要である。
 先日の平塚から相模原の6万歩、あるいは登山などとは単純に比較はできないが、照り返しを考慮に入れた対策が必要である。

 ウォーキングを終えて鶴見駅付近でビールでも飲もうと思ったが、汗ばんだ体をシャワーで早く洗いたかった。銭湯があればそのまま飛び込んだかもしれないがあいにく着替えも持参していなかった。
 帰宅してシャワーを浴びた後、缶ビールを1本とワインをコップに1杯飲んだだけですっかり酔いが回った。もしも鶴見駅でビールを飲んでいたらフラフラになっていたかもしれない。危うかった。